何もない君のために
君が泣く理由を僕は知ってる。
君は、自分には何もないと言って泣くんだ。
本当はあるべきはずのモノが全てないと言ってね……
でも、それは本当のこと。
本当に君には何もなかった。
それは、誰が見ても明らかなこと。
だから、君はよく泣いた。
君が泣いたって、それは当然なことだと思う。
人は君に同情する。
君が泣くのを見ると、
君と同じように泣きさえするかもしれない。
でも、みんなは君が泣いていることさえ知らない。
だって、何もない君には興味がないからね。
僕は時々不安だった。
君はそこにいるのだろうかと?
僕が見ている君は、本当に存在しているのかと?
何もない君……
もし、明日君に会えなければ、
僕は君のことを忘れてしまう。
きっと、誰も君のことを思い出さないと思う。
それほどに、君は誰にも必要とされず、
誰も必要としない……
そんな存在……
もし僕がそんな存在になってしまったら、
僕は生きてゆけない。
だから僕は思うんだ。
君は、今までどうやって生きてきたのだろう?
……いや、違う。
正直に言おう。
どうして、今まで生きていたの?……と。
君が生きていることに、
意味があったの?って……
きっと、今まで何もないままできた君だから、
僕には想像もつかないような、
つらい人生だったんだろうね?
そうだろう?
何もないまま、
この先も生きていくであろう君。
僕は君が不憫でならない。
僕は君のことを可哀想に思い、同情だってする。
だって、僕は君と違って、全て持っているから。
ありとあらゆる、
人が欲しがり羨ましく思うであろう全てを、
生まれながらに全部持っていたから。
だから、僕の持っているモノの中で、
君が欲しいモノがあれば、
喜んで君にあげようと思った。
それで、何もない君の、
何か一つでも十分に満たされればいいと思った。
でもね、僕から見れば……
いや、きっと誰から見たって……
君はあまりにも何も持っていなかったんだ。
君を見れば見るほどに、
この僕でさえ力になれないようだった。
僕は君の前に立てなかった。
ごめんね——
ごめんね……
僕は何度も自分の中でつぶやいた。
でも、本当は違うのだということを、
僕はどこかで知っていた。
僕が君の前に立てない本当の理由。
僕は、今の自分の、
全てを持っている自分の、
何か一つでもなくなる事が許せなかった。
本当は、恐かったんだ。
とてつもない恐怖だったんだ。
僕は、生まれながらに全てを持っていて、
そのどれか一つを失っては、
生きていける気がしなかったから。
人は僕のことを羨む。
いつも僕から何かを得ようとする。
中には、僕に足りないモノを与える代わりに、
僕の持ってる別の何かを
差し出すように要求する連中もいたけれど……
でも、そもそも僕には足りないモノなんてなかったんだ。
彼らが僕に与えようとしたモノですら、
僕はすでに持ち合わせていたからね。
僕は誰から見ても完璧だったんだ。
でも、もし僕が君の前に立ったとき、
いったい君はどうするのだろう?
想像ができなかった。
わからないということは、恐ろしいことだった。
何もない君は、
僕の全てを欲しいと言い出しはしないか……
他の連中以上に強い気持ちで、
僕に要求するんじゃないか?
その時、僕は君の要求を断れるだろうか?
そんなことを、
遠くから君を見つめながらずっと考えていた。
それで、気づいたんだ。
僕はなんて臆病で、愚かしいと。
僕は、僕自身が蔑み、見下してさえいる感情すら、
人並みかそれ以上に持っている。
そして、開き直っている。
いいじゃないか!
人は誰だって弱いのさ!
どんなに強く見えたって!
どんなに正義感に燃えていたって!
どんなに人に優しく、
思いやりがあったって!
何もかもを失うつらさに耐えられる人なんていないのさ!
みんな何もないのはイヤなんだ!
恐怖なんだ!
つまりは、君のようにはなりたくないんだ!
誰だって自分が一番かわいいのさっ!
あの時、君に同情した僕は……
こんな言葉を、いつも心の裏側に隠し持っていた。
僕は君のように、
何もない人に生まれなくてよかったよ……と、
ずっと思っていた。
ずっと、ホッとしていた。
今、君を見つめる僕の目は、いったい何だろう。
何もない君が珍しいのだろうか?
何もなく、透明人間のようにして、
奇跡的に生き長らえたような君を、
とても珍しい動物のように思い、
見つめているのだろうか?
