『スティル・レイン』

小田舵木

『スティル・レイン』

 眼が覚めれば。しとしと、ぴちゃぴちゃと屋根が鳴っている。

 ああ、雨か。もう梅雨の季節だもんな。

 この木造の安アパート、雨の音が響きすぎる。お陰でこの季節は早く眼が覚めちまって困る。

 

 俺は万年床から起き上がる。視界が開ければ6畳半。狭いアパートだ。風呂トイレが別じゃなかったら、こんなクソみたいな家には住まねえ。

 とりもあえず、キッチンへと向かう。大したキッチンではない。ただ、コンロと流しが付いた台が置いてあるだけ。

  

 俺はコンロで水を沸かす。俺の朝飯はカップそばと決まっている。

 なんと言うか、朝から白米を食う気がしないのだ。

 カップそばにお湯を注いで。3分待つ。スマホの通知欄を眺めている内にそばが完成。

 俺はそれをコンロと流しの台の側の冷蔵庫の上に置いて食べる。

 テーブルを使えって?こんなクソ和室にそんな気の利いたモノは置いてない。

 

 味のしないそばを食えば。俺は部屋を漁って薬を探す。

 うん。頭がおかしいのだ。薬を飲んで脳内物質を補っておかなければ、俺はすぐさま狂ってしまう。

 薬はカプセルが2つと糖衣錠半錠。この物質がなければ俺の脳は動かない。

 しかし、カプセルってのは何で喉に詰まるんだろうな?おれは毎度吐きそうになりながら薬を飲んでいる。

 

 薬を飲んでしまえば。

 俺は浴室に行き、洗面台に向かって歯を磨く。歯を磨けば顔を洗う。ついでに無精髭を剃っておく。

 

 ここまでが俺の朝のルーティーンだ。華やかさが足りていない。

 

 朝のルーティーンをこなしてしまえば出勤時間で。

 俺はさっさと着替えて、煙草を吸って家を出る。

 

                  ◆

 

 外に出れば。雨が灰色の空から降り注いでいて。

 俺はうんざりする。湿気てるのが気色悪い。

 俺の髪は猫っ毛で。湿気で簡単に乱れる。この季節はボサボサ頭で過ごしている。

 

 やっすい見た目の木造アパートを傘を持って去っていく俺。

 ああ、憂鬱な出勤である。俺は「会社に行きたくねえなあ」と思いながら通勤経路を歩く。

 

 新幹線の高架下の道を駅に向かって歩いていく。

 俺は通勤中に上を眺める度に思う、「新幹線に乗って何処かに消えてしまいてぇな」と。

 毎度の事、出勤という選択を取った自分に後悔している。

 いっそのこと、電話一本入れて仕事をサボッてしまいたい。

 だが。俺には支払いがいくらもあり。仕事をサボッてしまえばそれが滞る。

 

 差した傘に雨がポタポタ落ちてくる。

 そのビートは俺を苛立たせる。何かに急かされているような気がするからだ。

 顔には汗がにじんでくる。俺の交感神経はイカれていて、何時でも滝のように汗が出る。雨で冷えていても関係ない。

 

 シャツの袖で顔の汗を拭いながら、駅まで20分。

 駅に着けば、すぐ側のスーパーに寄る。会社での昼飯の調達。おにぎりを2個、麦茶、エナドリ2本。

 

 傘を畳んで駅に入る。

 今は10時。駅はラッシュを終え、閑散としている。

 俺の仕事は11時からで。この時間帯に出勤できるのはありがたい。

 これが8時からだと朝のラッシュにもみくちゃにされるからな。

 

 改札に定期を通して。

 俺は駅のホームに向かって。

 駅のホームのベンチに座って、1本目のエナドリを飲む。

 カフェインと糖分が染み渡る。この感じがないと働けない体になっちまった。俺はエナドリジャンキーだ。

 エナドリを飲み干してしまえば。電車が来て。

 俺は電車に乗り込んで、5駅先を目指す。

 1駅先は俺が住んでいる福岡最大のターミナル、博多。

 俺は毎度、博多駅で降りたい誘惑にかられる。博多で降りて、街をぶらぶらしてえ、てさ。

 

 5駅先の駅に着いて。

 電車を降りて。改札を潜って。傘を差して会社までの道を歩いていく。

 途中には公園がある。その公園に寄って、俺は仕事前の煙草を済ませる。

 公園で傘を差しながら吸う煙草。吸えば吸うほど短くなっていく。それが切ない…というか、短くなればそれだけ仕事の時間が早まってしまう。

 2本立て続けに煙草を吸う。なにせ、ウチの会社は全面禁煙で喫煙所がない。要するに今から禁煙8時間だ。これは中々に効く。俺はニコチンジャンキーでもあるからだ。

 

 公園での一服を済ませると。

 俺は会社に一目散に歩いていく。工場だ。

 正門で体温チェックをして、カードキーで会社の中に入って。ロッカールームへと向かっていく。

 

