1-2 『少女』

「おはようございます。これ、ありがとうございました」


 朝のホームルームが始まる前の時間、視線の先には、俺ジャージを手にした神堂凛音が立っていた。

 血まみれになったシャツとは違う、真新しいシャツを着た凛音。本人も、転校初日でシャツを一枚失うとは、思ってもいなかっただろう。


「体調に変化はないか?」


「はい、『異形』によって受けた傷は『異形』を倒すことで完治します。失った血は戻らなので少し貧血気味ですが、大丈夫ですよ」


 凛音は、柔らかい笑みでそう言った。

 一方、教室の各所から、恐ろしいほど冷たい視線を向けられていた。それもそのはず、昨日転校してきたばかりの、ヤンキーの噂もある生徒と笑顔で話しているのだから。

 昨日の一戦があった後に連絡先を交換していた為、昨晩のうちにクラスの噂話については彼女に打ち明けていた。本人はまったく気にしていないようだが、良くも悪くも目立ちはしたくないので、数日の間は噂話を断ち切るのに尽力したいと語っていた。

 

 昨日は初日で緊張していたのか、今日は多くの生徒と積極的に会話をしていた。やはりあれは、根も葉もない噂だったのだ。そして、彼女は噂以上の厄介ごとを抱えていると。


 4限の体育が終わった後、教室は弁当を食べる生徒で賑わっていた。しかし、そこに凛音の姿はなかった。たしか、昨日は自分の席で1人で弁当を食べていたはずだが。今日はいろんな生徒と話していたし、友達ができてその人と食べているのだろう。

 俺はいつも学校の屋上で弁当を食べている。別に、虐められているというわけではない。

 この高校の屋上は生徒の背丈を余裕で超える高い柵で覆われており、生徒の出入りは自由になっている。

 特にこの夏の時期は、パラソルや椅子が出ており、リラックスして食事をすることが出来るのだ。

 今日も屋上には心地の良い風が吹いており、多くの生徒が団欒だんらんしていた。

 その中には、教室にいなかった凛音の姿もあった。


「こんなところにいたのか。一緒に食ってもいいか?」


「あ、はい。屋上に入れると、美来さんに教えてもらったので」


 凛音はコンビニ弁当を食べており、俺は自作の弁当を食べ始める。


「凛音、それなら、美来から残りの七不思議のことは聞いたか?」


「はい。昨日の『異形』が七不思議に含まれていたとのことなので聞いてみました」


「それで、残りの6つは『異形』が絡んでそうなのか?」


 俺の言葉に、凛音は表情を曇らせた。

 

「全てが全てそうだとは言い切れませんが、いくつかは『異形』が絡んでいそうな気がします」


「そもそも、『異形』ってなんなんだ」


 俺の質問に、凛音は食べ終えたプラスチック容器を片付けてから「お答えしましょう」と言って、『異形』について語り始めた。



 異形と呼ばれた存在の始まりは、明治時代に遡る。


 かつて、この地域には三栗屋と呼ばれる集落があった。この集落はなかなか雨が降らず、深刻な水不足に悩まされていた。そこで、集落の有力な御三家の1つ、立花家が近くの湧水から水を引き、集落の各地に井戸を掘って水利システムを開発した。


 ある年の暮れ、住民が相次いで不審死する奇怪な事件が起きた。死亡した人の年齢はバラバラで、争った跡やケガなども見られなかった。しかし、死亡した住民の唯一の共通点は、井戸の近くの家だということ。


 井戸を掘った立花家がこの死に関与しているとして、村人は総出で立花家の人間を集落から追い出した。


 その後も何度か不審死が続き、井戸の水の元となる湧水を調査しに、村人は山を登った。


 いつもは綺麗な水が流れている川だが、山を登って上流に行くにつれて、異臭がするようになった。


 辿り着いた湧水は、もはや湧水とは言えない状態だった。


 どす黒い色の泥が噴出し、まるで泥が生きているようだった。その泥は、湧水を確認しに来た住民の一人を呑み込んでしまった。


 集落で最も権力を持っていた御三家の熊野家は、この事を危険視して、泥を『異形』と名付け近くの神社の神主に『異形』を倒すよう命じた。


 神主は、特別な霊力を持っている巫女と共に『異形』の討伐へ向かった。


 しかし、その強大な力に巫女は屈し、『異形』は巫女を乗っ取ってしまった。追随していた神主を殺害し、そのまま集落から逃げ去った。


 熊野家は、『異形』を討伐する組織、『八咫烏』を組織して、逃げた『異形』の行方を追うように命じたという。


 凛音は伝承を語り終え、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。


「これが『異形』に関することの発端とされています。坂木さんを襲ったあれも、この泥の『異形』の分身といったところですね」


 坂木はその言葉を聞いて、昨日『異形』を倒したときのことを思い出した。『異形』は死の間際、奇妙などす黒い液体をばら撒いて消滅した。あれはその泥ということか。


「それで、神堂さんが組織から追い出されたって言うのは?」


 『異形』の存在と同時に、昨日の話で俺が気になった点についてもう1つ質問してみた。


「それは...あ、はは、私のミスなんです」


 凛音はもう一回お茶を飲んでから、再度語り始めた。


 明治時代に熊野家が組織した『八咫烏』は、昭和の終わりには総勢5万を超える大所帯となった。それを機に、異形討伐連合『常世』と改称して、各地で暴動を起こす『異形』を密かに討伐していたという。

