閑話 理想の人
「彼氏欲しい〜」
「何なの、急に……」
そう言って机に伏せったのは短い黒髪の少女だ。少女は後ろの席に座る友人の机に額を擦るように頭を下げ、涙声でまた同じことを繰り返す。
大きく息を吐いたのはその机の主である薄灰色の髪をした少女――ノマだ。
「ノマは悔しくないの!? シューちゃんに彼氏が出来たんだよ! 私だって彼氏欲しい!」
「彼氏じゃないって言ってたよ」
「彼氏だよ! 休みの日に二人きりで出掛けるだなんて! 友達より男が大事か! 私たちの友情はそんなものなのか!」
大声を上げて熱弁する少女に向かい、制するように両手を出すが止まらない。
次第にノマは諦めた様子で机に肘を付きながら周囲を見渡した。
教室の注目を一身に集めているようで、なんだか居心地が悪い。やはり止めるべきかと思い直し、もう一度少女の方へと向き直ると、ほんのりと茶色が混ざった黒瞳と目が合った。
「ね、ノマは彼氏とか居ないんだよね?」
「い、いないけど……何? 怖いんだけど、目」
「いやいや、怖くないよ? 怖くないからさ、一回ちょっと私とデートしない?」
ついに気が触れてしまったのだろうかと、友人の身を案じる。
大袈裟に表現すると――黒い瞳には光がなく、闇が広がるばかり。夜よりも濃い闇がノマを映し出し、深淵へと手をこまねいているようだ。
息が詰まるようなその瞳から逃れようと目を逸らすが、すぐにこちらと目を合わせようとして少女の黒髪が揺れ動く。
「ケイト、怖い」
「怖くない怖くない」
ケイトと呼ばれた黒髪の少女はノマの肩に手を置き、息を荒くして顔を近づけてくる。
こうなってくると、友人の身を心配するよりも恐怖の方が勝る。気をおかしくしたケイトを直す方法は事の発端となったもう一人の友人――シューちゃんことシューミィから聞いていた。
思い切り、手加減などせず頬を叩く。
教わった通りにノマが腕を振り抜くと、短い悲鳴を上げてケイトが倒れた。
痙攣するように震えていたため、良く入りすぎたのかと心配したが、そんなことは無かった。
起き上がり、正常に戻ったらしいケイトは少し荒くした息を落ち着かせると、再び自分の椅子に腰を落ち着かせた。
「そんな、焦って探すものじゃないでしょ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。 ケイトは可愛いんだから、きっとそのうち好きな人が見つかるって」
「な、なんか上から……! まさか、ノマ! アンタ……!」
堂々巡りになりかける展開にため息を漏らす。
さすがのケイトも学習したのか、一度落ち着きを取り戻すために咳払いを挟む。が、なおもノマのそういった事情に興味があるようで、前のめりになって質問を続けた。
「実際、ノマは好きな人とかいないの? 私が言うのも変だけど、結構モテるでしょ」
「別に、いないよ」
「ん、まぁそうだよね。 ノマは傍から見ててもそんな感じ。 女の子と話してる方が楽しいっていう雰囲気が伝わってくるもん」
「何その誤解を招く言い方」
言って、ケイトはやはり嫌な笑みを浮かべてノマへと手を伸ばしてきた。
その手を振り払い、息を吐く。
ケイトと話すのは楽しくていいのだが、ため息の数が増えるのがたまにキズだとノマは内心で思い、また息を吐いた。
「どこかにいないかな、私の王子様」
「王子様って……」
「あ! ノマもバカにするのね! シューちゃんと言い、ノマと言い、みんな夢がないんだから!」
いつか私を助けてくれる王子様が現れてくれるのだと言って立ち上がるケイト。
教室内からは苦笑が聞こえてくるが、お構い無しだ。
「私が攫われて、大ピンチってなったときに、どこからともなく現れて悪者を蹴散らして、私を助けてくれるの! そして『大丈夫? お嬢さん』って言って――」
と、そこまで自分で言い切って悲鳴のような声を上げる。
理想の人物像を思い描くのは勝手だが、その人とどう出会うかまで描いているということに、いかにケイトが本気なのかを思い知った。
「夢を見るのは悪い事じゃないよね」と言い、ノマは視線を窓の外に移した。
――助けてくれる、ね。
不意に、ノマが育った孤児院を思い出す。
自分の第二の故郷、家族とも言えるあの孤児院の皆はどうしているのだろうか。
ノマがまだ心を開けなかった時期に旅立ったリオンとドロア。今ならもう少し、二人と打ち明けられるはずだ。そう思うと、会いたいという気持ちが強くなる。
メロウという真っ白な少女に関しても同じようなことを抱く。神秘的な見た目も相まって、少し不気味な雰囲気のあった彼女だが、それはきっと幼さから来る神秘性だったのだろう。
