雀の涙

香久山 ゆみ

雀の涙

「いやあ、やっぱり売れなかったよ」

 赤い顔してへらへら帰ってくる。また取引先と飲んできたのだろう。聞けば、相手は年下だったから奢ってやったと言う。だから、僅かばかり売れた代金もすっからかんだと。

 いつもこうだ。お金もないのに、外ではいい顔ばかり。だから家計は火の車だ。なのに、平気で家に客を連れてきたりする。

 先日は終電を逃したから泊めてやってくれと若い女の子を連れ帰ってきたので、流石に非常識だと怒った。スマホを弄ぶ女の子の隣で盛大に夫婦喧嘩して、なけなしのへそくりからタクシー代を払って帰らせた。結局そのお金は返ってこないし、夫も怒って出て行くしで散々だった。貧乏でいいことなんて一つもない。だから夫には頑張ってもらいたい。

「晩ごはんは?」

 溜息を押し殺して訊く。仕事なんだもの、ある程度の付き合いは仕方ない。

「食べてきたからいらない」

 と、脱ぎ散らかしたまま、千鳥足で寝室に入っていく。そのあとを追って片付けていく。

「あら、これ何?」

 仕事の荷物に紛れて、小さな折り詰め。

「いいもの貰ったけど、一人分しかなかったから、帰り道で食べちゃった」

 回らぬ舌で言うと、もう大鼾をかいている。毎日遅くまで頑張っているのだから仕様がない。夫もこんなお人好しでなければ、今頃それなりの貯えができていだろうに。小箱を開けると、夫の言う通り中身は空っぽだった。一粒だけ残っていた米粒を指で掬って食べると、溜息が出た。

 一人きりの食卓で、すっかり冷めた夕飯を食べる。夫の残した分は、明日の朝昼に私が食べる。彼には温かい物を食べて精を出してもらわなきゃ。


 お義母さんが体調を崩したと伺い、見舞いのため久々に街に出た。義母宅の溜まった家事を片付ける間中、あんたじゃなく息子の顔を見たかったと嫌味を言われて辟易した。

 けど収穫もあった。街では夫が作るのとよく似た靴を履く人が大勢いた。流行の兆し。

 うきうきした気分で大通りで買い物をした。地元の商店街で買った方が安いので、普段なら絶対こんな場所で買い物したりしない。けれど、やはりツキが回ってきているのか、買い物後の福引で、お食事券が当たった。

 日頃仕事を頑張っている夫へ、たまには贅沢してねとプレゼントしようかと思ったが、自分のために使うことにした。悪い妻だ。

 ファミリーレストランならば、この食事券で夫婦二人食事できたかもしれない。けれど、夫は今夜も遅いと言っていたし、私が街へ来る機会もない。思い切って、お洒落なダイニングバーに入った。

「あっ、ノリさんの奥さん」

 入店するや、若い店員が私の顔を見て言った。確かに夫の名だが、彼女に見覚えはない。

「どこかでお会いしたかしら?」

「いえ……。奥さんのこと、チイ子のSNSで見て。ご存じないんですか?」

 彼女の話を聞いて、「チイ子」が先日夫が連れてきた子だと知った。

「私、携帯電話を持っていないから」

 そう言うと、彼女は自身のスマホで画面を見せてくれた。うちで隠し撮りしたような写真。夫と女性の顔は加工で隠されているが、私の顔は剥き出しで映っており、「ノリくんの鬼嫁w」とキャプションまで付いている。

 画面をスクロールし他の写真も見せてくれる。高級レストランで、テーマパークで、二人はまるで恋人同士のように寄り添っている。

「今日もチイ子は無断欠勤で。たぶん、ノリさんと一緒だと思います」

「けれど、こんな若くてきれいなお嬢さんが、なぜお金もないうちの夫に?」

 私の質問に、彼女は唖然とした。

「奥さん知らないんですか? そうか、スマホもパソコンも持ってないから……。ノリさんの作る靴は今大流行しています。高値で取引もされて。ノリさんがお金ないわけないです」

 スマホ画面に「ノリくんに買ってもらった☆」と高級バッグが映し出される。

 客が増え、彼女は仕事に戻って行った。

 せっかくの料理も、その後は何を食べても味がしなかった。さっさと食べ終え、会計で食事券を出す。

「まだ額面に余裕があるので、お土産でもどうですか?」

 残額で買えるのは、これとこれです。レジ前の見本を示しながら、店員が教えてくれる。

「寿司折一人前か、レトルトカレー六箱セット。同じ値段ですけど、正直寿司折の方がお得です。今なら喉黒の握りも入っていますし」

 カレーの大箱に迷わず伸ばした手をぴたりと止める。隣の小さな箱には覚えがあった。私は無意識に夫と二人で分けられる方へ手を伸ばした。けれど、夫は私のことなど思い出しもしなかったのだ。

 きっとまた二人で馬鹿にして笑うのだろう。そう思いながら私は大きな箱を選んだ。

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