                  ◆

 

 ロッカールームで着替えて。

 俺は工場の自分のセクションへと急ぐ。ロッカールームがある棟から製造エリアの棟まで渡り廊下を歩いていく。

 その時、俺は窓を眺める。

 まだ、雨は降っている。さて。いつまで雨が降るのかね。帰りには止んでいて欲しいモノだ。

 

 製造エリアの一番端にあるエリアが俺の持ち場。

 この工場で作っている製品の最終セクションで俺は働いている。

 出荷前の仕上げの作業だな。ま、製品を凍らせて、箱詰めする作業なんだけど。

 これが案外に詰まらない。だが。この工場でライン作業が少ない方に入る。俺はそれが気に入って、このセクションに配置してもらった。

 

 持ち場に着けば。

 俺は皆に「おはようございます」と挨拶をして。

 壁にかけられたPCのディスプレイを眺める。今日のシュミレーションで自分の作業を確認する訳だ。

 毎日同じ作業をさせられる訳ではない。いくつかの作業があって。それを持ち回りでこなしているのだ。

 

 今日の俺は―比較的面倒なポジションに回される。

 製品の箱詰め。書いてしまえばただの単純作業だが。中身は案外にキツいんだぜ?

 なにせ、冷凍ラインからガンガン流れてくる製品をササッと箱詰めしていかなくてはならない。両手が忙しくなることは必至。ああ、マジで面倒くせえ。

 

 持ち場に入って。

 俺はラインを眼の前にする。

 ああ、今日もガンガン流れてやがる。

 少し油断をすれば製品がラインの終端に溜まって制御不能な状態になる。

 うん。ロット変わりと休憩までは延々と作業をしなくてはならない。

 俺は無心で箱を組み立て、製品を詰める。数が決まっているから間違えないように頭でカウントしながら。これのせいで考え事すら出来やしねえ。なのに3、4時間はこの単純作業に縛り付けられる。

『センターに入れてスイッチ…センターに入れてスイッチ…』某ロボットアニメの少年が呟いていたアレ、我が身にも降りかかる。

 

 結局。俺は休憩までの4時間を箱詰め作業で過ごした。

 ああ、手が疲れた。ついでに眼も疲れる。なにせ、箱詰めしながら検品までやらなきゃならんのだ。数秒で検品を済ませなければならない。マジで神経がすり減る。

 

                  ◆

 

 箱詰め作業から開放されて。

 俺は工場からロッカールームのある棟に移り、テラスで昼飯。

 湿気ったおにぎりを2つパクつく。

 その間、外を眺めてみるが―まだ、雨か。まったく。雨のせいで工場全体が湿気っている。制服が体に張り付いて気持ち悪い。

 おにぎりを食べてしまえば。俺はエナドリを飲んで、ぼんやりする。

 さっきの箱詰めで神経と眼が疲れている。少しでも休めたい…

 

                  ◆

 

 飯を食った後の仕事って、何であんなに長いんだろうか?

 午後からは箱詰めではなく、冷凍機に商品を流す楽な仕事に振られたが…これ、楽な代わりに時間の進みが遅い。

 

 隣には某公共放送でやっていた工作番組のマスコットみたいな、少しアレなおじさんが居る。少しアレ、というか、かなりアレである。このおじさん、よくトイレで独り言を言っている。俺は出勤初日にそれを見て、コイツと同じ仕事したくねえな、と思っていたが、天は無情である。

 

「これは駄目なんだな!ダメ、ダメ!!」隣のおじさんは冷凍機に流す製品を見ながら独り言を言っている。俺は最初は反応していたが、慣れちまった。

 

 俺はひたすら製品のパッケージのシワを伸ばして、冷凍機にかける。

 これが4時間も続く。マジで何をしているのか分からなくなる。

 オマケに隣にはアレなおじさん。謎の身振り手振りをしながら検品し、独り言をつぶやき続ける。

 

「これはヤバイ!!ダメ!ダメ!!」

「…」

 

 夕方の5時になれば。かのおじさんは退勤する。

 大げさな身振り手振りをしながら、「後は頼んだぞ」とか言ってくる。

 お前に指示されなくたって俺は仕事をモクモクとこなしているから、大丈夫だ。

 

 夕方になれば。昼勤務の人間たちは続々と上がっていく。

 俺の持ち場の定員は3人だが、6時になれば俺一人。

 倍の作業量を一人でこなす。だが。夜勤の厳しいおばちゃんが先のセクションに入ってきており、俺の雑な作業にブチ切れる。

「もう新人じゃないでしょーが」いやあ、一人でこの作業量は勘弁してほしいんですが…スピードあげないとラインは止まるしさあ…

 

 結局。8時まで一人ぼっちの戦いは続いた。

 8時。俺の退勤時間である。退勤時間ギリギリで交代人員が来る。夜勤のアマゾネスみたいなおばちゃんだ。

「後はお願いします。では、お先に失礼します」と挨拶をして、俺はウキウキで工場を後にする。

 

