08 婚約

「大遠征か……」


 ボビィの報告を受けた父、エドウィンは執務机で沈思した。

 そのまま退出を命じられたボビィは、家庭教師に捕まって、飛龍騒ぎで間の空いた社交の講習漬けにされた。

 面倒くさいとは思いつつ、爵位を得ようと思うなら必ず必要になる。

 積極性が素晴らしいと、お褒めの言葉をもらってしまった。

 じゃじゃ馬になった魔導甲冑にもだいぶ慣れ、トレーニングでシャツの首回りがきつくなり、上着はほぼ仕立て直しになって、ルチアに軽く嫌味を言われた。

 首回りだけと思っていたら、肩や腕などもかなりパンプアップされてしまったのでは、お直しでは事が足りない。結構なお金がかかってしまう。家令のジェイナスも、飛龍ワイバーン退治での活躍が領民の噂になっていては、トレーニングの中止も言えず、成長期と諦めてもらうしか無い。

 どちらにしろ、知らずにまた、背も伸びているのだ。

 表面上は、クリアベル家は平常を取り戻したかのように見える。それでも、父エドウィンは、夕食の場に出ることはなく、あちらこちらへと飛び回っているようだ。


 兄の婚約者であるオーツランド家の長女、エミリアの今年の誕生日パーティは、両家の当主が欠席するという異例のものとなった。

 それを配慮してか、最初から女性と子供たちを招待する形に変更されたと聞いている。

 各家の当主は、それほど頭を悩ませているということか。

 美貌の才媛である婚約者に、デレデレと鼻の下を伸ばしている兄のデヴィットはともかく、弟のジョンもお目当てである、ノアズミル家の可愛らしい次女も招かれてるとあって、気合が入りまくっている。

 見ていられなくて、ボビィは一人バルコニーに逃れた。

 クラリス・ランセットも当然招かれているとあって、どう答えて良いのか解らない。


「噂の『飛龍殺しワイバーン・スレイヤー』がこんな所に逃亡かい?」


 エミリアの兄、次期オーツランド家当主のケネスがからかう。

 頭2つは背の高い偉丈夫に、ボビィは照れを隠さずに笑みを返した。


「あなたこそ。……主役の兄がいる場所ではないですよ。サー」

「あんな顔をした妹を間近に見せられる、兄の辛さこそ知れだ。この間まで、俺の後を追いかけ回していたくせに」

「その言葉、ミスター・アヴェラワーに聞かれたら、殴られますよ」

「確かに……内緒にしてくれ、未来の義弟よ」


 ケネス・オーツランドの妻は、最近代替わりしたアヴェラワー家の当主の妹だ。アヴェラワー家の溺愛ぶりは、ボビィでさえ噂に聞いているほど。その妹が一目惚れした相手なのだから、因果応報だろう。


「君は、誰か意中の相手がいるのかい?」

「いえ、なかなかその気になれなくて……未熟者ですから」

「レディ・ランセットで不満と言うなら、相手探しは難航しそうだ」

「そういうわけでは……レディ・ランセットに応えてしまって良いものか、悩んでいるだけです」

「まだ空きがあるなら、エミリアの妹のユーミィを推してみようかな?」

「さすがに……ジョンの下の世代ですよ?」

「冗談ではないさ。そうしてでも、君と縁を結ばせたがる家は多いだろう。レディ・ランセットの慧眼には恐れ入る」


 真剣な眼差しがボビィを捉えた。

 ボビィは両手を広げて自嘲する。


「僕が『飛龍殺し』だからですか? それはギブソン男爵の称号ですよ」

「いや、投資すべきは君の成した事ではなく、これから成すかも知れない事だよ」


 どうやら冗談めかして、逃がしてもらえないようだ。

 改めて、真面目に向き合う。

 周囲が耳を欹てているのが解る。

 ほとんどが兄と同じ、既に実務に就いているだろう世代だ。


「君次第では、『十二姉妹』を君が率いる事になる」

「本決まりなのですか? 『聖女様の大遠征』って……」

「はっきりとは聞いていないが、間違いないだろう。各家の当主が、ここまで忙しく動いているのだから」

「まだ、父からは何も聞かされていません」

「神殿からの正式な檄が飛んでいないだけだ。『十二姉妹』としても、『飛龍殺し』のギブソン男爵に認められた乗り手を、出さぬわけには行かないだろう? 本気が疑われてしまう」


 ボビィ自身が知らぬ間に、大海に押し出されようとしている。

 楽な戦いではない。命を落とす事を覚悟して臨めと、幼い頃から聞かされてきた前回の大遠征の英雄伝でも、繰り返し記されていたはずだ。

 震える膝は、武者震いと思いたい。


「ボイル家でも、クレイグを出すべく鍛え直しているそうだよ。あそこの長子は病気がちだから、次男スペアはどこよりも大事だろうに」

「それで今日は、クレイグが参加していないのか……。あいつも災難だな」

「ボイル家には『防人』の意地もある。こと戦闘に関しては、クリアベル家に遅れを取るわけにもいかないのだろう」

「意外に、各家が動いていることに驚かされます」

「クリアベル家は、君を出陣させる方向で確定だからな。君がしなければいけないのは、レディ・ランセットにきちんと向き合ってやることさ。彼女に恥をかかせてはいけないよ」


