卯月二一

この月は 君まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと

我が待ちれば 黄葉もみちばの 過ぎてにきと 玉梓たまずさ

使つかひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地おほつち

ほのほと踏みて 立ちてて ゆくへも知らず 朝霧の

思ひ迷ひて 杖足らず 八尺やさかの嘆き 嘆けども

しるしをなみと いづくにか 君がまさむと 天雲あまくも

行きのまにまに 射ゆ鹿猪の 行きも死なむと 思へども

道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに のみし泣かゆ


〔万葉集 巻十三挽歌より〕


 

 20XX年6月。人類は突如空から降り立った未知の存在の攻撃を受けた。それまで行われていた同じ人間同士の争いは、すべてこの地球外からの敵へと向けられることとなり、その意味では世界から戦争は姿を消したとも言える。しかし、この侵略に対する戦いを誰も「戦争」と呼ばないのは、あまりにも開きすぎた力の差による。張り巡らされた海底ケーブルは破壊しつくされ、通信衛星も消息を絶った。インターネットは沈黙し国を越えた通信手段は限られたものとなっている。


 


興梠こうろぎ少尉、内地から手紙が届いてますよ」


「ああ、島田。ありがとう」


 僕は高校を出たばかりでたいして歳の変わらない島田から手紙を受け取る。少尉とは呼ばれてはいるがこの国の軍隊はもうすでに組織として機能していない。かつての自衛隊は『敵』の侵攻により国防軍と名を変えたが多くの死傷者を出し、離脱者が相次いだ。前線にいるのは僕や島田のような志願した連中である。同盟国であったアメリカはもうこの星には存在しない。ロシアも中国もヨーロッパの先進国もまっさきに宇宙からの『敵』により滅ぼされた。世界の状況はいまとなっては正確な状況を把握することはできないのだが、残されたのは日本という極東の島国だけなのではないかと僕には思える。


「何すか? 写真ですねぇ、うひょっ! これは美人さんじゃないですか。えっと、妹さんか何かで?」


「おい、こら! 勝手に見るな。違う、これは。つ、妻だ……。二ヶ月前に内地に戻った時に撮った写真が現像できたようだ」


「セーラー服? 俺の高校ブレザーだったんで憧れますねセーラー。一応空軍所属なのに、ですけど。いや、俺が着るってことじゃないっすよ!」


「阿呆、それくらい俺にも分かる。だが、俺の妻が制服着てても驚かないんだな?」


「ああ、それですか。同級生にも結構いたんですよ。彼氏が戦地に赴く前に籍だけ入れちゃうっての。18になれば親の同意なんて関係ねえっすから」


「そうなんだ……」


「でも、字もきれいですねぇ。写真もちゃんと現像できてるし、もうデータで持ってても見られる媒体がないですからね」


「勝手に読むな! ああ、スマホが懐かしいな。いまや精密機器はすべてお国に献上だからな」


「もしかしてこれってフィルム写真なんっすか?」


「そうだ。彼女は俺なんかよりも機械いじりが得意でな。自作でカメラを作ったんだ」


「すげえ!」


「高校を卒業して今は国立大の学生をしながら、俺達の乗るような戦闘機の開発を手伝ってるよ」


「おおっ! 美人で賢い新妻さんか。興梠こおろぎ少尉、帰りたいでしょうに……」


「それを言うな……」


「そうっすね」


 内地、そう日本は不思議なことに『敵』の直接的な攻撃を受けてはいない。沖縄を除いてだが……。今年の1月、沖縄近海に『敵』のものと思われる巨大な構造物が出現。母国を失い取り残された在日米軍とともに新生国防軍が立ち向かうも敗北。全滅したという通信を最後に連絡が取れなくなっている。内地では完全な情報統制が敷かれており、噂レベルでは世界が大変なことになっているらしいことは知ってるが、それを表に出すこと無く淡々と日常が維持されている。これを日本人の民度の高さといっていいものかは分からないが、歴史的にも大きな困難も受け入れられる国民であることは間違いないと思う。


 僕の部隊は二ヶ月前の6月から特別休暇なるものが上から与えられることになった。この『上』というのは今や形骸化してしまっている作戦司令本部のことである。我が国の誇る世界第何位かだったスパコン「富岳」によるシミュレーションでもこの戦いの勝率はゼロがいくつもならんだ上での数%で、お手上げ状態。結局、現場が独自の判断で自らの命を対価に戦いを挑んでいるのだ。しかし、大規模攻撃作戦に関しては各支部への命令権限はあり、僕達はそれに従わなければならない。この特別休暇はその命令が近々下されることを意味しているのだ。