 凛音も、生まれた時から『常世』で『異形』討伐の技術を学んでいたのだが——。


「私の苗字は、再婚した父のものです。私を産んだ両親の苗字は立花。私は明治期に三栗屋集落から追い出された立花家の末裔なんです。熊野家は今も『常世』を取り仕切っているので、私が立花家の人間であると知って追い出したんです」


 なんという酷い話だ、と俺は思った。そもそも不審死の原因は『異形』であり、井戸を媒介して人を殺していたのだろうが、悪いのは立花家ではない。

 それに熊野家が三栗屋を仕切っていた以上、彼らも何らかの形で井戸の恩恵を受けていたことになる。

 その立花家を追放するとは、些か恩知らずなのではないかと疑わざるを得ない。


「まぁ、いいんです。追放はされても、『異形』討伐は『常世』の専売特許ではありません。『異形』は少なければ少ない方がいい。恐らく、私の昨日の『異形』討伐も、既に彼らには伝わっていると思います。それを黙認しているということは、これ以上、私に干渉する気はないのでしょう」


 彼女はお茶を飲みほして、「だから、気にしてないです」と笑って見せた。

 初夏の日差しを受けて輝く凛音の笑顔は、まるで太陽の下で咲く向日葵のようだ。

 そんな彼女の笑顔に見惚れている間に、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。



「神堂さんのあれってやっぱり噂だったんだね」

「確かに、話してみたら普通の子だったよね」

「でもちょっと変わってるっていうか、不思議な人だよね」


 プールサイドで話す女子の声が耳に入り、クラスには一応馴染めているようだと安堵する。

 

「35.83。最高記録だね」


 50メートルクロールの記録は、クラスの女子の誰よりも速かった。まさか水泳部の生徒よりも早く泳げてしまうとは、相変わらず自分の体がおかしいんじゃないかと疑いたくなる。

 そういえば、昨日の戦いの後、坂木さんにも似たようなことを言われたような。


「身体能力化け物でしょ」


 人より三半規管が発達しているのか、五回連続でバク宙したところで体がふらつくことはない。『異形』との戦闘によって鍛えられたのだろう。

 転校前の噂はある程度払拭することが出来ただろう。どこの誰が漏らしたかなんてわかっているが、いまさら恨んだところでどうしようもない。

 私はこの高校に、人間関係の構築を望んでやってきたわけではない。あくまで、これは『異形』討伐のためだ。


「2つ目の七不思議はー、ずばり、プールに出現する海坊主!うちの高校のプールはね、日が沈むと海坊主が現れることがあるの!グラウンドに遅くまで残ってる野球部の子がよく見るらしよー」


 プールの水面を見つめながら、午前中に美来が言っていたことを反芻する。

 この水自体、とても『異形』とは思えないが。こんな身近に『異形』が潜んでいるというのだろうか。まだ100%『異形』と決まった訳ではない。あくまでこれは調査だ。今日がプールの授業で助かった。

 結局、プールの授業で海坊主が現れることは無かったし、『異形』らしい形跡を見ることもできなかった。

 やっぱり夜中にプールに忍び込むしかないだろう。

 しかし、昨日はたまたま校内だったからいいものの、プールとなれば話は別だ。先ほど、水泳部の部員に聞いたが、プールは放課後に施錠されるという。


 結局、解決策が思い浮かばないまま放課後を迎えてしまった。


「そういうことなので、私はプールに向かいます。本当かどうかは分かりませんが」

「そうか、俺は部活だ。あんまあいつの言葉を信じるなよ?誇張されてるんだから」


 坂木さんの意見には同感だった。美来の語りは、人を信じ込ませる不思議な力がある。

 美来から聞いた七不思議はどれも伝聞。美来本人が見たという事例は一つもなかった。だからこその調査。

 そして、『異形』が関わるかもしれないからこそ——。


「何かあったら、いえ、なんでもないです」


 そこから先を言ったら、また何かを失う気がしたから言わなかった。


 初夏のせいで陽が落ちるのは遅かった。陽が落ちるまでの間に、私は、誰もない教室で愛武器を整備し、万全に備えた。

 時刻は18時。日は完全に山に呑まれ、辺りは真っ暗になった。そろそろプールへ向かおうと教室を出た。

 プールは施錠されるが、所詮は金網だ、監視カメラがないことは確認済みなので、よじ登って侵入する作戦で行くことにした。


 プールに近づいても、異音や異臭はしてこなかった。フェンスの小穴につま先を掛け、プールサイドに降り立った。

 午前中と変わらず、プールの水は透き通っており、これと言って異常はない。やはり、美来の作り話だったということか。それならそれで一安心なのだが。

 さっきから、背後に冷たい気配を感じている。


「そういえば、プールにはもう1つ不思議がありましたね。『振り向き少女』。プールサイドにふざけて忍び込んだ生徒が、背中を突かれて後ろを向くと、大きな口の裂けた女が襲ってくる」


