第8話 ごちそうさま
「あれは……」
私は、その光景をただ見ていた。来栖野君がヒルコを抱きしめ、そして――ヒルコが涙を流し、爆ぜて――いいえ、ほどけていく姿を。
それは圧倒的な呪詛の奔流。怨嗟の爆発。なのに――とても綺麗で、優しくて。
「今の十児は――」
桐葉さんが、そっと呟く。
「自分に向かう呪いを、すべて受け入れている。
かつてのように、誰かに呪われながら、誰かを、そして自分自身を、全てを無差別に呪い、憎しみの連鎖を繋ぐのではなく――
ただ受け止め、受け入れる。
それが、口で言うなら簡単なそれが、どれだけの苦痛を伴うか――
本当に、馬鹿な人」
桐葉さんは、優しく見守っていた。
そうだ――私もあのヒルコに、胎児たちに襲われたから解る。
私自身が生みだした呪いであっても、あれだけ苦しく、おぞましかったのに。
それを全て――その身に受け入れるなんて。
それはどれほどの痛みだろう。
見ればわかる。今の彼は、肌がひび割れ、顔には亀裂が走り、髪は白く染まっている。その容貌は、もはや鬼といってもいい。
だけど――その顔はとても優しくて。
私自身が、救われたような気がした。
ああ――そうだ。
私は、呪われてなんかいない。私が呪っただけだ、自分自身を。
姉に、その子に、恨まれ憎まれ呪われているのだと思って。
だけど――違った。
「ええ。重ねて言うわ、綾瀬紬。
水子は祟らない、誰かを憎む心が育つ前の、無垢なる魂として亡くなったものだから。
そして、貴女の姉も、貴女を呪ってはいない。もし呪っていたなら、貴女の呪いに引き寄せられてここに来ている。貴女を殺しにね。
でも――ここには誰の霊も魂も、来てはいなかったわ」
桐葉さんは言った。
それは――それが本当なら、どれだけ。いや、きっと本当にそうなんだろう。不思議と、今の私は、それを信じる事が出来た。
「……」
私は、そこに倒れる来栖野くんを見る。
彼の中に、呪い達が消えていく。
そして――気のせいだろうか。
空に、消えていくものたちがあるように感じられた。
ここに、死者の魂たちなんて、ないはずなのに――
おぎゃあ、と。かすかに。
今まで私の耳に響いていたような、もの悲しい恨みの泣き声ではなく。
安堵と喜びに満ちたような――
「そうね、ここに魂も霊も無いわ。
だけど、想いは確かにあるのよ」
桐葉さんが言う。
「だから、きっと――間違いじゃない。そしてそれは、あなた自身でもあるのよ」
ああ、そうか。
あの時、姉と一緒に私も――死んでいたんだ。心が。
それがようやく、また……産まれることが出来たのだ。
呪いという胎盤を破って。
私は、ゆっくりと来栖野君に近づく。
そして、彼の前に膝をつき、そっと手を取った。
「ありがとう」
そう呟く。
「私――生きていて良かった」
そして私は、来栖野君の胸に顔をうずめて泣いた。
産声を上げる、赤子のように。
◇
かくして、今回の事件は幕を閉じた。
改めてまとめると、綾瀬が罪悪感と自己嫌悪から呪いを発生させ、無意識のうちに自分自身を殺そうとしていた、というわけだ。
「じゃあ、あの配信者の件はどうなるんだろう」
俺は考える。
あの綾瀬が生みだした水子の呪い――ヒルコが姉の仇と彼らを殺したのなら、あの配信者達の死霊か残留思念があのマンションの幽世宮に囚われていてもおかしくない。
しかし、再三言ったように、あそこには誰の霊も魂も無く、そして残留思念にもそれらしいものは無かった。
「別の呪いじゃないかしらね」
桐葉が屋敷の自室で茶を飲みながら言う。
「綾瀬梓――彼女の姉以外にも、随分とやんちゃしてたようよ、彼ら。
水子は祟らない――だけど、母親や遺族は別。塵も積もれば山となる、その怒りと怨嗟、呪詛は並大抵ではないでしょうね。
その因果が巡り、水子の呪いが生まれ、彼らを殺し、そして消えた――というところかしら。
残念ね、食べ損なったわ」