 自室に戻り、手紙に目を通す。慣れない手書きのはずなのに島田の言う通りきれいで整った文字だ。ところどころ鉛筆で書いた下書きを消した跡が見える。文章の苦手な彼女らしくぎこちない表現がかえって僕の心に染みた。


「帰ってきてね。絶対……。これって絶対に守んなきゃいけない約束なんだからね」


「君も国の仕事を手伝ってるんだから知ってるだろ……」


「そんなの関係ない! まだ式も挙げてないのよ。私の旦那様はこんなに可愛いお嫁さんを不幸にしたいのかしら?」


「い、いや……、でも」


「絶対帰ってきて……」


 あのときの彼女との最後の口づけを思い出す。蛍の飛び交う思い出の場所、小川の水が澄んだところだ。



 翌日、鹿児島の知覧ちらんにある僕達の基地に出撃命令が下る。


興梠こおろぎ少尉、俺達人類の最新兵器がプロペラ機ってのも『敵』さんもビックリでしょうね」


「そうだな。連中は俺達の遙か先の科学技術を持ってる感じだから、意外と対応に困るんじゃないか」


 僕達の目の前にあるのは太平洋戦争末期、『国滅びて銀河あり』と言われた陸上爆撃機『銀河ぎんが』を復刻したものである。あまりに精巧に作られていた試作機は、量産のために再設計しなおされたという。それをさらに改良し性能を向上させたのがこの新生『銀河』である。この設計改良には僕の妻も参加している。


 無線関係も『敵』によるジャミングにより役に立たない。飛び立ったらあとは己の判断しかない。ドローン兵器も使えず、直進的なミサイル攻撃もなんなく撃ち落とされる。最後に人類が頼ったのは己の身体であった。


「本来は三人乗りなんでしょ?」


「ああ電信員は要らないからな、俺とお前の二人だ」


「はあ……、地獄への片道切符が二枚っすか」


 島田は遅れて僕の後ろの座席に着く。


「おいおい、ため息つくなって。ちゃんと帰りの燃料も積んでる。大昔の特攻じゃないんだ。戦果を上げて帰ったら英雄だぞ」


「いや、俺そういうの興味ないっす」


「だったら俺の妻の女友だちを紹介してやろうか?」


「ま、マジっすか? お、俺やる気出てきましたよ少尉殿!」


 ああ、絶対に僕は彼女のもとに帰るんだ。



 続々と他の機が離陸していく、僕達の『銀河』も青空へと舞い上がった。


『敵』は地球の科学技術を数日で模倣し、さらにその上を行くようになった。アメリカの最新ステルス戦闘機をコピーしたものが世界の主要都市を襲った。沿岸都市に対してはイージス艦によるミサイル攻撃。そういった『敵』の模造兵器は性能も威力も地球産のそれを凌駕していたが、数時間経つと消失した。それらを生み出すのが沖縄に出現した巨大構造物だろうということだ。ノルウェーがそれを破壊し一矢報いたという定かではない情報が一件だけ残されていた。それに賭けた今回の大規模作戦である。4隻あった空母最後の生き残り『いずも』も航海がやっという状態での出撃である。


「あっ!?」


 島田のあげた声と同時に味方機が炎に包まれた。


「まだ会敵は先のはずじゃ……」


 次々と落ちていく友軍機。操縦桿を握る僕の手の震えが止まらない。僕達の動きを『敵』が把握しているだろうことは予想してはいたが、これは早すぎる。意表を突かれた形で混乱に陥る国防軍。これで当初用意されていた一斉攻撃での作戦は白紙となり、各機が独自の判断での行動となる。通信手段を封じられるということは戦争においては致命的。だが、それを承知で僕達は戦ってきた。あれは『F-35 ライトニング II』の模造兵器か、このプロペラ機では勝負になるはずもない。


 味方が散っていく。海上からの『敵』艦船の速射砲の雨を掻い潜りながら、僕は海上すれすれで『銀河』を飛ばす。ここが唯一生き残れる可能性のある道。


「ここから何とか離脱する! 勇気ある撤退ってやつだ。いいな、島田! ……おい!」


 島田はすでに事切れていた。分厚く作られているはずの装甲が貫通し島田の腹に穴を空けていた。油圧系統の3つの計器の一つの数値がみるみる下がっていく。すまない島田、躱しきれなかったみたいだ。このまま行けばすべての制御を失うだろう。ははっ、僕も帰れないみたいだ……。


