地平線の果てより

如月瑞悠

第一章 学校の七不思議

1-1 『異形』

 今日、この学校にやってくるという転校生。通常なら、賑やかな話題としてクラス中を駆け回るとこだろうが、今回は違っていた。

 どうやら、その転校生の悪い噂が流れているという。

 以前の高校では、ヤンキー集団に所属していたらしい。

 以前の高校では、学校中の至る所を破壊したらしい。

 以前の高校では、いじめの首謀者だったらしい。

 そんな、根も葉もない噂が立ち込めており、教室はいつになく静寂に満ちていた。

 ひそひそと、噂を広げていく卑しい声だけが教室に溜まっていった。


 朝のホームルームを始める鐘が鳴り、それと同時に担任が教卓に立った。


「みんなは既に知っているようだが、今日から子のホームルームに新しいメンバーが加わる」


 担任は、いつもと変わらない低い声でそう言い、扉に向かって「入れ」と合図を出した。

 噂を鵜呑みにしていた生徒たちは、教室に入ってきた転校生の姿を見て、息を飲んだ。

 ヤンキー集団、破壊神、いじめの首謀者、そんなワードとは結び付かない、容姿端麗な女子生徒が入ってきたからだ。

 転校生は、緊張している様子もなく、淡々と担任の横へ歩いてきて、軽くお辞儀をした。


「初めまして。瀬崎第四高校から来た神堂しんどう凜音りんねです。よろしくお願いします」


 透き通るような柔らかい声で自己紹介を終えた彼女は、用意されていた席に着いた。

 紺色のショートヘア、何を考えているのかが読み取れない瞳、右手の薬指に付けた銀色の指環。噂のような悪意は感じ取られない。ただ、少し他の高校生とは違う、異質な雰囲気を身に纏う生徒だと思った。


 自分から見て2つ隣の席。朝日を浴びて照らされた横顔は、さっきのきりっとした表情より幼く見えて、でも、どこか美しい。


 俺、坂木劉弥さかきりゅうやは、他より少し頭がいいだけの高校生である。勉強が好きというわけでもなく、ただ、覚えるが早いだけなのだろう。テストの順位も学年で一桁台で、学力と知識量には自信がある。

 部活は男子バレー部のマネージャーで、マルチタスクをこなせる自分にはもってこいの役目だった。

 恋愛に花を咲かせたことは無いが、それなりに満足した学校生活を送っていた。

 この、神堂凛音と関わるまでは——。



 放課後、バレー部も帰る時間となり、各々が帰宅の支度を始めていた。初夏なだけあって、陽が落ちるのも遅くなってきた。

 俺は、顧問に頼まれてバレー部の部室の鍵を職員室に返しに行くことになった。

 この時間はどの部活も既に下校しており、教室棟は薄暗く、静まり返っている。


「そういえば、新聞部の中村が『七不思議』でも話してたな」


 俺のクラスメイトで友人、中村美来なかむらみくは、かなりのオカルト好きである。小学生が話していそうな、荒唐無稽な夢物語を高校生である俺らに披露してくるのだが、あいつには語りの才能があるのか、聞いていると面白い。


「夜7時以降に教室棟の2階の廊下を歩いてるとね、急に足を掴んでくるお化けが出るらしいよ~」


 そんな話をしていたのを思い出した。腕時計を見ると、時刻は既に7時18分だった。無論、俺は心霊や占いの類は全く信じていない。幼い頃に幽霊らしきものを見た覚えはあるが、占いに関しては当たった覚えが一度もない。

