頑張ることに疲れたあなたへ。

霜月夜空

「自分で決めたことだから」は苦しみを感じない理由にはならない。

 最初に注意を申し上げておく。


 僕は現在、情緒不安定に陥っているため、全体的にこの文章はかなり重たい内容となる。人によっては気分を害するような、社会に対する誹謗中傷も含まれる。


 キラキラした毎日を送っている人は、読んでいて辛くなるかもしれない。持って生まれた障害で、不自由な生活を余儀なくされた人たちを見た時、悲しいような、落ち込むような気持ちになってしまうように。


 だから、ここから先を読む覚悟のある人だけ、画面をスクロールしていってくれ。

 それ以外の人は、サヨナラだ。



***


 大学に入学して、2カ月が経った。


 僕は今、本当に毎日を楽しんでいる。そして、同じくらい毎日を苦しんでいる。


 大学はとても面白い場所で、多種多様な人間がたくさんいて、行けば必ず刺激をもらえる。また、僕の大学は全国的にもそこそこの学力を誇る中堅国立だ。そのせいか、基本的に大学内にいる人間の知能レベルはある程度高いように思う。特に、偏差値48の工業高校という環境で3年という月日を過ごした僕は、おそらく普通の人よりずっと強く、それを感じていると思う。


 授業に関しては、正直つまらないものも多い。「すでに結論が出てるようなくだらないことを、よくもまあ90分もダラダラ喋り続けられるな」と、教授に対して思うこともある。


 とは言っても、高校の授業よりはマシだろう。「死ぬ程どうでもいい専門科目or3年かけて義務教育レベルの内容を脱しない普通科目」を、何の華やかさも青春の甘酸っぱさもない男だらけの空間でただ虚ろに座っていた、あの頃と比べれば。



 それなのに、大学生になれて嬉しいはずなのに、いま僕は、とても苦しい。


 疲れた。とにかく疲れた。


 以下、疲労の原因と思われるものを記していく。


 


 僕は大学の敷地内にある寮で、一人暮らしをしている。四畳半の個室以外は、風呂もトイレもキッチンも玄関も、すべて共用だ。風呂に行けば大抵、名前も知らないヤツの裸が目に飛び込むことになる。


 寮食は存在しないため、ごはんは全て自分で用意しなければならない。まあ徒歩5分で大学の食堂に行けるため、それが実質寮食として機能はしている。値段は高いけど。


 あと、平日はほぼ毎朝、清掃員が一人で廊下やトイレ、キッチンの掃除をしてくれる。非常にありがたいのだが、この清掃員のオッサンが中々の曲者だ。


 このオッサン、廊下中に響き渡る声で、「はああぁぁーー」と、デカい溜息を五秒に一回ほどの割合でしやがるのだ。廊下で鳴った音はすべて個室内に筒抜けのため、僕が午前中に目覚めた日は、決まってこの溜息を聞くことになる。


 「なんで小汚ねぇクソ負け組のジジイの溜息を、朝から聞かなきゃいけねーんだよ」と、僕は毎回思う。そんなに嫌ならとっとと辞めちまえよ、バカ。てめえの情けない溜息のせいで一日の始まりからテンションだだ下がりなんだよ、ブン殴るぞマジで。


 あと、僕の大学は山の上にある。で、その大学の敷地内に建つ寮も、当然山の上なわけで。


 つまり、マジで虫が多い。コバエなんて言うまでもなく、この前は廊下と風呂場にムカデが出たし、キッチンにはゴキブリの赤ちゃんが結構な確率で歩いている。これから暑くなるから、いずれ大人のデカいやつも出るかと思うと、身震いする。


 それに、動物も多い。この前は夕方に野ウサギがいたし、夜の散歩に出かけた時には、なんとイノシシが歩いていた。野生のバニーガールなら大歓迎なんだけど、さすがにイノシシは洒落にならない。僕にはまだ、見たい景色も、立ちたい場所もある。会いたい人だって沢山いる。