これは、好奇の視線だろうか……
僕は恐ろしくなった。
僕は君から目をそらした。
もう二度と、君を見ないと思った。
そして、忘れようとした。
きっと、簡単に忘れると思った。
何もない、君だから。
ひどいね……
ひどい話だ……
でも、僕は君のことが忘れられなかった。
何度も忘れようとしたのに、
忘れられなかった。
そして、やっぱり君を見たくなった。
君の存在を……
君がいたのだという証拠を、
確認したくてたまらなくなった。
この感情が何かわからないけど、
僕の中では、
とても余計な感情であるような気がした。
その日、君が来るのを待ち伏せして、
僕はとうとう君の前に立った。
僕が君から目がはなせないように、
君が僕から目がはなせないように。
君の正面に立った。
何もない君……
何もなくて、可哀想な君……
きっと、
僕の全てを欲しがるであろう、君……
正面に立ち、こんなに近く、
はっきりと見た君の姿は——
何もなくて、泣いてばかりいる君ではなかった。
透明人間みたいな君でもなかった。
その目が、その鼻が、その口が、
その顔の全てが、その全身が……
誰とも違って見えた。
それは、今までに僕が見たことのない人のようだった。
君は、他の誰もが持っていないモノばかりを持っていた。
僕にとって未知のモノ。
何もない君……ではなくて、
誰も知らない君、だった。
今まで僕が見ていた君は何だったのだろう。
僕はいったい何を、誰を見ていたのだろう……
君は、君以外にはあり得ない。
君は、唯一だった。
君は、絶対だった。
僕は圧倒された。
君の前でただ立ち尽くす僕に、
君は微笑みかけた。
初めて見る表情だったけど、
僕にはそれが微笑みだとわかった。
君は、僕の何も欲しがらなかった。
静かに僕の横を通り過ぎていった。
ただそれだけだった。
ただそれだけで、それが最後だった。
その日以来、僕は君の姿を見ることができなくなった。
何もない君……
何もなくて、可哀想な君……
きっと、僕の全てを欲しがるだろう……
と思っていたのに、
そんなことには見向きもしなかった君。
そして、今までろくに君の前に立たず、
ずっと怯えていた愚かしい僕。
僕は泣いた。
涙は、僕の意志では止められない。
もしかして、泣いてばかりいたのは、
君じゃなくて僕の方だったのかもしれない。
今まで自分だけでしかあり得なかった僕。
それだけが唯一で、全てだと疑わなかった僕。
何もかもは自分の為にと思って生きていた僕。
そんな僕の一部が崩れ去った。
君に会わなくなれば、
君のことは忘れると思っていたのに。
僕の中では君の微笑みが消えなかった。
消えるはずがない。
あれは、僕にとっての唯一なんだから。
誰も必要としなくとも、
君は、僕にとって紛れもない真実なんだ。
お願いだ! 僕を必要としてくれ!
他の人間にあれほど必要とされた僕。
でも、君に必要とされなければ意味はない。
僕も君と同じ……
君にとって、何もないのは僕の方だったんだな。
君からすれば、僕は何もない。
君にあげる微笑みすら持ち合わせていなかった。
僕の目は、何も見えていないも同然だった。
みんなが欲しがるモノしか映さない鏡のようだった。
僕の持ってる全ては、みんなが欲しがり羨むモノばかり。
僕の世界は、ただ僕とみんなが知っているモノだけ、
認めたモノだけで埋め尽くされた狭い箱庭だ。
そんな僕の持っている全てなんて……
箱庭の完璧さなんて……
君は、そもそも箱庭の中になんていないのに!
僕は君の必要とするモノを何一つ持ち合わせていない!
君の必要とするモノと引き換えに、
僕の中から今ある全てが消え去っても構わない。
そんなモノを欲しがるヤツがいればくれてやる!
何もない君ではなく、
唯一の君を知って……
僕は何もない僕になりたいと思った。
何もない僕になって、
何もない君が必要としたモノを知りたい。
今度君の前に立つ時は、
僕自身に何もなくても、
君に微笑みを返せる人でありたいんだ。
今ある全てを必要とせず、
何もない僕になって……
この箱庭の外で……
僕は君を見つけられるだろうか?
唯一の君を見つけるように、
僕は唯一の僕自身も探さなくちゃいけない気がするんだ。
ねぇ、それって、とても難しいことかい?
とても恐ろしいだろうか?
とても勇気がいることかな……
孤独だろうか……
きっと、また僕は泣くのだろうね。
だけど、何もない僕はここから始めるよ。
全ては、何もない君のために……
そして、今は唯一の君のため……
ずっと君の微笑みが忘れられない、
唯一の僕のために……
か弱き者に捧ぐ詩 十笈ひび @hibi_toi
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