第28話 素行不良のシスター
あれからしばらく経ち、シュヴァリエ家での療養を終えた俺たちは魔術学院へと戻った。
レオンはしばらくの間レティシアの容態を見守ると言ってあの屋敷に残ることにしたようで、俺とセシルが先に戻ってきたのだが――
リンハルトが学院に魔人討伐の知らせをしていたことにより、学内からは俺たちに注がれる視線がさらに多くなった。
好奇の視線でしかなかったこれまでに比べ、羨望や畏怖が混じったようななんとも言い難い不思議な視線へと変わった。
セシルもそれを感じているはずだが、そんなものは表面上には出さず、至って冷静に振舞っていた。
「――よく、生きて帰ってくれました」
怒りと安堵。
様々な葛藤を内包した表情で、ルクリールはそう絞り出した。
俺たちの担任教師として、言うべき言葉を考えていたのだろう、俺とセシル、そしてジュリアの三人は教室に呼び出され、ほんの少し重い空気の中、ルクリールの前に立っていた。
本音の部分では叱りたいというのもあるのかもしれないが、状況を把握しているのか、その言葉は出てこない。
あの場において他に頼れる人間はいなかった。
リンハルトだけに任せられるような状況ではなく、騎士を呼ぶことも出来たのかもしれないが、一刻を争う状況だった。どの道、誰かが戦うことは避けられなかった。
それに、あの場で背を向けるなんて選択肢はない。それはセシルだって同じだ。
それをわかっているのだろう、ルクリールは大きく息を吐くと全ての葛藤を捨てたように笑みを浮かべ、俺とセシルの顔を見た。
「あなたたちはきっと強くなる。 この国に欠かせない存在になるでしょう」
「い、いきなりなんなんすか……」
「自分を大切にしてくださいという話です」
「そんなの、わかってるわ」
ルクリールの薄い茶色の髪がなびく。その瞳が細められ、何かを憂うように窓の外に視線を一度だけ向けるとすぐにこちらへと戻る。
咳払いをひとつ、ルクリールは「無茶はしないこと」と言ってこれ以上俺たちが何か問題を起こさないようにと釘を刺した。
「ねえ」
「なんだ?」
教室を後にした俺は背後からセシルに声をかけられる。
その表情は真剣なもので、気軽に返事をした俺が少しだけ浮いていた。
「ちょっとの間でいいの、ジュリアを貸してくれない?」
言われ、俺はジュリアの方を見る。
相変わらず、学内では赤と黒の仮面をつけているためその表情は読み取れないが、瞳が俺を捉えているのがわかった。
「いいけど、どうして」
「別に……ちょっと相手をして欲しいなって思っただけよ」
「相談事なら乗るけど?」
「そういうのじゃない。 それに、女同士の方がいいこともあるの。 じゃ、ジュリア着いてきて」
俺が頷くとジュリアも頷き返し、何も言わずにセシルの後を追いかけた。
なんだか久しぶりに一人きりになったことで少し寂しさもあったが、ある意味で身軽に動ける。
そう思い、ポケットに閉まってあった手紙を取り出し視線を落とした。
リンハルトが手配してくれていた俺に戦闘を教えてくれる師匠の件についてだ。
ここに来てくれ、という旨の手紙がつい先日届いた。
「大聖堂か」
ここ、ディアンの街は国と大陸の名を冠する街であり、最も大きく人口も最も多い街だ。
様々な文化や人々が入り乱れるそんな街の中、一際異質な雰囲気を醸し出す場所がある。
それがここ、大聖堂だ。
大聖堂は誰でも立ち入れるようにと扉や門などはなく、大きな口を開いて荘厳な雰囲気を吐き出していた。
時間をかけて歩いてきたのだが、大聖堂が近づくにつれて人の気配は少なくなり、人混みも無くなったため予想よりも早く着いた。
首が痛くなるほどの大きく、歴史を感じさせる造りの建物。ほんのりと白い石で作られた大聖堂はどこか冷たいような印象を与えるが、入口に立つ修道服を着た二人の女性がその印象を和らげていた。
柄にもなく緊張し、周囲を見渡しているのには理由がある。
大聖堂にはあのシスターババア――ややこしいので今だけそう呼ぶ――やミオン姉さんがいる。
当然、ミオン姉さんは孤児院の運営があるためきほんてきにこちらにいることは無いのだが、シスターババアは違う。
普段何をしているのか、どうして『シスター』と名乗るのか、何をしていた人なのか。全く何も知らないが、俺たちにとって親代わりであることに違いは無い。
そんなシスターババアがここにはいる。
それが緊張している原因だった。
「すみません」
だが、今回の目的はシスターババアに会うことじゃない。
「エステルという方はいますか」
リンハルトの手紙には大聖堂のエステルを訪ねろと書かれていた。
どんな人物なのかは想像できないが、リンハルトからの紹介だある程度信頼してもいい……はずだ。
「エステル様を……?」
入口に立っていたシスター二人は互いに顔を見合せると、動揺したのか忙しなく動き出した。
一人が俺の方に近寄り、肩を掴む。
「どうしたのですか、あのエステル様にご用事など……貴方、何か騙されていたりは……」
「どういう……?」
「い、いえ! 気にすることではありません!」
額に汗の浮かんだシスターは背を向けると二人で何かを話し合い「よし」と声を上げる。
「……エステル様でお間違いないのですね?」
念を押すように問われ、俺は頷く。
何やらエステルという人のもとへ行きたくないような様子だ。
「はい、その人を訪ねろと」
俺がそう言うとシスターたちは諦めたように息を吐き、「案内します」と俺の肩に手を置いた方のシスターが腰を折った。
大聖堂の中は何とも涼し気で、人も少なく、過ごしやすそうな場所だった。
