第7話 貴方は私のために生まれてきた

「――――ォォォォォアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!」


 ヒルコが吼える。

 その身は更に巨大化し、肉塊の触手が無数に生える。

 そしてそれは、俺達に襲い掛かってきた。


 俺は村正を構え、そして襲い掛かってきた触手を切り払う!


「ギィイイイイイイイイ!」


 ヒルコが声にならない叫びをあげる。

 だが、その断面は肉で埋まり、すぐに再生する。


「っ、はあっ!」


 俺はヒルコの触手を斬り払いながら、その本体へと迫る。

 だが。


「!」


 切り裂き地に落ちた触手が、胎児の姿になり、そして俺に飛びついて来た。


「おぎゃあ!」

「ぱぁぱ……!」


 赤子たちは俺に噛みついてくる。そして、それに気を取られた隙に――


「ぐっ!」


 ヒルコの触手が俺に巻き付いて来た。


「が、は……ッ」


 そしてヒルコは、その触手で俺を締め上げる。


「っぐ、あ……!」


 ぎりぎりと、みしみしと、骨が軋みを上げる。

 俺は、ヒルコの触手に締め上げられ、身動きが取れなくなる。


「っ、く……」


 そしてヒルコは、その触手で俺を振り回し始めた。


「がっ! あぐッ!」


 俺は振り回されながら、何度も地面に叩きつけられる。


「ぐっ……うあッ!」そして、ヒルコは俺を高く振り上げ、地面に叩きつけた。

「がっは……!」


 俺は血反吐を吐いて、その場に倒れる。

 だが、ヒルコの追撃は止まらない。

 触手を巻き付け、そして――


「……ッ!」


 黒い霧のような、煙のような呪詛が俺り中に流れて来る。


 おぎゃあ、おぎゃあ。


 声が聞こえる。

 赤ん坊の、泣き声が。


『ごめんね』


 気が付けば俺はベッドにくくりつけられ、そして血染めの白衣の医者たちが、俺の腹を引き裂き、


「ぐあああああ!」


 俺の胎からヒルコを引きずり出す。


 暗転。


『お前は生まれちゃいけないんだ、邪魔なんだよ』


 知らない父親が、母親の胎にいる俺を、母親ごと蹴り潰す。


「ぐ、ぐあああああ!」


 暗転。


『ごめんね、産んであげられなくて』


 母親が、胎内の俺と一緒に、ビルの屋上から宙に舞う。

 ぐしゃり。

 そして俺は、アスファルトに咲く赤い花となった。


 暗転。


『お前さえいなければ、私は幸せになれたのに』


 母親が、小さな俺の首を絞める。


「ぐ……あ……」


 暗転。


『お前は、生まれてきちゃいけない子だったのよ』

「っ、う……あ」


 暗転。

 暗転。

 暗転。

 暗転。


 そして俺は――



 村正を振り、眼前の世界を切り裂く。呪詛が見せた悪夢は引き裂かれ霧散霧消した。


「――!」


 ヒルコが動揺するのがわかる。


「無駄よ」


 桐葉が言う。


「十児を呪詛で飲み込もうとしても、詮無き事。

 十児はかつて幾百幾千もの人間からの嫌悪と憎悪、呪詛を十数年間その身に浴び続けてきた。

 そして今や、私の蒐集物の一つの妖刀村正の呪詛すらも抑え込むほどの呪詛をその内に内包する、呪われ体質。

 たかだか、自分を殺すためだけに生まれた自己否定の呪い程度に――来栖野十児は染められない」


 うん、それでもめちゃくちゃ痛かったしつらかったのは事実だけど。

 だがそれでも、負けられない。


「ひとまず、そのゼイ肉を取っ払うか」


 俺は村正を鞘に納め、腰を落とす。

 居合の構えだ。

 そして、村正に、その刀身に、鞘に。俺の中にある呪力を注ぎ込む!


「……ッ」


 村正が震える。かちかち、そしてガタガタと、暴れ出そうとするかのように震える刀身を全力で抑え込む。


「ギイイイイイイイイイイイイイ!!!!」


 ヒルコが突進してくる。

 村正が暴れる。その呪力を、抑え込むのに俺は全力を注ぐ。


 そして――


「俺式・呪装抜刀術――≪はしり≫」


 俺は村正を鞘から抜き放つ!