彼女はもう孤児院を旅立つはずだ。彼女の決めた自分の道は何なのだろうか。
そして、孤児院と言えば――
「ノマ?」
「な、何?」
急に声をかけられ我に返る。
驚きのあまり声が裏返ったが、それにケイトが気付くことは無かった。
「なんか考え事してた?」
「べ、別に……」
「もしかして、理想の人とか考えてたり」
「違うよ。 ちょっと昔を思い出してたの」
ノマは孤児院を出て進学する道を選んだ。
騎士や魔術師としての才能はないため、普通に生きるために普通の道を選んだのだ。
そこに何の後悔もない。
――はずなのだが、時折考えることがある。
「――もし、もしもね」
「どったの」
「一緒にこの学校に通ってたら、って考えることはある」
「えっ? 何の話?」
頭に浮かぶのは赤色が混じった髪をした活発な少年の顔。
異様なほど魔術の才能が高く、頭も良く、下の子たちから好かれるだけの面倒見の良さもあった。
それでいて年相応の男の子としてのやんちゃさもあって、一緒にいて退屈しない人だった。
彼――テオドールはどうしているのだろうかと思いを馳せる。
少し離れたところにあるディアンという大きな街の魔術学院に通っているはずだ。
彼のことだ、きっとそこでも変わらず楽しく生活しているのだろう。友達と一緒に遊んだり、魔術の勉強をしたりと充実しているはずだ。
きっと、昔のことを思い出す暇もないくらいに。
「はぁ……」
「なになに? どうしたの、ノマ」
「や、なんでもないよ」
「え! なんか意味深なんだけど?」
そうこうしているうちに短い昼休みが終わりを告げる。
どこからともなく戻ってきたもう一人の友人、シューミィがノマの隣に座り、「ふぅ」と息を吐くとケイトがすぐさま飛びついた。
「ちょっとケイちゃん、もう授業始まるよ」
「シューちゃん、彼に会いに行ってたの?」
「彼? あぁ、あの人のこと? そういうのじゃないって何度言ったらわかってくれるの」
「わ、私はただ心配して……」
本当にそうなのかと、ノマは瞳を細める。
当然、心配する気持ちも本当なのだろうが、直前まで荒れていたことを知っている身からすると、苦笑ものだ。
シューミィに軽くあしらわれ、ケイトは渋々といった様子で前を向く。授業中もどこか心ここに在らずという様子でシューミィのことを気にしているケイトを見て、ノマは微かに笑みを浮かべた。
「――だから、行き倒れていたところを助けただけなの。 わかった?」
「わか……んない」
学校終わり、寮に帰るその最中にシューミィがケイトを諭すようにそう言っていた。同い年であるはずの二人なのだが、シューミィの方がいくつも歳上に見える。
「なんかね、ディアンを目指して歩いてたみたいなんだけど、迷っちゃった上に食料も底を尽きたみたいで、それで路地裏に倒れてたところを私が見つけたの」
三人は行きつけの喫茶店の、いつもの席に座ると各々好きなものを頼む。
シューミィはクリーム多めのケーキを口に運びながら事の経緯を話す。
「しばらくここにいるって言うから、その間色々案内してあげようかなって」
「ほんとにそれだけ……?」
「もう、しつこいってば」
そう言ってシューミィはため息を吐いた。
横目で二人の様子を伺っていたノマだったが、彼女もまたケイトと同じように心配する気持ちを持っていた。
「ね、シューミィ」
「なに、ノマちゃん」
「その人、なんでディアンの街に?」
「んー、劇団の一人みたい。 サーカスやるんだって」
サーカスというものがどういうものなのか、ノマは知っているつもりだった。劇団という言葉についても。
だからこそ、疑問に思うのだ。
「どうして一人だけこの街に? しかも歩いてだなんて」
そう言った人たちは大抵、団体で動くのではないだろうか。
一人一人別々に集合するというのも考えられなくは無いが、それなら馬車を使えばいい。わざわざ食べ物が底を尽きるまで歩く必要は無い。
どうも胡散臭い。そう感じたノマはシューミィの身を案じる。
が、きっと聞き出したところでこれ以上の情報は無いのだろう。
「なんでもいいけど、危ないことには首を突っ込まないでね」
「わかってるわよ、ケイちゃんじゃないんだから」
驚きと落胆の表情を浮かべたケイトがシューミィに縋るような視線を送ったが、教師の鋭い言葉によりケイトはさらに身を縮こませ、前を向いた。
ノマは視線を窓の外へ移し、それほど昔では無いはずの、孤児院の記憶に浸っていた。
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