パンケーキと、起きないお前

木曜日御前

6月限定 ジューンプライドパンケーキ

  荻原奏太おぎわらそなたという男は、退屈という言葉からはかけ離れた男だった。

 初めて出会った小学生の頃から、自ら金色や赤色に髪を染めるトリッキーさと、健康的な小麦色の肌が彼の特徴だった。


『起きろ、タクト!』


 俺こと萩原拓人はぎわらたくとの部屋に侵入しては、身体の上に乗っかり、無理矢理起こしてくる奏太。


『万寿町商店街で今日も探検だ!』

『ぼ、ぼく、夏休みの宿題が!』

『大丈夫! おれ、一つもやってない!』


 俺の一日の予定を勝手に塗り替えて、散々振り回してくる。更に、このときの宿題は最終的に道連れに手伝わされることになった。

 しかも、最初俺に絡んできた理由は、ただ似ている名字だからという理由だけ。


 常々色んなとんでもない騒動に巻き込んでくるやつだった。修学旅行先の山で、二人で迷子になった時は本気で命の危機を感じた。

『おい、ソナタ、どうすんだこれ!』

『大丈夫、タクトとオレならどうにかなるって!』

 根拠のない自信がいつも溢れており、たちが悪いことに本当にどうにかなってしまう。悪運だけは誰よりもいい、恐ろしいやつだった。

 なんだかんだ言いつつも俺たちの関係は、俺が中堅大学の三年生に、奏太が中卒のままバーで働き初めても変わらず続いていた。


 そう、昨日までは。


 憎らしいほどに夏らしく、お天道様が燦々としている昼間。今、俺は黄色いレンガが特徴的な可愛らしい外装のカフェの前にいた。俺たちの地元で昔から有名な、前日予約のみなのにも関わらず、とてつもなく人気なパンケーキ専門店だ。ただ、女性だらけのお店の前に、男一人で立っているのは想像以上に違和感があるのだろう。周囲からはちらちらとした視線を感じ、なんとも居心地が悪かった。


 好き好んで、俺一人で来ているわけではない。

 全て、奏太のせいなんだ。


『起きろ! タクト! 明日、ここ行くぞ!』

 昨夜、徹夜で課題レポートを書き終え寝ていた俺を、容赦なく馬乗りになって叩き起こした奏太。夜の仕事らしい自由な風貌の奏太、白いタンクトップにジーンズ、数え切れないほど開けられた耳のピアス。鍛えられた腕の筋肉にはタトゥーがぎちぎちに彫られ、黒染めしたばかりの痛んだ長髪がよく似合っていた。

 しかし、その手に握られていたのは、可愛らしいイラストやフォントが特徴的な『来店してからお楽しみ! 六月限定ジューンプライドパンケーキ!』のチラシ。なんとも似合わない組み合わせだった。


『予約やっととれたんだ、明日の三時! 明日奏太が大学ないの俺、知ってんだからぁよぉ!』

『何で知ってんだよ、いや暇だけどさ。俺がバイトだったらどうすんだ?』

『先週お前のバイト先の居酒屋、潰れただろうが』

 長い付き合いだからこそ、突かれると痛いところを奏太は知っている。うぐっと言葉を詰まらせた俺の苦々しい反応が面白かったのか、奏太は腹を抱えて転がりながらげらげらと笑う。


『ひひっ、ひーおもしれえなあ、タクトは、ひー最高』

 最高だ、面白いと奏太は俺に対してよく言うが、俺にしたら奏太のが遙かに愉快なやつだと思う。俺なんて、平凡で大人しくて、つまらない男なのに。


『ヒーヒーうるせえよ』

『おーい、拗ねんなって。たまには俺が奢ってやるからぁさぁ。失業記念に、な』

 理由はさておき、あまりにも珍しい奢りの提案に、怪訝そうな顔で奏太を見る。奏太はにいっと口の端をつり上げて、俺の肩を抱く。

『お前と食べに行きたいんだよ。なあ、良いだろ』

『仕方ないなあ』

『おっ! そう来なくちゃ!』

 嬉しそうに俺を抱きしめて、大げさに喜ぶ奏太。このようにいつも大げさな彼に、比較的大人しい俺はされるがままだ。


『じゃ、仕事行くわ。一応その後、常連と店長と近くの海行って釣りするけど、絶対に間に合うから安心しとけよ』

『いや、休めよ、馬鹿が』

 俺の部屋から出て行くと、波が引いていくように、げらげらとした奏太の満足そうな笑い声は遠ざかっていく。幼い頃から本当に変わらない。いつだって、俺のことをげんなりさせて、こいつだから仕方ないかと思わせる。