 瞬閃。

 黒い澱を纏った刀身が走る。


 そして、ヒルコは真っ二つに切り裂かれた。



「あれ……は」


 綾瀬が呟く。そして桐葉が答えた。


「十児の呪力を村正の刀身、そして鞘の中に注ぎ込む。すると閉ざされた鞘の中で膨れ上がり、臨界を迎えた呪力は外に解き放たれようとする――

 そのタイミングで抜刀することで、爆発的な呪力の解放を、ロケットブースターのように反動として加速し、敵を切り裂く――十児の得意なよ」

「ガ……ギィ……マ……マ」


 ヒルコは倒れる。だが、それでも肉体を再構成しとうと足掻く。


「無理よ。極限まで濃縮され爆発した呪詛を纏った斬撃。神にもなれていないヒルコもどき程度では、傷を修復することは出来ないわ。

 十児の敵じゃない」


 ヒルコは残った半身で、それでも俺に向かって這ってくる。

 だがその姿は、もうヒルコでも胎児でもなく、ただの哀しい肉塊だ。


 そう、俺の敵じゃあ……ない。


 俺は村正を鞘に納める。


「マァマァアアアァァアアアアア!!!!」


 ヒルコが叫び、俺に襲い掛かり、噛みつく。


 俺はそれを――黙って受け入れた。


「来栖野くんっ!」


 綾瀬が叫ぶ。俺は黙って彼女に手を向けて制す。


「もういい、もういいんだ」


 俺はヒルコに、そしてそれを産み出してしまった綾瀬に言う。


「わかるよ。お前たちは決して、赤子の魂でも死者の魂でもない。綾瀬の自己嫌悪と自責の念、そしてそれが呼び込んだ、哀しみと後悔と憐憫と嘲笑――そういったものにすぎない、虚ろで幽かな記憶の残滓に過ぎない」


 だけど、それでも。


「それでも、お前たちはここにいる。生まれなかった子供たちを想い、呪いとしてここに在る。

 そして呪いである以上、誰かを救いたくとも救えない、ただ傷つける事しか出来ない。悪意の報いは己に還るしかない。

 わかるよ、俺がそうだったから――」


 そう、三年前。


 この世界は地獄だと、俺は思っていた。


 誰も彼もが理由も無く俺を憎み、俺を嫌い、俺を呪う。

 上等だ。

 俺は救いなど求めない。

 お前ら全てが俺の敵なら、俺はお前ら全ての敵だ!


 ――ずっと、そう思っていた。


 だけどあの日。

 俺の前に現れた一人の少女。


 有栖川桐葉。

 そいつに対して俺は血を吐くような叫びを投げた。ありったけの怨嗟を込めて。


「――黙れ、黙れ黙れ黙れ! 何がわかる、てめぇに……綺麗事で俺が救えるとでもいうつもりかァ!!」


 だが。

 あいつが放った言葉は――。


「いいえ、違うわ来栖野十児。

 私が貴方を救うのではない。貴方こそが私を救ってくれる人よ」


 意味が、わからなかった。


「貴方とは違うけれども、私もまた貴方と同じ。私も呪われている忌み児。

 呪詛と怨嗟を貪り喰わなければ生きていけない――生まれついての化け物よ。

 そう、この世界に呪いは満ち溢れている、貴方の知っている通りに。

 それでも、手を伸ばせばいつでもそこにあるとは限らない。私は今にも飢えて渇いて死んでしまいそう。

 だから――」


 桐葉は手を伸ばす。


「貴方に会えてよかった。

 食べさせて、貴方のその呪いを。貴方が宿す呪いを。

 私のために生きて、私を救って、来栖野十児。

 貴方は――」


 桐葉は微笑んだ。空虚な、それでいて満ち足りた微笑み。


「貴方は私の為に、生まれてきたのよ」


 そんな言葉は、初めてだった。


 存在そのものをずっと否定されてきた俺が、初めて、あるがままを肯定された。

 俺は、生きてていいんだ。

 誰かのための何かになれるのだと――


「だから」


 俺は言う。


「俺がここにいる。お前たちは決して一人じゃない。

 だから――もう、いいんだ」


 お前たちはもう、憎まなくていい。その憎しみは、呪いは、全て。


「その呪いは全部、俺の中に吐き出せ」



 その瞬間――


 ヒルコが、弾けた。



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