保冷剤
紫鳥コウ
保冷剤
彼によると、わたしは大腸が弱っているらしい。
ごりごりと音が鳴っているのが分かる。指圧の加減は他のところと同じなのに、顔を歪めてしまう。
かかとの部分が押されていく。ここは生殖腺の反射区らしい。まったく痛みはなく気持ちがいいくらいだった。その次の坐骨は、大腸ほどではないが、「イタっ」と声が出てしまった。彼は、小さく笑った。
「お仕事が、お忙しいようですね」
「分かりますか?」
「ええ。ここも痛いでしょう。背骨です」
顔がひどく歪んでいるのが自分でも分かる。
肘や股関節にも痛みを感じたが、大腸よりは心地良いくらいだった。
「じゃあ次は、右足へ行きましょうか」
末端冷え性のわたしの左足は、血行がすっかりよくなったのか、ぽかぽかとしていた。トイレにいきたかったが、彼は右足の施術をはじめてしまった。
足をマッサージする動画を見るのが好きだ。寝入るのに時間がかかって困っていたときに、友人に勧めてもらった。
そして自分もマッサージをしてもらいたくなり、ネットで調べたところ、職場の近くに、レビューサイトで評価が高いお店を見つけて、おそるおそる予約をした。一度、施術を受けてからは、足繁く通いはじめた。
しかし、わたしを担当してくれている、この方のことを、どこかで見たような気がした。
こうして施術を受けているいまも、どこで会ったのかを考えてしまう。
* * *
ゴールデンウィークに帰省をした。一度、友人たちと食事をしてしまえば、後はとくにすることはなく、テレビを見て過ごしてばかりだった。すると、ローカルニュースで、母校の伝統行事である強歩大会の光景がうつしだされた。
「競歩」ではない。強く歩くと書いて「強歩」だ。一日中、指定されたコースを歩き続けるという行事だ。
そうだ。毎年、このくらいの時期に敢行されていたのだった。歩きながらごみ拾いをして、地域貢献をすることになっていたが、ほとんどの生徒がそんなことを無視して、友達と喋りながら歩いていた。
わたしもそのなかの一人だった。申し訳程度にごみを拾っただけで、友人と他愛ないことを話したり、学校の愚痴を言い合ったりしていた。
そしてわたしは、あの一事件のことを思いだした。
* * *
当時のわたしは、田淵くんという男の子が好きだった。バドミントン部の副キャプテンで、リーダーシップがあるとは言いづらいけれど、後輩から慕われている子だった。
付き合っているひとはいないと聞いていたので、もしかしたら自分にもチャンスがめぐってくるかもしれない、なんて思っていた。
しかし、見事に失恋した。告白を受け入れられなかったわけではない。告白にまでたどりつけたら、どれくらい良かっただろう。それでも、彼の恋の相手が同級生でなかったということには、少しだけ助けられた気持ちもした。
田淵くんは、佐原先生という国語教師に恋をしているのだと、クラス中の噂になっており、問い
二十代後半の先生で、笑顔が素敵なひとだった。だけど、美人だという印象はなかった。それに、嫌味な言葉遣いで生徒を叱ることもあった。
わたしと友人の
そんなとき、木陰で座り込んでいる女子と、それに寄り添う男子の姿が見えた。
体操服の色からして、一年生らしかった。
「先生を呼んできてくれませんか」
という呼びかけに応じて、果穗は急いで、チェックポイントの道の駅へと駆けていった。どうやら、左足首をひねってしまったらしい。
前にも後ろにも、わたしたち以外の生徒は見えなかった。夜遅くまで歩かされるのだ。最初はまとまって集団移動していても、途中から、どんどんばらけるのは仕方がない。
ふたりがどういう関係なのかは分からないが、男子生徒はハンカチに保冷剤を包んで患部にあててあげていた。
わたしは所在なげに、そんなふたりを盗みみたり、周りの景色を眺めたりしていた。もう、蜂が飛んでいる季節だ。そんなことも思ったりした。
そしてふと、こんなことを考えた。なぜ彼は、わざわざ保冷剤を用意していたのだろうと。
もちろん、弁当が傷まないように入れておいたという可能性は高い。だけどわたしは、彼の心境をさらに深く読んでしまおうとしていた。
きっと彼は、この子のことが好きなのだ。そしてどこかで、こういう事態になってくれはしないかと、妄想していたのだ……と。
わたしを施術してくれていたあの男のひとは、どこか、そのときの男子生徒と似ているのだ。
〈了〉
保冷剤 紫鳥コウ @Smilitary
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