 なんだかんだ、年上から可愛がられて、ぎりぎりでも生きていけるやつだ。それが、友達が少ない俺には少し羨ましかった。

 この先もこいつの笑い声と愉快な話を聞きながら、俺はどんどんつまらない大人になるだろうと予想していた。


「ご予約の荻原おぎわらさま、いらっしゃいますか?」

 店員の女性が、奏太の名字を呼んだ。

「はい」

 俺は手を上げる。思えば、よく俺たちは名字を先生達に読み間違えられた。その時は逐一訂正したもんだ。

 けど、今だけは、俺は奏太の名字で呼ばれよう。


 店員さんは、俺の周りを確認した後、優しく尋ねた。

「二名様予約ですが、お連れ様はいらっしゃいますか? 当店お揃い後にご案内させていただくことになっていて……」


 俺は、店員の目を見ながら、口を開いた。


「すみません、今朝、死にました」


 店員が口を開けたまま、動きが止まった。

 夏だというのに、一瞬にして空気が凍ったのが、肌の寒さからわかる。


 早朝五時、荻原奏太おぎわらそなたは、客達と行った釣り船の上で死んだ。

 釣った太刀魚が、奏太の顔に当たり、後ろから倒れたらしい。そして、ガンと船の上の何かに後頭部をぶつけたとのことだ。

 泣きながら連絡して来たのは、奏太の保護者である彼の叔父だった。今は千葉の下の方まで遺体を引き取りに行っているはずだ。

 奏太の母親は、中学卒業と共に男と蒸発した。元々とんでもないトラブルメーカーな母親だったせいで、出会った頃の奏太はクラスメイトに責められたトラウマからか教室には入れず、保健室登校をしていたほどだった。

『タクトが友達になってくれたから、どうにか教室に入れるようになったし、中学も卒業できた。だから、あの女のことはどうでもいい。高校進学出来ないけど、正直解放されてせいせいした』