 もはや七不思議なのかと疑いたくなる内容だが、美来は面白おかしく語っていた。

 指環を外し、薙刀を携えた。

 拍動が早くなる。ビビっているのか、私は。それとも、戦闘に入る興奮か。


「準備は出来てますよ」


 私は振り返ると同時に、薙刀を横に振るった。

 しかし、そこに『振り向き少女』の姿はなかった。てっきり、恐ろしい形相の女が立っているのかと身構えたが、何もいないのでは話にならない。


『違う。そっちじゃない』

 

 声がしたのは、自分の背中からだった。

 その声に注意を奪われ、行動が遅れた。次の瞬間、背中を縦に切り裂くような激痛が走り、プールサイドに赤い液体がぶちまけられた。

 私は咄嗟の判断で前へ走り、距離を取ってから後ろを向いた。

 そこに立っていたのは、黒い制服を着た女性生徒だった。手に持っているのは、黒光りするなただった。


「随分と、おっかないものをお持ちですね、『振り向き少女』さんは」


 虚勢を張っても無駄だと分かっていた。相手の先制攻撃は、一気に私の体力を奪い去った。これほどのケガは、戦闘のパフォーマンスにも影響を及ぼす。

 そして私は知っていた。あれが、『振り向き少女』が『異形』でないことを。

 この傷はあれを殺したところで塞がらない。

 立っているのもままならい激痛が、心臓が鳴くたびに体中を駆け巡る。


「久しぶり。立花凛音」


 黒い制服の女は、長い前髪を振り払い、口角を上げた。

 

「裏切者に耳を貸す気はありません。失せてください」


 言葉を発するのも精いっぱいだった。呼吸はだんだん早くなり、立っていることが出来なくなった。


「弱い。弱い。裏切ったんじゃない。強い方を選んだの」


 長髪の女は、ゆっくりとこちらに近づいてきて距離を詰める。殺意に満ちた鋭い瞳が、膝立ちになる私を睨みつける。


「懐かしい。お前と何度も戦った日々。今では黒歴史になりそう」


 女の振るう一撃を、瀕死覚悟で受け止める。その重たい一撃を、瀕死の体が支えきれるわけもなく、私の体は簡単に弾き飛ばされる。

 プールサイドに血のレッドカーペットを作り、華やかでも何でもない女がその上を歩く。


「いつまで抗うの?お前は私に勝てない。だってお前は、弱いんだから」


 その言葉は、ずっと前に同じ女から聞いた言葉だった。それが悔しくて、何度も訓練を続けて、挑んでは負けて、それでも諦めたくなくて——。

 背中の痛みが和らいだ。体が興奮状態にある。目の前の女に、負けてはいけないと。


「失せろって、いってるじゃないですかッ」


 その突然の一振りに女が対応できるわけもなく、彼女の制服の腹部から胸部にかけてが斜めに裂けた。 

 遅れて血が舞い、彼女は体勢を崩す。そして、今までの余裕の表情が顔から消える。


「どうしたんですか?ほら、来てくださいよ。口だけ女さん」


 女は歯を食いしばり、鉈を振るう。

 薙刀と鉈がぶつかるたびに火花が散り、カメラのフラッシュのように周囲を照らす。


「弱いのはどっちですか。時機に分かりますよ。お前はいつも、立場が弱くなると逃げるんですからね。そして組織からも逃げた」

「黙れ、黙れ、黙れッッ!」


 鉈を振るう力が増す。ようやく本気を出したのか、それでもここまでか。

 根が弱い人間は全てが脆い。自分を強く見せたいプライドから虚勢を張り、鍛錬を怠る。その慢心が後の自分を蝕むとも知らずに。

 この女は弱い。私に不意打ちをつけたから優位に立てたものを、その立場におごって私が攻撃しないものだと決めつけた。


「それが本気?弱すぎるよ、『異形士』がッ!」

 

 『異形』を倒す者を討伐士と呼ぶように、『異形』を作り出す者を異形士と呼ぶ。

 『常世』の訓練生時代、この女は最終試験で私との戦いを放棄して組織から抜け出した。

 そしていつの間にか、『異形』を作り出す側の人間になっていた。


 薙刀の突く動作に、彼女は慣れていない。

 私は思いっきり薙刀を彼女の顔を目掛けて突き出した。彼女は直前でそれを避け、薙刀の刃は頬を掠めた。

 彼女は後ろへ下がり、そのままプールから姿を消した。


「臆病者。だからお前は、私に勝てないんですよ」


 勝負から逃げ出す。自分が勝てると思った試合しかしない。心の底から弱い女。

 荒城海凪あらきかいな。『常世』の訓練生時代の仲間であり、裏切者。


「許さないですよ。私はあなたを、絶対に殺しますから」


 足から力が抜けていき、そのまま全身が動かなくなる。

 意識はそこで途絶えた。そこから先は何も覚えていない。ただ、たくさんの声が私を囲んでいたことは覚えている。





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地平線の果てより 如月瑞悠 @nizinokanata2007

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