                   ◆

 

 俺はロッカーに着くとマッハで着替える。

 今は退勤して公園で煙草を吸うことで頭が一杯だ。

 ロッカールームの出口にある打刻機にカードをかざして一目散に出る。

 その時。まだ、雨が降っている事を知る。マジかよ。まだ。降ってるのかよ。

 

 俺は傘を差して、公園へと猛ダッシュ。

 公園に着けば。公園の一番端のベンチの側で煙草を吸う。

 この瞬間が幸せだ。8時間ぶりのニコチン、タール。脳に染み渡る。

 2本、煙草を吸えば。公園を後にして。駅の近くのコンビニで乳酸菌飲料を買う。不健康な生活をしている俺のせめてもの抵抗。乳酸菌よ、俺の体を健やかに保て。

 

 駅まで歩く。

 8時間ぶりの煙草のお陰でモヤがかった頭がクリアになる。

 そうすると―現状が俺を襲ってくる。

 

「今の仕事の稼ぎじゃ食っていけないぞ?でもなあ…」

「あんなしょうもない仕事で働き盛りの30代を潰しても良いのか?

「転職するにしても宛もない。いや、ないこともないが給料下がるかも」

「ああ、20代の頃の仕事を続けていれば良かった」

「しかし。うつが。俺は頑張りすぎると壊れる」

「この先、親を介護せにゃならん。しかし稼ぎが足りない」

 

 思考が頭を塗りつぶす。そこに傘を叩く雨のビートが重なる。

 しとしと。ぴちゃぴちゃ。

 ああ。俺の頭が思考という雨で水没しそうだ…

 

 しかし。考えたところで。どうしようもない、変えようもないのが現実で。

 俺は雨が過ぎるのを待つしかないのだ。

 俺は受け身で状況をこなしていく程度の能力しかありゃしない。

 

 考え毎をしている内に駅に着いて。

 妙に待たされてから電車に乗って。最寄りの駅に着いたらスーパーに寄って。晩飯の惣菜を仕入れてから、また雨に打たれて帰る。当然、さっきの思考が戻ってくる。

 

 思考に水没した脳を抱えながら、木造アパートに戻ってきて。

 鍵を開けて部屋に入って。服を脱いで洗濯機にかけて。風呂を沸かして、入って。

 飯の時間。もちろん晩酌はする。

 

 俺って生き物は。

 酒と煙草が無けりゃ生きがいがない。

 だから酒を飲む。本当は薬の関係で飲酒は厳禁なのだが。

 

 しとしと。ぴちゃぴちゃ。雨が俺ん家の屋根を叩く。

 そのビートに乗せて俺は絶望する。

 ああ、こんな惨めな30代を過ごすつもりは無かったのに。気がつけばこの有様。

 いや。うつの療養を明けて、働けているのは俺的には頑張っているのだが…親はもっと働けと煩い。なにせ、稼ぎが少なくて軽く親のスネを齧っているからだ。30代で親のスネを齧る息子。なんと情けない生き様か!

 

 酒が進んでしまう。

 酔えば絶望の味は濃くなって。俺は人恋しくなって。

 プー太郎友達に電話をかけて。お互いの現状をシェアする。

 友人も俺と同じく絶望している。似たような境遇なのだ。

 愚痴をぶつけ合っている内に11時。ああ、もう寝る時間か。

 

 しとしと。ぴちゃぴちゃ。

 眠ろうとする俺の耳に雨のビート。まだ、雨か。

 一体、いつまで雨は降るんだろうか。いっその事、この地球が水没してくれれば良い。俺は一向に構わん。最近は自殺が頭をぎるからだ。

 そう。うつ病な俺は。希死念慮と言うか、口癖のように「死にたい」と言っている。

 永遠に続く雨が。俺の世界を壊して欲しい。俺は俺にうんざりしている。

 そして。そんな現状を変えられない自分に一番うんざりしている。

 でも。人生ってのは天気と同じように。天のカオスが制御していて。自分一人ではどうしようもない…というのは言い訳だろうか。

 

 おっと。睡眠薬を飲み忘れていた。俺は睡眠薬がないと眠りが浅くなる。

 部屋の隅に転がっていた酒で睡眠薬を流し込む。

 そして。眠る。

 

                   ◆

 

 しとしと。ぴちゃぴちゃ。 

 雨が振り続ける。

 そして俺の人生にも雨は振り続けている。

 ああ、いつか雨が晴れる日は来るだろうか?

 それとも?俺は傘と合羽かっぱで武装して雨の中をひた進んでいくしかないのだろうか?

 うつになってしまった俺はそこまでのガッツはない。

 雨が止むまで雨宿りしていたい。

 …そんな事をしていたら、人生は終わるのだろうか?惨めなまま?

 

 …眠れない万年床から窓を見れば。まだ。雨。

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『スティル・レイン』 小田舵木 @odakajiki

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