 ましてや中村の話など、ネタ程度にしか聞いていないのだが——。

 背後から誰かに見られているような感じがした。

 振り向いてみても何もいない。場所は教室棟の2階。職員室に行くには絶対にこの廊下を通らなければならないのだ。

 空はまだ少し明るいため、そこまで恐怖することはなかった。


「所詮中村の話、所詮中村の...話」


 足取りが重い。そう思った時には既に遅かった。

 全身がプールの中にいるような重い感覚に支配される。目の前に見えていたはずの職員室の明かりは、いつの間にか消えている。それどころか——。


「エンドレス廊下...嘘だろ」


 永遠と廊下が続いているようだった。

 足に力を入れて1歩を踏み出そうとしても、足に接着剤がついているかの如く持ち上がらない。

 だんだん、頭が重たくなってくる。全員の体力が、足から地面へ吸われているようだ。


「だめだ、このままだと、上肢の動きまで支配されたらそれこそ終わりだ」


 かといって何か対抗策があるわけでも、武器を持っているわけでもない。手にしているのは部室の鍵だけだ。

 絶望的な状況下、トイレの水が流れる音が聞こえた。

 人がいるのが分かっても、声を出すことはままならなかった。


「たす...け...」


 掠れ掠れの声でどうにか足搔く。

 どうやら音がしたのは女子トイレのようだった。

 出てきたのは、紺髪の美少女、神堂凛音だった。


「待っていた甲斐がありました。動かないでくださいね」


 凛音は、右手の薬指に填められていた銀色の指環を外した。その瞬間、指環が溶けるように形状を変え、銀色の刀身の薙刀へと変貌した。

 彼女は颯爽と俺の方へと近づいてきて、俺の足元目掛けて薙刀を突き刺した。

 その瞬間、全身の五感が自分のもとへ帰ってきた。足に力が入り、声も出せる。


「神堂さん、これは一体どうなってるの」


「質問は後にしてください。それと、死にたくなければ私から、できるだけ遠ざかってください」


 かなり切迫した状況のようなので、俺は無言でその言葉を信じた。


 彼女は薙刀を構えたまま、消えた職員室の方、エンドレス廊下を睨んでいる。

 彼女が足に力を入れて攻撃態勢に入ったと同時に、廊下の床から無数の白い腕が生えてきた。

 無数の腕は、彼女を掴もうと彼女目掛けて伸びてくる。

 弱そうな白い腕とは裏腹に、薙刀とぶつかり合って鋼のような甲高い音を立てる。

 凛音は可憐なジャンプによって、迫りくる腕を避けつつ、エンドレス廊下を進む。

 凛音に飛び越えられた腕は床に消えていき、新たに彼女の前にはばかる。

 本能が、追うしかないと吠えていた。


 どれだけ進んだだろうか。後ろを振り返ってみてもエンドレス廊下を進んでいる気配はなかった。

 確かに進んでいるのに、後ろを向けば同じ風景。とても気持ちの悪い感覚だった。

 凛音も疲弊しているようで、さっきに比べてかなり戦闘のフォームが乱れている。ただし、さっきから平然とバク宙を繰り返している当たり、まだ余裕はありそうだ。

 戦闘開始から10分経過しただろうか、俺は無力な自分が惨めに見えてきた。よくわかんないけど女子生徒が戦っているというのに、このままでいいのだろうか。


「神堂さん、俺、先生を読んでくるから——」


「無駄です。この廊下は無限に続いてます。2階から逃れることはできませんよ」


 本当にエンドレス廊下だったらしい。

 凛音が白い腕との猛攻を繰り広げて20分経過したとき、ようやく職員室の明かりが姿を現した。

 すると、白い腕は続々と床に姿を消していった。

 そして、白い『人』が現れた。

 例えるなら棒人間だろうか。細い手足に細い胴体。顔は不気味なほど綺麗な円で、目などはない。

 どうやら本体が姿を現したようだ。


「空間異常は終わりました。もう逃げられますよ」


「おう、じゃあまた...って帰れるかよ」


 すんなりと今の状況を受け入れるつもりはなかった。

 自分の身の安全を考えたら逃げるのが先決だが、ここで彼女を置いて逃げるのは倫理的に問題があるだろう。


 『人』は凛音に向かって細い腕を振るってきた。

 相変わらず、その華奢な容姿からは考えられないような金属音が鳴り響く。一体、あいつの体はどういう物質で作られているのだろうか。

 どうやら『人』の体はさっきより硬くなっているようで、薙刀とぶつかるたびに火花を散らす。

 

「随分、手強いですね」


 限界が来ているのか、凛音は宙を舞って『人』と距離を取った。

 彼女は右足を一歩引き、助走をつけて『人』の顔を斬りつける。

 しかし、薙刀が『人』の顔に触れる直前で、急に巨大化した手によって彼女の体は軽々しく弾かれた。

 彼女は受け身を取って着地するも、20mほど吹き飛ばされた。

 『人』は、ゆっくりと俺の方に向かって歩いてくる。どれだけ凜音が頑張って走っても、俺との交戦には間に合わない。

 