ただ、天井が高すぎていたり、窓には色とりどりのガラスで作られた何かの絵だったりと落ち着けそうには無い。ただ静かに祈りを捧げる場所という感じだ。
視線の先、大聖堂の最も重要な部分。ここにいる人々が祈りを捧げる対象となっているのが、巨大な石像だった。
石像と呼ぶにはあまりにも力強く、今にも動き出してきそうなほどだ。人が造ったとは到底思えないほど細部にまで拘られており、服のシワや風で靡いたような髪など、芸術は素人でしかない俺が見ても一級品であることに間違いなかった。
「女神ニア様です。 かつて、この世界に存在した人間の女神のお一人で、このディアンという大陸を創ったお方」
「ニア……」
敬称を付けなかったことを怒られるかと思ったが、特に何も言われなかった。
シスターが石像の横を通る直前、祈りを捧げていたのを見て、俺もその真似をした。
そう言えばと、俺は孤児院のことを思い出していた。
あそこにはこのニアという女神の石像や、それに類する聖書とかは一つもなかった。
それどころか、ミオン姉さんたちがどんな神を信仰しているのかも知らなかったし、俺たちにそれを強制することもなかった。
「エステル様のお部屋はこの奥なのですが――」
石像の横を通り、少し奥まった場所にある大きめの扉を開けると途端に天井が低くなる。急に押し込められたような錯覚に陥るが、冷静になると学院の廊下と似ていることに気付く。
石柱で仕切られた石造りの通路からは中庭が見渡せるようになっており、緑豊かな木々や生垣、そして色とりどりの花々が咲いていた。
個人的に、花はしばらく見たくなかったため視線を逸らし、シスターの背を見つめる。
心做しか、少し小さくなっているように思える。そんな背中とは反対に、胸中に渦巻く不安は大きくなる。
「エ、エステル様、シスター・リリです。 失礼します、お客様を連れてまいりました」
荘厳かつ幻想。
大聖堂の生み出す雰囲気はどれもいい意味で異質。人が近寄り難いと感じるのも納得出来るほど、ここは普通の世界とは切り離されていた。
――のだが。
「あ? 客? アタシに?」
その部屋はそんな大聖堂の雰囲気を簡単に壊せてしまうほど――汚かった。
◆
「エステル様、こちらお客様の……ええっと……」
「リリ、客連れてくるのに名前聞かない奴がいるかよ」
言い淀むシスター・リリという女性にすぐさま言ったのはこの汚い部屋の主であるエステルというシスターだ。
積み重ねられた書類の山はまだ仕事の関係で溜まったものだと言い訳が出来ると思うのだが、脱いだままの衣服や下着、そしてテーブルの上にはいくつものカップが並べられている。
すぐにセシルの部屋と比較してしまう。いつも、セシルは汚いからとか言うけれどこれに比べるとどうってことない。むしろ、いつ遊びに行っても掃除が行き届いている綺麗な部屋だ。
「おい、人の部屋をジロジロとなんだお前、名乗れ」
「エステル様……お客様にそのような態度は……」
目の前にいるエステルはいい加減に物を避けたソファの上で膝を立て、煙草を片手にそう問い質す。
黒に近い紫の長い髪は手入れされていないのか、毛布のように見えてしまう。鋭い瞳と鋭い歯、全体的にレオンを彷彿とさせる鋭さがあるが、レオンよりも粗暴な印象が強い。
一応修道服に袖を通してはいるものの、その足元は意図的に破かれたような形跡があり、修道服と呼ぶにはあまりにもな衣服だ。
「……俺はテオドール」
「テオドール? あぁ、確かリンハルトの奴の手紙にそんな名前があったような」
そう言ってエステルは書類の山から一通の手紙を抜き取り、目を通すと納得したように声を上げた。
「忘れてた。 リリ、コイツはアタシの客だ」
「ですから、そうだと何度も――」
「で? テオドール、お前は何が出来んだ?」
シスター・リリの話を遮り、エステルは鋭い瞳をさらに鋭くさせ、睨むように俺を見た。
紫紺の瞳の奥にある意図を読み取ることは難しい。
が、冷静になれ。
リンハルトの紹介とは言え、果たしてこの女で本当にいいのだろうか。
目の前にいるこの人が俺の師匠になる可能性のある人だ。この汚い部屋の主で、シスターの印象を覆しかねないこの女が。
不意にシスターババアやミオン姉さんのことが脳裏をよぎる。
二人も確かにシスター然としていたかと問われればわからないが、ここまでではなかった。それに、二人は俺にとって親や姉のような存在。そんな二人が属している大聖堂にこんなヤツがいるというのが納得出来なかった。
「その前に、こっちから聞きたい」
「おう、言ってみろ」
もし仮にこの人に師匠となってもらうとして、俺は俺自身を納得させられるだけの何かを見つけないとダメだ。
その納得させられるだけの何かとはつまり――
「お前は強いのか?」
「――――はっ」
その問いかけに、エステルは刹那の間を置き鼻で笑った。
「お前よりはな」
見下したような態度と瞳。
どうも、このエステルという女からはリンハルトのような剣気やルクリールのような不気味さ、ジュリアのような圧倒的な壁を感じない。
「いいぜ、その目。 気に入った! リリ、中庭の人避けしておけ。 ちょっとコイツをボコす」
「ちょっと、エステル様――」
「いいです、構いません。 中庭、でいいんだよな」
そう言ってエステルを睨む。何故か心底嬉しそうなエステルが大きく目を見開き、不敵な笑みを浮かべていた。
目醒める者たちの輪舞曲 遍 ココ @Nek0_222
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