ハヤタさんは色々くれる

尾八原ジュージ

ハヤタさんとおれ

 せーくん、これもらってくんない?

 そう言ってハヤタさんからもらったものが、いくつあっただろう。

 おれたちが出会ったのは、赤沼荘っていう二階建てのアパートの前だった。おれは101号室でハヤタさんは102号室、ほかには誰も住んでいなかった。

 赤沼荘は今時こんなボロ物件あるかよって感じのアパートだったけど、部屋が二間あったし風呂もちょっと広くて、おまけに造りだけは鉄筋コンクリートでしっかりしていて、家賃のわりに防音性が高かった。車も部屋のすぐ前に停められたし、裏の空き地にこっそり穴掘ってごみを捨ててもばれなかったので、女の子を連れ込んで〆てバラすのにちょうどよかった。

「よう青年! これもらってくんない?」

 異様な馴れ馴れしさをもって突然話しかけてきたハヤタさんから最初にもらったのは、洗濯機のゴミをとるネット(糸取りフィルターって言うらしい)だった。あれ単品で売ってるんだって、おれはこのとき初めて知った。

「これ買ったんだけど、よく見たらうちの洗濯機じゃ使えないやつだったんだよね。いらない? あげるよ!」

 そう言いながらおれの目の前にパッケージに入ったフィルターを突き出し、そこで初めてバカみたいにポカーンとしているおれのバカみたいな表情に気づいたらしい。彼は慌てて「あっおれハヤタ! きみの隣に住んでるハヤタです!」と自己紹介した。

 ハヤタさんはたとえば、「職業は王子様です」とか言ってもうっかり納得されちゃいそうな、そういう声と見た目の人だった。日本人にしては明るい色の目がきらきら輝いていて、おまけにはっきりした顔立ちだったから、ハーフとかクォーターだったのかもしれない。とにかくかっこよくてお洒落な人だったのでまさかこのクソボロアパートの隣人とは思わず、驚きついでに「あっじゃもらいます」と言って、おれはフィルターを受け取ってしまった。

「よかった〜! ゴミいっぱいとってね!」

 ハヤタさんはそう言って去っていった。

 糸くずフィルターは、残念ながらうちの洗濯機でも使えないタイプのやつだった。でも突然現れた王子様みたいな男がくれたものには何かしらのご利益があるような気がして、おれはフィルターを捨てずに、押入れの隅っこに放り込んだ。加工途中の女の子の首が、うつろな目でパッケージの説明書きを読んでいた。


 それからというもの、ハヤタさんと顔を合わせることが不思議と増えた。

 おれが瀬川と名乗ってから、ハヤタさんはおれのことをせーくんと呼ぶようになった。何の仕事をしてるとか、もしくはしてないとか、彼女はいるとかいないとか何人いるとか、あるいは彼女じゃなくて彼氏がいるとかどうとか、あらゆるパーソナルデータが不明すぎる男だった。建物の造りがしっかりしているゆえか生活音もほぼ聞こえず、ますます謎の男の印象が強まっていった。

 おれのことをくっそ貧乏な苦学生(まぁだいたいその通りだよ)だと見なしているらしきハヤタさんは、なにかといろんなものをくれた。

「せーくん、これもらってくんない?」

 って、木製のハンガー、昨日が発売日の文芸誌、中国語みたいなのがパッケージに印刷されてるお菓子、4Bの鉛筆一箱、でかい大根一本、画集――チョイスがめちゃくちゃだったが、おれは全部もらった。わーちょうどハンガー買おうと思ってたんすよ、こういう雑誌買うと高いっすよね嬉しいなぁ、これピーナッツ入ってますよね好物なんすよ、鉛筆超使います美大なんで、やったー大根だー、おっこれ好きな画家なんすよ――でもそれらの品々より、おれがものをもらったときに、ハヤタさんがすごくいい顔で笑ってくれるのが最高だった。

 おれは一応芸術の勉強をしていて、絵もちょっとは描けるので、ハヤタさんから何かしらもらって部屋に戻ると、すぐにハヤタさんの絵を描き始めた。あの笑顔を思い出しながら、それをなんとかかんとかスケッチブックの中に再現しようとした。でも全然できなかった。ハヤタさんの顔を描こうとして描けなかったスケッチブックだけが、おれの部屋の押入れに溜まっていった。

 もしもハヤタさんの首をとって、きれいに加工して置物にしたら――そう考えたことももちろんあったけれど、やっぱりそれはどだい無理な話だとすぐに気づいた。あの笑顔はたぶん、生きているハヤタさんにしか出せないものだ。