 前方に例の巨大な構造物が見えてきた。黒くそびえる無機質なそれは人類のあらゆる絶望を掻き集めて凝縮したようであった。


「ん?」


 僕がすべてを諦めて海へ突っ込もうかと思い頭を下げた瞬間、黄緑の小さな光が横切った気がした。


「蛍?」


 それは僕の目の前に浮かび停止したかと思うと前方へ向かいその姿を消した。


「あれは何だ?」


『敵』の構造物の下方、ある部分が光っていることに気づいた。


「なあ、島田。俺達帰れないけど、英雄になれるかもだぜ!」


 僕は返事をしない島田に報告する。


「さあ、『銀河』、お前が生まれ変わったのは海の藻屑になるためじゃねえよな。僕達の故郷を守るためなんだよな!」


 僕は操縦桿を思いっきり引いて機首を持ち上げ上昇する。あそこまでなんとか持ってくれよ。


 定かではないほとんど都市伝説のような情報である。


 極稀に『敵』の構造物、要塞は弱点を曝け出す瞬間があると。それが何の目的のために開く穴なのかは噂にも出てこない。だが、ノルウェーのオーランド空軍基地を飛び立ったB-1爆撃機はその光る穴に突っ込み『敵』を倒したと。その飛行機乗りたちを密かに世界中のパイロットたちは称賛していた。僕も後ろで眠る島田もその話が好きだった。


「ぐっ!」


 機体が大きく揺れる。


 熱い。


 ああ、僕もやられちまった。痛さとか脳がカットしてくれてるんだろうなこれ。横腹からどくどくと何かが流れ出しているのを感じる。見ちゃ駄目なやつだろうな……。しかし、『銀河』は必死で飛んでくれている。なんて健気なやつだ。帰ったらご褒美に……。


「げほっ。ああ、帰れねえんだっけか……」


 口いっぱいに広がる鉄の味。視界が光をひろわなくなり闇の中へ。


「助かるぜ……」


 小さな黄緑の光が明滅を繰り返して僕を誘導してくれている。


 何の不安も感じない。


 蛍だ。


 君はつかまえちゃ駄目なんだって教えてくれたよな。


 僕は蛍に手を伸ばした。


 蛍はすっと俺の手をすり抜けて消えてしまう。


 そして僕と『銀河』は穴の中へ突っ込んだ。



★★★★★★★★★★★★★



「興梠さん、お手紙です」


「は、はーい。えっ、戦地からですか!?」


「ええ……」


 

□□□□□

 

 最愛なる君へ。


 この手紙が届いたということは、残念なことに僕は天国にいるようです。


 字が汚いのは仕方がありません。僕は君のように上手に書けないのだから。


 ああ、もう一度いっしょに見たかったな蛍。


 蛍のことよりも式のことですね。


 ごめんなさい。


 だめな夫で。


 約束を果たすことができませんでした。


 今世の結婚式はこの先、君の前に現れるはずの誰かさんに譲ります。


 来世でも必ず僕は君と出会うはずですから、そのときはちゃんと。


 戦況はどうなっているのか今の僕には分かりません。


 だけど、君は生きて。生きてください。


 これだけが僕の望みです。


 


 追伸。


 君の制服姿が可愛かったから、お礼に僕のかっこいい航空服姿を。


 写真は無理だから手書きの絵です。絵心はないけど伝わるかな。それだけが今一番の心配ごとです。

 


□□□□□       



「ああ……、あなた……」


 

★★★★★★★


 20XX年8月。沖縄近海にあった『敵』の構造物は国防軍の英雄たちにより破壊された。その日を境に他の構造物も崩壊をはじめた。約一ヶ月ほどで地球を侵攻してきた『敵』はすべて姿を消した。学者たちによると『敵』は集団で一個の生命体だったのではないかと。ノルウェーと日本で確認された構造物はその生命を維持する『核』のようなものを守る役目を担っていたのだろうと。この二つ以外にも構造物と『核』は存在すると思われるが、名もなき英雄たちによって破壊されたものと推測される。そして最後の『核』が日本の沖縄近海で破壊されることにより『敵』は活動をすべて停止し、おそらく全滅したのだと結論づけられた。


 今の平和は、多くの名もなき戦士たちの勇気と献身、その尊い犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならない。



 了

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卯月二一 @uduki21uduki

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