 と、諦めたように笑う奏太に、俺はどう声をかけていいかわからなかった。でも、これからはもっと楽しい人生になるはずだと、俺は願っていた。



 なのに、なんで、なんでだ。正直、今も信じられない。

 なんだよ、太刀魚にぶつかって死んだって。ふざけすぎてるだろ。

 奏太のたちの悪いイタズラではないか、と思いたい気持ちもある。

 しかし、長い付き合いだ。あいつはこういう、他人を少しでも不幸な気持ちにはしない。

 思いつきで、とんでもないことはしでかすが。


『タクトとソナタのドキドキ初体験!』

 とか言って、俺のファーストキスを奪ってきたのは、正直びっくりや怒りを通り越した。

『俺の大切なファーストキスを!』

 叫んだ俺は、思いっきりぶん殴った。


 奏太的には、

『俺が嬉しいから、タクトも喜ぶと思った』

 と謎の証言をしたけれど、かなり反省していたので最終的には許した。ちなみにあれ以来、俺のセカンドキスは叶っていないという事実が苦しい。


 それに、俺が中学時代精神病んで「死ぬ死ぬ」とカッター持って暴れた時に、「そんな悲しいことは冗談でも言うな」と激怒して本気でぶん殴ってきた男だ。


 馬鹿だが、優しくて、良いやつ。

 だからこそ、奏太が死んだのは事実なんだろうと、あいつを思い出せば出すほど突き付けられる。



「お願いします」

 俺は店先で店員に頭を下げる。俺以外の予約の人たちは、すでに席に案内され済み。雰囲気をぶち壊して、申し訳ないとは思う。

 しかし、俺はどうしても引けなかった。あいつが食べたいといっていたパンケーキを、あいつに食わしてやりたかった。なんでかは、わからない。

「そう言われましても、うちはパンケーキ持ち帰り禁止で……」

「そこをどうか、お願いします」

「お、お客様、頭を上げてください」

 ひたすら頭を下げて、どんどんと店前で崩れるように土下座する。


「本当にお願いします」

 俺はなんで、こんなに必死なのだろう。困った店員は、一度店の奥へと視線を向けた。



 翌日。

 奏太の一日葬は、地元の小さな斎場になった。

 事故から一日経って。やっと俺たちの出会った町に帰ってきたと、叔父から連絡が来た。

 万寿葬儀場の奥にある小さな斎場に、昨日駆け込みで買った黒いスーツを着て、俺は簡素な葬儀場に向かう。

 到着した斎場の中には、奏太と仲が良かった大人達がしみったれた表情で立っていた。

 そんな湿っぽい空間に、俺は似つかわしくない大きめのケーキボックスを片手に持って入る。貧乏大学生のなけなしの貯金から絞り出した二万円を、香典として受付にいた彼の叔父の奥さんへと渡した。


「おお、拓人くん。よく来てくれたね」

 迎えてくれたのは、げっそりと顔色の悪い奏太の叔父だった。

「叔父さん、奏太は?」

「ああ、顔を見ていってやってくれ。親友が来てくれたんだ、奏太も喜ぶ」


 最上の中央に置かれた白い木箱の中、あの小麦色の肌がわずかに見えた。

 俺の身体は、挨拶もそぞろに、気づけば走りよっていた。


 木箱の中、死に装束を来た奏太を囲むように、美しい花々が埋め尽くす。

 痛んでボサボサだった長い黒い髪は、不自然に艶やかに梳かされ、顔も化粧で綺麗に整えられている。ピアスも一つ残らず外されていた。

 誰かの手によって加えられた違和感に、言いようのない不快感を覚える。しかし、何よりも、奏太の目や唇は固く閉じられ少しの動きもないことが、俺の心臓を止めて首を絞めた。


 ああ、なんて、静かなんだ。

 寝ている時すらも、イビキでうるさい男だったのに。


「起きろ、奏太。お前が勝手に予約して楽しみにしていた、パンケーキ、持ってきたぞ」

 震える喉と舌、手、指、視界。彼の腹の上に箱を置いて、蓋を開ける。二つのパンケーキはあの六月限定のジューンプライドパンケーキ。すこし萎んだスフレパンケーキを、ぐちゃりとした虹色のクリーム、レースのようなチョコレート細工、青い鳥の砂糖細工が彩る。


「店長が言ってたよ、お前のこと。仲いいんだってな。だから、テイクアウトさせてくれたよ」

 昨日店前で土下座しているところに、何事かと店長である女性が出てきて、俺の話を聞いてくれたのだ。そこで店長が話してくれて、初めて知ったことがあった。六月限定のジューンプライドパンケーキは、奏太が考案したということを。


「それに、俺が知らない作成秘話も色々と、教えてくれた」

 店長の行きつけの店が奏太が働いていたバーで、そこで意気投合し、今回の六月限定に繋がったそうだ。

 そして、二人でデザインを詰めている最中何故このコンセプトなのかと尋ねたところ、奏太がぽろりと「世界で一番大事なヤツに、どうしても伝えたいんだ」と言っていたと。

 このわかりやすいパンケーキを見て、奏太が伝えたかったことが少しもわからないほど、俺も馬鹿じゃない。


「お前の死因が太刀魚にぶつかったって、なんだよ。そんなアホなことあるかよ。信じられねえ」


 俺は片方のケーキを手づかみし、大きく一口食べる。甘い甘いクリーム。パンケーキも冷めているとは言え、やはりおいしい。何故か少しだけ、しょっぱいが。

 手の隙間から流れたクリームは花々を汚す。


「なあ、美味しいぞ。パンケーキ、早く食べよう。俺がわざわざ買ってきたんだ。本来は奏太の奢りだったんだぞ」


 矢継ぎ早に、ひたすら話しかけ続けた。

 耳の奥で何故か「タクト、ありがとう!」という声が聞こえるのに、視界にいる奏太は今もなおぐっすりと寝ている。この奇行に周囲は、注意することもなく、ただただ静かだった。


 静寂の中、俺の声だけが虚しく反響した。

「起きろ、ソナタ。明日こそ、一緒に食べに行こう」




 おわり

 

 

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パンケーキと、起きないお前 木曜日御前 @narehatedeath888

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