 行動するしかなかった。

 俺は凜音が落とした薙刀を手に取り、迫りくる『人』に向かって振るった。

 凜音に比べれば不格好すぎるが、手ごたえはあった。

 サクッという、『人』の腹が切れる音。

 それと同時に、グシャッという、とても耳障りな音もした。


「坂木さん、早く顔を」


 俺はその声を聞き終える前に、薙刀を『人』の顔面に突き刺した。

 その瞬間、『人』は細い体を大きく仰け反らせた。白い肌の表面からボコボコと黒い物質が増殖し、やがて『人』を覆った。

 そして、どす黒い液体を振りまきながら『人』は消滅した。


「神堂さん、だいじょう...」


 ぶ、と言い終える前に、彼女が大丈夫でないことは一目でわかった。

 白いシャツの腹部が真っ赤に染まり、廊下には小さな血溜まりが出来ている。

 かなり重症に思われたが、彼女は平然と立ち上がって薙刀を手に取った。薙刀は再度溶解して指環に戻り、彼女の右手の薬指に収まった。


「最後の最後で攻撃転移を見逃しました。心配かけて申し訳ありません」


 制服には確かに俺が薙刀を振るった形で破けたあとがあり、大量の血液が付着しているが、破れた場所から見える腹部に傷跡はなかった。


「異形を倒せば傷口は塞がります。ですので、あまり見ないでください」


 照れているのか、戦闘による興奮か、彼女は頬を赤く染めてそう言った。

 傷口が塞がっているとはいえ、傍から見るとかなりグロテスクな惨状なので、俺のジャージを貸すことにした。

 彼女が着替えている間に職員室に戻ると、そこには何も知らない教師たちが残業していた。


 校門を出ると、学校の鞄を抱えた凜音が待っていた。上下ジャージを着ており、腹を切り裂かれたとは思えないほどぴんぴんしている。


 既に空は薄暗く、公園の街灯には小さな虫が群がっている。

 俺は、自販機で買った炭酸を凛音に手渡した。


「一体あれが何だったのか、説明してくれるか?」


 凛音は炭酸を口に含んだ後、ゆっくりと頷いた。


「あれは『異形』。私は『異形』を倒すことが出来る、特殊な人間ってところです」


 にわかには信じがたいが、さっきの戦闘を見たからには信じるを得ない。

 

「本来は、異形討伐連合『常世』という組織の役目なのですが...」


「ですが...?」


「追い出されました!」


 凛音は、今までに見た事もない満面の笑みでそう答え、俺を大いに困惑させた。


 つまるところ、運営母体に嫌われたがために組織を追い出されたらしい。

 こんなに礼儀正しい人間がなぜ運営から嫌われるのか不思議で仕方がないが、そこを深掘りすることはしなかった。


「追い出されたものの、『異形』の気配を感じ取ったのでこの学校に来たんです」


 異形討伐連合に所属していなくても、『異形』の討伐は可能だという。

 凛音は「それと」と言って、俺の方を向いて視線を合わせた。


「どうかこの事は学校側には黙っていてください。知られると面倒なので」


 転校してくる前のことなど、聞きたいことは山ほどあったのだが、今日は遅いしやめておくことにした。


「それじゃぁ、気を付けて帰ってね」


「はい、面倒なことに巻き込んでしまって申し訳ないです。それでは、お気を付けて」


 こんな薄暗い夜道を、女子高生1人で歩かせるのは危ないとも思ったが、彼女ならなんとかなるだろう。

 あの戦闘の最中に見せた5連続バク宙。彼女は人間を超えた身体能力を持っている。

 彼女は一体何の部活に入るのだろうか。きっと、明日は彼女の部活見学があるだろう。

 クラスメイトは未だに根も葉もない噂を信じているのだろう。


「人間の脅威となる怪物と、それを倒せる特殊な人間か」


 人生を狂わすような出来事に巻き込まれたと、俺は人生で一番大きなため息をついた。

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