 おれも置き首を作るのはずいぶん上手くなったけど、ハヤタさんのあの笑顔は、どうしても保持できるような気がしなかった。おれがひっかけてきた女の子たち――もちろんおれはその子たちを平等に愛していたんだけど、彼女たちの良さと、ハヤタさんの良さとは、まるで別のものだった。その違いを、おれは今でもうまく説明することができない。


「ようせーくん。せーくんはおれのこと、なにものだと思ってるんだい?」

 ある日突然、ハヤタさんにそう聞かれた。

「どしたんすか急に」

「やー、別に何ってんじゃなくて、おれって君にどう見えてんのか気になっただけ」

「ハヤタさんは、隣のかっこよくて優しいお兄さんって感じっすね」

 おれがそう答えると、せーくんは褒めるのが上手いなぁ! と言われた。

「せーくん、女の子にもてるでしょ? だめだよ、遊びすぎたら。女の子たちだってそれぞれ人生があるんだから程々にしなよ」

 いや、それぞれ人生があるから美しいんですって……うっかりそう答えそうになって思いとどまったそのとき、太陽がハヤタさんの背後にすっと沈んだ――本当にそんなふうに見えた。アパートの廊下、すらりとしたハヤタさんのシルエット、隣の駐車場との間のフェンスと巻きついてる蔦のかたち、何もかもがひとつの絵みたいにカチッと決まって、おれの網膜に焼きついた。

「なぁせーくん、これもらってくんない?」

 そう言ってハヤタさんは、デパートの大きな紙袋をひとつ差し出してきた。

 開けると、女の首がひとつ入っていた。本物の生首だってことが、おれにはすぐにわかった。美人は美人だけど、正直あんまりタイプな顔ではなかった。

「いいんだよ、いらないものはいらないって言って」

 ハヤタさんは、王子様みたいな笑顔でそう言った。

 でもおれは「もらいます」と答えた。ハヤタさんがくれるって言うなら、おれは何だってもらいます。

「ははは、せーくんは心ひろいね」

 ハヤタさんはそう言って、いつもどおり最高の笑顔を見せた。

 なんでハヤタさんは、おれが女の首を集めてるってこと知ってるんだろう――その夜、あんまり気乗りしない感じでもらった首を加工しながら、おれはそんなことをつらつら考えた。ていうかこれ普通にもらっちゃったけど、よく考えたらやばない? おれのことばれてない? 通報とかされない?

 急に不安になって、おれは立ち上がった。手袋をして、手になじんだ牛刀を持ち、玄関を出て、102号室に向かった。チャイム(インターホンではない)を押すと、少しして中からばたばたと物音が聞こえ始めた。

「遅えよ」

 そう言いながらドアが開く。ドアノブを掴んでいる手に、おれはいきなり牛刀を振り下ろした。汚い悲鳴が上がった。おれは手首の持ち主を部屋の中に蹴り入れると、自分も押し入って玄関を閉めた。

 男はハヤタさんではなかった。全然王子様じゃない、ふつうのおじさんだった。ふつうのおじさんの首はいらないので、おれは躊躇なく男の頭をかち割ることができた。

「びびったぜ。ハヤタさーん、いますー?」

 ハヤタさんは奥の居室にいたが、やっぱり死んでいた。どうやってやられたのか知らないが、時代劇で辻斬りにやられた被害者みたいに、でっかい切り傷がばっさり体の正面を走っていた。でも死に顔はきれいだった。目を閉じて、安らかに眠っているように見えた。

 おれは迷った。でもハヤタさんの首も、やっぱりいらないやと思った。あの笑顔は死体じゃ出せないんだってことが、実物を見ているうちにわかったのだ。

 おれはハヤタさんに手をあわせて102号室を出ると、最低限の荷物と女の子たちの首を中古の軽に乗せて、逃げた。それで、今もなんとか逃げおおせている。

 ハヤタさんが何者だったのか、あの男と何があったのか、ついでにあの男も何者だったのか、そういうことをおれは全然知らないし、調べなくてもいいと思っている。そのかわりと言ったらなんだけど、今も網膜に焼き付いたままの、夕暮れをバックにしたハヤタさんの姿をなんとか絵にできないかと思って、一日何時間かキャンバスに向かう生活を続けている。

 ほとんど影みたいなハヤタさんの、それでも見てちゃんとわかる笑顔を、おれはまだちゃんと覚えている。それを再現したくて、絵の中の顔を何度も塗りつぶしては描き、また塗りつぶしては描いて、果てしない二次元の中に彼の顔をずっと探している。

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