エンターテイナー

てると

エンターテイナー

 神も音楽もない世界で、人は日常に楽しみを必要とする。それがなければ生きていけない。人が神を創造しつづけるのだ、人が音楽を制作しつづけるのだ。結局は、人にとってもっとも現実的なものとは人である。

 私は土曜日の朝にこんなことを考えている。なんといっても史上最大のエンターテイナーは、彼が地上にいた安息の日にあらゆるエンターテインメントを為した。また、地元にいた、愛されも憎まれもしたおじさんも、いつも、次はどんな面白いことをしてやろうかと日々考えていた。ここに倫理や道徳以上のものがある。全ての人が一様の道徳に従う世界では、全ての人がそれを守り切れない。これらのことから、真のエンターテイナーには死と狂気の覚悟が要請される。凝り固まった経験を動かす奇跡を、みんな求めているだろう。ただ芸能で笑っていれば済むことだろうか。

 その点で、私はイエスとニーチェを並べる。

 人が父に、嫁が姑に反逆するようになることを教えたイエスは、なればこそまさしく「神の子」であった。インモラリストのニーチェは、誰よりもモラルがあった。それはありすぎたのだ。自身の教説をゾロアスターに託した奥義はここにこそある。ここに、「彼が死ぬことによって我々が生きる」という等式が成立する。誰にでも心当たりはないか。別人格の人生を殺してこそ生きられているということに。通常このことを「愛」という。ここに命題が成立する。「愛とは死ぬことである。」

 イエス=キリストは、友のために死ぬことを最大の愛とした。皆さんには、このことをもって、今、じっくりと世界を見渡してほしい。少しずつ誰かのために死ぬことによってこそ、この私は生きることができていないか?親は子のために、夫は妻のために、私は友達のために、キリストは我々のために。そうだったのだ。人は皆いくぶんかエンターテイナーなのだ。君が友達のさりげない一言で笑うとき、君はエンターテインメントしている。私が子供をあやすとき、子供は私にエンターテインメントしている。そんなところに安息があるのではないか。

 人を人間たらしめるものは、その過剰さである。

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エンターテイナー てると @aichi_the_east

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