 それが、ここに逃げてきた理由なのだが……。

 どうやらそれも許されないほど、注視されているようだ。

 正直に、大人としてのケネスに打ち明けてみる。


「子供っぽい考えと思われそうですが、ここで婚約とか決めてしまうと……自分の将来が狭められてしまう気がして」


 かなり真面目なことを打ち明けたつもりなのだが……。

 ケネスには思い切り、笑い飛ばされてしまった。


「ボビィ・クリアベルは意外に野心家だな。そして、誠実な少年だ」

「笑い事ではないですよ、サー」

「笑い事さ。……野心を持つなら、それが叶った時を考えろ。君が爵位を得たとすれば、『十二姉妹』の内部で得た伴侶は、第二夫人として『十二姉妹』との折衝役にならざるを得まい。貴族との結びつきを考えれば、第一夫人はどこかの貴族令嬢を娶るべきだろう?」


 不意を突かれた形で、ぽかんとケネスの顔を眺めた。

 そこまでは考えたことがなかったが……冷静に考えてそうせざるを得ないだろう。

 これが大人と子供の差なのか……。


「不誠実な大人のアドバイスとしては、社交家のレディ・クラムドールと、控えめなレディ・ランセットの両取りをお勧めするね。君は、それが出来る羨ましい立場だ」


 そんな大それた悪巧みを伝え、ポンとボビィの方を叩いたケネス・オーツランドは、笑いながら会場に戻って行った。

 何とも途方も無い話をされたような気がする。

 貴族の間では、第ニ、第三婦人を持つことは当たり前だが、家の結びつきを重視する『十二姉妹』の間では、相手の家を尊重する理由で、よほどの健康上の理由のない限り、有り得ないことだ。

 でも、『大遠征』に参加して、生還できれば……。

 大きな活躍が出来なくても、それなりの土地と『騎士ナイト』の地位くらいは与えられるかも知れない。そうなれば兄の補佐ではなく、貴族に準じる者として、新しい家系を興すことになる。


 先を思うほどに、急に結婚が身近に感じられて来る。

 こんなに何もかもが繋がっているなんて、思わなかった。

 もちろん、戦死してしまえば全ては夢の跡になってしまうとはいえ……。

 ぶるっと身体が震えた。

 死んでしまう可能性だって、低くはない。

 全ては自分の命をかけて、掴み取れるかどうかの未来。

『十二姉妹』全ての民の機会を背負って、戦争に赴かなければならないのだ。自分は……。

 これまで思いもしなかった自分の死が、冷たい刃のように背筋を伝った。

 心臓が暴れるが、粗く浅い呼吸は充分な空気を吸い込んでくれない。

 胸が苦しい……ただひたすら……怖い。

 テラスに凭れるように、しゃがみ込んでしまう。

 自分の人生を切り拓きたい……だけのはずだったのに。

 死んでしまえば、自分はそれだけに人間……と割り切っていたはずなのに。

 期待に応えれる保証なんて、どこにも無い。

 こんなちっぽけな少年の、どこに期待できると思えるのか?

 どうして期待を寄せられるのか……。

 誰に訊いたら答えてくれるのだろう?

 冷たく震える手を見つめる。


 不意に、華奢で温かな感触が蘇った。


 唯一人、最初にボビィに期待し、真っ直ぐな思いを伝えてくれた少女。

 その温もりを求めるように、会場に足を向けた。

 華やかな輪の中心になんて、いるはずのない少女。

 今日は周りから少し距離を置かれ、ひっそりとした佇まいで立つドレス姿。

 惹き寄せられるように近づき、そのか細い手を取ると、はにかんだ笑みと共に、踊りの輪の中に加わってくれる。


「……どうしました? 顔が強張っています」

「クラリスはどうして、僕なんかを選んだの?」


 首を傾げる少女の、疑問を質問で返してしまう。

 少女は驚いたように睫毛を瞬かせて、瞬時にその頬を紅く染めた。


「その質問……意地悪です」

「ごめん……」

「…………忘れちゃいました」

「え……?」

「ずっと昔のことだから、もう忘れちゃいました。……全然気づいてもらえなくて」

「ごめん……」

「謝罪の意思があるなら……あと3曲、一緒に踊って下さい。とても幸せな気持ちになります」


 それで謝罪になるなら、お安い御用だ。

 指先から、少女の温もりが伝わってくる。

 少し大胆に腰を抱き寄せても、驚きながらも拒んだりしない。ほっそりした柔さと伝わる熱が、少年の恐れを溶かしてゆく。


 その夜、クリアベル家と、ランセット家の間で、一つの婚姻が成立した。

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野心の剣 ~SWORD OF AMBITION~ ミストーン @lufia

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