人を殺すほどの呪いだ。さぞや強力で、桐葉にとっては御馳走だっただろう。それを逃したのだ。
だけど。
「――その割には、残念そうには見えないけどな」
「気のせいよ」
桐葉はぷいとそっぽを向いて言う。
まあ、そういう奴だ。この女は人の心が無い。人の心がわからない。そう自認している。
そう、だから自分自身がどれだけ心優しいのかも、わかっていないのだ。
綾瀬の命を救えたことに喜び安堵している事を、自分自身わかっていない。こいつはそういう、人の心がわからない化け物なのだ。
「この話はここまでにしましょう。ニヤニヤしている貴方がとても気持ち悪いし、それにもうすぐ綾瀬さんが来るわ」
「ああ」
あの後、彼女はそのまま倒れるように眠りにつき、学校も休んでいた。
だが意識が戻り、動けるようになったので挨拶に来ると言う。
「無理して来なくていいのにな」
「そうもいかないわ。これは仕事なのよ、最後の締めまでやらないと」
「そうだな」
確かに、飯のタネを稼ぐという意味では仕事だよな。うん、仕事は大事だ。だから俺の賃金ももうちょっと上げて欲しい。
そうこうしていると、チャイムが鳴った。
*
「本当に……ありがとうございました」
綾瀬は深々と頭を下げる。
「いいって事だよ。大丈夫なようでよかった」
「……うん」
綾瀬は微笑む。その笑顔に、もう翳りはない。
「もう、変な夢も、赤子の幻聴もなくなりました。これも、桐葉さんと、来栖野君の……おかげです。本当に、何とお礼をすればいいか」
「気にすんな。それよりも、また何かあれば言えよ。呪いならいつでも俺が受けてやるから」
呪いたくなったら俺を呪えよ、と俺は言う。その言葉に、綾瀬は笑う。
「うん。その時は……よろしく」
「それで、報酬だけど」
桐葉が口を挟む。
「その前に。まだほんの少しだけど、残っているわね、呪い」
「え……? そうでしょうか」
「ええそうよ。そうね、報酬は……それでいいわ」
「え?」
綾瀬がそう呟やくやいなや。
「――!?」
桐葉は、綾瀬に口づけをした。
「ん……っ、むっ、んん……っ!」
突然の事に、綾瀬は目を白黒させている。そして桐葉は容赦なく舌を絡め、綾瀬を貪っていた。
「ん……っ、ぷはっ」
桐葉は唇を離すと、ぺろりと自分の唇を舐め、そして言った。
「ごちそうさま」
「……え? あ……」
綾瀬は目を回している。そりゃそうだ。
「……そいつの食事、呪いなんだよ」
俺は説明する。
「呪いを食べないと生きていけない、そういう体質なんだ。
呪われ屋は、そのためにやってる。呪物を集めたり、呪われた人から呪いを移したりしてな。
……いやでも桐葉、いきなりそれはちょっと流石にどうかと思うぞ」
「あらそう? ほんの少しの呪いの残滓、十児でも移せるか微妙なものだったわ」
「薄いのは口にあわないんじゃなかったのかよ」
「そんな事言ったかしら」
のうのうと言ってのける桐葉。こいつ本当に、何を考えているんだろう。
「あ……あ、きゅう」
そして、綾瀬は――ぶっ倒れた。
「お、おい綾瀬さーん!?」
ぺちぺちと頬を叩くが、起きる様子は無い。
「あら、不思議ね。ただ食べただけなのに」
「喰うなよっ!?」
これは別の意味で喰ってるだろうこいつ。なにやってんだ。
ああもう。俺は綾瀬を介抱しながら、どうするか頭を抱えたのだった。
◇
呪いや祟りを代わりに受けてくれる人達がいる。呪われ代行屋、彼らに依頼すればあなたは救われる。払う代償はたったひとつ――
そんな都市伝説が、まことしやかに囁かれていた。
そして彼らは実在する。
その代償は――
呪いを、喰われる事。
呪われ体質の俺、その体質を活かして呪われ代行屋を営みダンジョンに挑みます 十凪高志 @unagiakitaka
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