 まだまだ生きていたいのに、イノシシに凸られて若くして他界なんて、なんのお笑いにもならない。かと言って夜の散歩はやめられない。どうか僕の無事を祈ってくれ。


 あと、一番近いスーパーまで徒歩30分もかかるのがダルすぎる。しかも坂道を行き来するから、暑い日には汗ぐっしょり。初期投資が億劫で自転車には手が出せないでいるから、こっちに引っ越してから永遠歩いている。まるで砂漠のキャラバンだ。



 こんな具合で、不満を上げだすとキリがない。ただ、電気・水道・ガス・家賃込みで月に1万ちょっとで済むという異次元のリターンがあるので、納得はできている。



 つづいては、創作についてだ。


 僕はいま、空いた時間や脳のリソースをすべて、創作に費やしている。


 18歳の日々をそっくりそのまま、小説の執筆にあてている。


 創作について考えない時間が、一日の中でどれだけあるだろうか。


 常に頭の片隅には、「次の展開どうしよう」「こういう言い回しいいな」「あのキャラだったらこう動くかな…」と、自分の書く小説に関するアイディアが、雲のように浮んでいる。他にも、物書きとしての未来について、思いを馳せることも多い。


 今の目標は、第30回スニーカー大賞にて、新人賞を勝ち取ることだ。


 締め切りは今年の9月末日、今から約4カ月。以前書き終えた青春SFと、現在連載中のラブコメの2つの刀で、勝負に出る予定だ。


 僕は大学3年になるまでに、必ず書籍化を果たすと決めている。これは己に課した使命であり、もし達成できなければ、商業作家デビューの夢は諦めるつもりだ。


 僕は18で、創作界隈でもかなりの若手だ。執筆歴だってまだ4カ月。駆け出しと言われても頷くしかないだろう。


 だけどはっきり言おう。僕は天才である。

 無数にいる凡人たちとは、確実に切り離された世界で生きていると断言する。


 先天的に授かった、鋭敏な情緒。


 後天的に積み上げた、深い思考。


 これらの要素が絡み合い、混ざり合い、一つになって、いまの僕という人間ができあがっている。この僕なら、商業デビューだってメディア化だって印税だけで大儲けだって、なんでもできる。僕は僕となら、どこまでも行ける。どこまでも飛べる。



 …そう、信じている、はずなのに。



 未来の天才作家は、今日もPVが伸びなくて落ち込んでいる。

 

 なんでもできるはずの僕は、なんにも結果が出せていない現実に、もがき苦しんでいる。


 いくら、カクヨム上での評価と実際の作品の出来が、比例しないと言えど。


 いくら、どうせ公募に出すんだからWebでの評価なんてクソくらえと言えど。


 やっぱり、悔しいんだ。


 魂こめて書いた作品が、今日も誰にも読まれないことが。自分の方が圧倒的に勝っているはずなのに、自分よりも高い評価を得ている作品があることが。


 悔しい。不公平だ。こんなの運だろ。なんでこんな駄文が。絶対に俺の小説のほうが、面白いに決まってんだろ、クソ。見る目のないバカ共が。え、だってそうじゃん。「異世界無双」だの「ダンジョン」だの、似たようなジャンルの似たようなコンセプトの似たようなキャラクターを、こすりにこすっている書き手もそれを許してる読み手も。まさに「バカの一つ覚え」じゃねえか。くだらねーよ。



 で、「大衆受けなんて気にせずに自分の書きたいものを書きたい!」って声高に叫んでるヤツほど、へっったくそな文章書くんだよなぁ。お前らが見下してる「大衆迎合型異世界モノ」のほうが、まだマシに思えてくるくらい。


 人気なジャンルは、それだけ競争が激しいのだ。きっと無意識のうちに、「自分の実力じゃ異世界系はムリだ」って諦めて、周りには「自分は量産型じゃない!自分にしか作れないモノを!」って豪語して、今日も駄文を量産してるだけ。こういう奴らが一番バカなんだけど、そのバカのほうが僕よりPV稼いでることなんかがザラにあるのだ。


