第十八話 ヒメナの暴走


(あ、あら……? なんだか、思っていたのと違う反応が……)


 ここに来て初めて、ルビアは自分とアルセニオ、そしてヒメナの持つ認識に、盛大な齟齬がある可能性に思い至った。


「僕が君たちを屋敷に迎え入れたのは、行く当てのない君たち母娘を、憐れに思ったから。その原因の一端が、少なからず僕にもあったからだ」

「それは、わたくしに一目惚れしたからで――」

「違う! 僕はルビア以外に興味なんてない!」


 甘えて縋るようなヒメナの言葉を断ち切るアルセニオの声に、彼女は丸い目を更に大きく見開いた。

 何を言われているのか、それでもまだわからないような顔でいる彼女に、アルセニオが更にたたみかけるように言葉を紡ぐ。


「君たちが来た初日に言った言葉の意味がわからなかったか? 亡き妻との思い出を忍ぶ日々を邪魔さえしなければ、好きなように過ごしていい。僕はそう言ったはずだ」


 そうなると、ヒメナの発言と大きく意味合いが異なってくる。

 当のヒメナは困ったように眉を下げ、頬に手を当てて小首を傾げた。アルセニオの言葉の意味が本気で理解出来ずに当惑しているのが、その仕草から伝わってくる。

 

「そんなことも言っていたわね。だけど、新しい恋のほうが大切でしょう? あなたの奥さんは亡くなっているのだもの」


 ここに来てようやく、ルビアはこれまでのヒメナの言動が彼女の思い込みによるものだと気づいた。


 独善的――という言葉で表すには、あまりに他人の気持ちに無頓着で、いっそ病的ですらある。アルセニオの帰還までそれに気づけなかったのは、彼が不在だったことと、ヒメナがあまりに無邪気な様子だったからだ。


 実際、彼女は自分が嘘をついていたという自覚は一切ないのだろう。

 彼女の中では間違いなく自分がアルセニオの恋人で、今だってその恋人が訳のわからないことを言って自分を困らせている。


 だから、困った恋人を窘めて、正しい道に導いてやらねばとさえ思っているに違いない。その様子に、ルビアは軽く薄気味悪さを覚える。

 そういえばとピアッティ子爵夫人のほうに目をやると、彼女は気まずそうに俯いていた。


 アルセニオの恋人だと主張する娘の言うことを信じていたのか、信じたかったのか。いずれにせよ、ヒメナよりは言葉がまともに通じているようだ。


 そしてヒメナは恐らく、無自覚にアルセニオの逆鱗に触れた。


「いつまでも死人との思い出を大事して、今を蔑ろにするなんてくだらないわ。時間の無駄よ。だからね、アル――」


 自身に伸ばされた手を、アルセニオが間髪入れず払いのけた。

『恋人』からの思いもよらぬ仕打ちに、身構えていなかったであろうヒメナが小さくよろける。


「――時間の無駄?」

「ええ、そうよ。だって……」


 そこで初めて、ヒメナがはっとしたように口を噤んだ。

 再び膨れ上がったアルセニオの黒い魔力が、ざわざわと不穏な気配を漂わせていることに気づいたのだろう。


 だが、今更気づいたところで口にした言葉がなかったことになるわけではない。


「君は何を勘違いしている。そもそもルビアが他人に優しくするようにと諭してくれなければ僕が君たち母娘の面倒を見ることなんてなかった。君たちを屋敷に迎え入れたのはそうすればルビアが喜んでくれると思ったからだ。彼女が僕を誇りに思ってくれると考えたからだ。ルビアの教えがなければ僕が君たちを世話することなんてなかった。君たちにとってルビアはいわば恩人だ。そんな彼女との思い出を大事にすることが〝時間の無駄〟で〝くだらない〟だと?」


 早口で平坦な、怒りを隠しきれない掠れた声で、アルセニオが言う。

 とりつく島の一切ないアルセニオの態度に、子爵夫人はすっかり顔面蒼白になっていたし、ヒメナも今ばかりは顔色を失っていた。

 青くなった唇をわなわなと震わせ、わっと声を上げて泣き始める。


「どうしてそんなひどいことを言うの……? わたくしは、こんなにあなたを好きなのに! わたくしこそが、あなたに相応しいのに!」

「一方的な好意はただの暴力だ」

「そんな……」


 両手で顔を覆ったまましばらくすすり泣いていたヒメナを、ルビアはなんとも言えない気持ちで見つめていた。やがてヒメナが、手の覆いの向こうで何かを呟いているのが聞こえ始める。


「……さえ、……れば……」

「ヒメナ?」


 さすがに心配になったのか、子爵夫人がそっと娘の肩に手を添える。

 次に顔を上げた時、ヒメナは驚くことに笑顔だった。


「……大丈夫よ、お母さま。ルビアさんさえいなければ、きっと元通りになるから」

「――え?」

「アルがおかしくなったのは、全部ルビアさんのせいなの。ルビアさんが変な魔術を使ったせいだわ。洗脳さえ解いてあげれば、すべての間違いは正される。だから……」


 ヒメナが、自身の髪を飾っていた簪を引き抜く。あまりに自然な動作だったため、ルビアは彼女がこれから何をするつもりか、まったく気づけないでいた。


「だからね、ルビアさん。これは当然の報いなの」


 簪を手にしたヒメナが、驚くほどの速度でルビアに向かって襲い掛かってくる。あのおっとりとした彼女のどこに、こんな胆力があったのかと驚くほどだ。

 咄嗟に身を捻ろうとしたルビアだったが、その必要はなかった。


「僕の妻に手を出すな!!」


 雷鳴のように鋭く大きな声を響かせたアルセニオが、魔力でヒメナを弾き飛ばしたからだ。


「ぎゃっ……!」


 濁った悲鳴を上げ、ヒメナが吹き飛ぶ。

 しかしそれだけでは昂ぶったアルセニオの怒りを鎮めるには足りなかったらしく、彼の魔力は触手のようにざわざわとうねり、今にもヒメナに襲い掛からんとしていた。

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最強魔術師は死んだ妻しか愛せない〜転生したら可愛かった年下夫がヤンデレになっていました〜 八色 鈴 @kogane_akatsuki

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