第6話 自らを呪う
「……綾瀬」
俺は呆然と立つ綾瀬に声をかける。
「……」
しかし、彼女は答えない。ただ、薄く笑っているだけだ。
その瞳に狂気をたたえて。
「……十児」
「わかってるよ」
綾瀬は、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「綾瀬」
俺はもう一度声をかけるが、やはり彼女は答えない。
そして綾瀬は、俺の目の前まで来て止まった。
「……産み、たい、の」
綾瀬はそう言って、俺の首に手をまわし、唇を重ねてきた。
「……」
俺は黙ってそれを受け入れる。
唇を割り、冷たい舌が入り込んできた。
「ん……ちゅ……」
綾瀬は、俺の舌に自分の舌を絡ませる。
そして。
俺はその舌を噛み、一気に……それを引きずり出す!
「ん、ぐぶぅうううううううっ!!」
ずるずるずる、と。人間の口に、あるいは胃袋に入り切るはずのないものが、激しい音と共に排出される。
綾瀬の口腔から引きずり出されたそれは、内臓の塊だった。
人一人分の内臓。それが綾瀬の口から出てきた。
俺は引きずり出したそれを、ぺっと、と吐き捨て無造作に捨てる。
「ぐ――がはっ、うぇ、ごほっ!」
綾瀬は、その場に膝をつき、激しく咳き込んだ。
桐葉は綾瀬の傍に駆け寄り、その身体を抱きかかえる。
「……っ、はっ……わ、私……は……」
「綾瀬さん、もう大丈夫です」
桐葉はそう優しく声をかける。
「桐葉さん……来栖、野……くん……これは……私は、あれは……っ」
綾瀬は、自分の身体を抱きしめて震えている。
「あれは……お姉ちゃんの……ッ! お姉ちゃんが、その子が……わ、私を、憎んで、呪って、それで……ッ!」
その言葉に呼応するように。
内臓たちが、肉塊が蠢き、その身を持ち上げる。
手足が無く、肉も皮膚も骨も無いその姿は、まるで――蛭だ。
「……ヒルコ」
桐葉が言う。
「古事記においてイザナミとイザナギの間に最初に生まれた神。しかし、まともに生まれなかった不具の児であるため川に流され捨てられた神。
その出自、そして「流された」という伝えから、水子供養の神として結びつけられた――産まれを否定された神」
それが、この肉塊か。
「かみ……さま……?」
綾瀬がそれを聞き、顔を青ざめさせる。
「私は……神様に、罰を……! そう、そうよ……だって私は、お姉ちゃんを見捨てた……お姉ちゃんは、私の代わりに、あんなことに……!
だから私は、私は、お姉ちゃんに、その子供に、呪われて……!」
「いいえ」
だがその言葉を、桐葉は否定した。
「アレは神の雛形にすぎないわ。ヒルコノカミのカタチをもって生じようとしている呪い、だけど神そのものじゃあない。まだ神になってはいない。
ただの怪異、ただの呪いよ」
「でも……でもっ!
それでも自分は姉とその産まれなかった子に呪われている。
そう綾瀬は続ける。
そしてその叫びに呼応して――
おぎゃあ、おぎゃあ。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ――――!
肉の胎児たちが床から、壁から、染み出して来る。その鳴き声が輪唱し、呪詛を奏で、ヒルコが巨大化していく。
「あれは、神じゃあない。そして、貴女のお姉さんでも、その子でもない」
「……!?」
桐葉の言葉を補足するように、俺は言う。
「綾瀬。水子は、決して祟らないんだ。
世間的に、水子は生まれる事が出来なかったことを恨み、母や親類血縁を祟り、様々な障りを起こすって言われているけど――」
「でも、それは真っ赤な嘘。水子供養の概念が生まれたのは江戸時代と近年であって、そしてその時も、産まれることのできなかった子、産まれてすぐに亡くなった子の冥福を祈り供養する、それだけのものだった。
だけど昭和になって、霊感商法が、仏教系新興宗教が、「水子は祟るから大金を払って供養しなければいけない」という商売モデルを思いついて広めた。
高度経済成長期のベビーブームと、それに伴う流産や中絶の増加――
親の、女の罪悪感と絡み合う事で、爆発的に流行し、逸話を塗り替えてしまった」
桐葉が語る。
そう、それが今語られる、水子の呪い。
本来、水子は祟らないのだ。何故ならば。
「呪いとは、感情よ。憎い、羨ましい、哀しい、つらい、許せない――そういった負の感情の煮詰まり凝縮された澱の発露。
そしてそれらは――意識と思考から生まれる。
誰かを憎み羨むという、言語的思考――精神性を発達させる事なく死んだ赤子は、文字通り無垢な魂。誰かを呪う事なんて、絶対にできない」
桐葉は淡々と言う。そう、それが事実だ。
赤子は母を憎いとは思わない。そもそも、自分が死んだ、産まれなかったことすら気づいていない。
呪いようが、祟りようがないのだ。その無垢なる魂に、感情も思考も存在しないのだから。
「じ、じゃあ……あれは!? あの赤ちゃんたちは……!」
そう、それでも水子達はここに実在している。呪いとして。綾瀬紬が憎いと叫び、泣いている。
じゃああれはなんなのか。それは。
「綾瀬紬。あなたの過去――貴女が事件に巻き込まれ、そして自分だけ助かった。そして姉が自殺した。その罪悪感と後悔、そして助かった自分を許せない怒り――憎しみ。
それが生み出したモノよ」
「――!!」
桐葉の言葉に、綾瀬は目を見開く。
「人を呪わば墓穴二つ、悪意の報いは己に還る。
何処かの誰かを呪いし者は、何処かの誰かに呪われる。
それは、自分自身を呪っても同じなんだ。なまじ、無意識下で積み重なった自責の念は強い――容易に自分自身を食いつくす」
俺は言う。
彼女は決して、誰かを呪ったわけではない。だがそれでも、呪いは生まれる。
そしてそれは、その原因を作ったあの配信者達を呪い殺した後――それでも飽き足らず、一番憎い存在を殺そうとした。
それが、この異界――綾瀬紬を呪い殺すためだけの、水子の幽世宮。自縄自縛の呪いだ。
「逆に言えば」
俺は、はっきりと言う。
「こんな有様になっても、お前のお姉さんとその子供の霊は、此処にはない。
少なくとも、お前が思っているように、お前を呪っていることは無いんだよ。
幽世宮の異界は魔物を呼ぶ。だけど俺がここに来るまで、現れたのは――ただの記録の再現だった。赤子の魂も、母親の魂も、どこにもなかった。
だから、お前は誰にも憎まれてねぇよ」
俺は笑う。
そう、幽世宮には様々な魔物、妖怪、怪異が現れる。その性質に惹かれて現れる。
だけど、ここに現れたのは、綾瀬自身が自分を追い詰め殺すための物語に過ぎなかった。
彼女を呪っているのは、彼女だけだ。
「だけどそれでも、お前がお前自身を許せなくて、呪うのをどうあってもやめられないって言うんなら――」
俺は村正を抜き放ち、ヒルコに相対する。
「人を呪わば墓穴二つ――その穴、俺も一緒に入ってやるよ」
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