 こうした事情により、僕はいま大変辛い。おまけみたいでアレなんだけど、惚れっぽい僕は大学に入ってから好きな人ができた。まともに人を好きになったのは3年振りなんだけど、やっぱり辛い。片想いしかしたことのない僕は、恋の甘さを知らない。知ってるのは、イソジンに匹敵するくらいの苦さだけ。告白が失敗した後には、毎回きちんと反省して、「もう恋なんてしない」と生まれ変わったような清潔な自分になる。イソジンも喉を清潔にしてくれるから、やっぱり僕にとっては恋なんてただのうがい薬だ。


 大学も創作も恋も、あとここには書かないけどバイトも、全部自分で決めたことだ。他の誰の意志でもなく、すべて僕の僕による僕のためのものだ。


 だからきっと、僕が「しんどい」と弱音を吐いたら、人は笑うか呆れるかして言うだろう。「いや、おまえが決めたことじゃん」と。


 でもこれって、冷静に考えれば意味わかんなくないか?


 なんで自分で決めたことは、苦しくなっちゃいけないんだ?


 物事ってふつう、突き詰めれば突き詰めるほど、嫌な部分が見えてくるもんじゃん。なんで「自分で決めたことだから」というただその一点だけで、汚いものから目を逸らす権利が奪われないといけないんだ?


 今この文章を読んでいる人は、僕のこの質問に答えることができるのかな。もしできるのなら、ぜひコメントで教えてほしい。どうせ「苦しいのも覚悟の上で決めたんだろ」とか「清濁併せ吞む器がないとそもそも成功しない」とか、言われるんだろうけど。そんなことわかってるよ。わかってるけど、やっぱり思っちゃうのは仕方ないじゃん。心がそう感じてるんだから、どうしようもないじゃん。



 …と、まあこんな感じで、僕の病状告白はおわりにしたい。ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。もうすぐこの文章はおわるけど、ここから先は少しだけ明るい内容だ。


 さて。僕は今の日々が、苦しくて仕方がないと散々書いたけど、一番はじめに書いたことは、みんな覚えているかい?


 そう、僕はこの日々が楽しいのだ。苦しみや悲しみを抱えながらも、それと同じくらい、いやそれ以上の喜びや楽しさを、毎日味わっている。


 大学で友達と話すのは楽しいし、授業で新しいことを学んで知識が増えると、それだけで賢くなったような気がする。


 小説は、プロット作成から実際の執筆まで、すべての工程が本当に楽しい。上手に話が作れたり伏線回収ができたり良い文章が書けたりした時は、信じられないくらい気持ちが良い。自分で作ったキャラに感情移入しすぎて泣いちゃった時とか、なんだかすごく幸せな気持ちになる。


 恋だって、やっぱり好きな人と会話できた日はそれだけで元気になれる。あの娘の笑顔を見るだけで癒されるし、それが自分に向けられたものだったら、もうたまらなく嬉しくなる。あの娘と過ごす時間は、僕にとっては永遠に続く夢みたいなものだ。



 きっとこの楽しさが、「人生」という鳥籠の中から僕を逃がしてはくれないのだろう。どんなに苦しくても、辛くても、それと肩を並べられるほどの楽しさがある限り、僕は僕を生き続けるのだ。



 僕たちは、哀れな道化。


 今日も明日も、誰かの掌の上で、踊り続けるしかない。


 そこにある苦しさとも、楽しさとも、僕たちは平等に向き合い続けるだけだ。


 どちらか一方は選べないし、何も知らなったあの頃にも、もう戻れない。


 さあ、明日も踊ろう。


 時の歩みを止めた瞬間とき、真の意味での「死」が訪れるのなら。


 同じ阿保なら踊らにゃ損々♪


 


2024.6.11

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