真っ暗な世界へ
サトウ・レン
そしてふたりは――
人生で一度だけ、顔が破裂するくらい殴られたことがある。
これはもちろん比喩で、別に頭部は爆弾ではないし、たとえば書店で平積みになった本の上に生首を置いても爆発してくれることはない。いっそ爆発してくれればいいのに、と思わないでもない。
親友だった男とふたりで、複数の男たちからパンパンに腫れあがるまで殴られ続けて、奴らが帰った後、俺たちはお互いの顔を見合わせて、笑った。あぁこりゃ片目が駄目になったかもしれないな、と他人事のように言う親友の言葉が印象的だった。
実際、彼はあの一件が原因で、左目が見えなくなってしまった。
「昔、三国志でさ。自分の目玉を食べた武将いるだろ。親から貰った物を捨てられるか、って。もしも目玉が飛び出てたら、食ってやったのにな」
失明なんてたいしたことではない、とでも言いたげな軽い口調だったのは、俺が罪悪感を覚えないようにしてくれたのだろう。
「まっ、片目だけで良かったよ。両目だったら、永遠に真っ暗な世界が続いていたわけだから」と彼が左目を手で隠す仕草をした。
「もしそうなったら、俺がお前の目になるよ」と俺は返した。結構真面目に。
彼と俺は幼馴染だった。
幼い頃から彼は喧嘩っ早かった。基本は穏やかで、笑みを絶やさない男なのに、スイッチが入ると止められなくなる。スイッチが入るのは大抵、自分自身のことではなく、自分の好きな誰かが標的にされた時だ。他者を守るために入るスイッチだ。ただ、そこまでやらなくても、と守られたほうが引いちゃうほどにやり過ぎてしまうから、守られたほうも、いつその爆弾がこっちに向かって爆発してくるか分からないので、怖くなって、それとなくだったり、あるいは露骨だったりしながら、彼から離れていく。
あんな奴と付き合い続けていけるのは、俺くらいだ。その時は自覚していなかったのだが、そこには優越感もあった。
小学生の時だったか、俺が軽いからかいの標的になったことがある。俺自身、そんなにつらかったわけでもなく、適当に笑って流していられるものだったのだが、彼にとっては許せないものだったのだろう。他人のために異様に怒るくせに、他人を慮ることが異様に下手な奴なのだ。特に俺のことになると、彼はすぐに目の色を変える。
俺をからかっていた奴が襲われた。
緋色に染まる下校道で、覆面を被った少年に。
相当、殴られたのだろう。そいつは怯えるだけで、犯人については推測さえも口にしなかった。周囲のみんなもなんとなく犯人が誰か気付いてはいたが、誰も口にしなかった。自分が同じ目に遭うことを恐れて。
「ありがとう」
彼とすれ違った時、何気ない口調を装って、俺は言った。さぁなんのこと、とでも言いたげに彼は首を傾げた。
そして彼の失明が起こった、あの一件だ。
あれもきっかけは俺だった。彼とふたりで旅行中だった時だ。駅の前で、不良めいた数人にナンパされて困っている女性がいた。「すみません。俺の彼女なんです」と嘘をついて、彼女からナンパの連中を遠ざけようとした。連中は舌打ちをひとつして帰っていき、女性は嬉しそうに俺の手を握り、感謝を告げた。
そこで終わりのはずだった。その後、ちょっと不機嫌になった彼の感情を除けば。
その夜、海岸を訪れていた俺たちは、十数人の男たち囲まれた。周りにひとはほとんどいなくて、そのグループと俺たちくらいだった。その中には、あのナンパの連中もいて、出くわしてしまったのは偶然だろうが、今回は人数も多いから強気で、謝れ、土下座しろ、その写真も撮ってネットにあげてやる、みたいなことを言われた。俺は素直に謝るつもりだったのだが、罵声を浴びせられる俺の姿を見て、彼の怒りが爆発して、そのグループのひとりの顎を思いっきり殴ったのだ。
だけど反撃はそこまでで、あとの俺たちは殴られる一方だった。
「たとえば、さ」と彼に聞かれた。
「うん?」
「もしまたナンパされている女の子を見つけたら、助ける?」
「たぶん」
「馬鹿だな」
「でも俺が同じように不良グループに責められていたら、助けてくれるだろ。それと同じことだよ」
これが俺たちが十代の頃にあった話だ。彼とこれからも関わっていく、と信じて疑いもしなかった頃の。
だけどお互いが働くようになって、すこしずつ関わりは減っていき、それでもたとえ会わなくても、俺たちを繋ぐものは強固なものだと思っていた。だけどそう感じていたのは、俺だけだったのかもしれない。
彼が俺以外の人間と同棲をはじめた、と知ったのは、実際にその同棲をはじめてから結構経ってのことだった。
これが異性だったならば、女性だったならば、と考えてしまうことがある。もしそうなら、この怒りも失望も、まだマシなものになっていたかもしれない。だけどそうならなかった以上、仮定をいくら考えても仕方のない話だ。
俺にいつまでも言わなかったのも確信犯めいて嫌な気持ちになる。
何か事情があるかもしれない……。
本当は俺を求めているのかもしれない……。
そんな感情に支配されはじめたのは、いつからだろう。ぽっと出の見たこともない、知りもしない男が、俺の位置を奪うことなどあるはずがない。あってはならない。彼はもしかしたら困っているのかもしれない。苦しんでいるのかもしれない。
心に理由を付けながら、俺は彼らの住む部屋に侵入して、彼らの生活を覗くようになった。
断じて、ストーカーではない。こんなにもひたむきな愛を、ストーカーと呼ぶ者がいるならば、俺は絶対に許さない。殺してやる。
そうやって奇妙な共同生活をはじめて、半年くらい経った頃だろうか。
スマホにラインが届いている。
『なぁ、俺たち一緒に死のう』という言葉の後に、場所が記されている。
ラインは届いてから、すこし時間が経っている。心臓が強く音を立て、そして急速に冷えていくような感覚があった。
俺はトイレに向かう。胃からせり上がってくる不快感を吐き出す。そこが他人の家で、自分が見つかってはいけない立場なんて、そんなことを考えている余裕もなかった。俺は心の中で、何度も、何度も、彼の名前を叫んだ。別にそんなことをしたところで、どうなるわけでもないのに、そうせずにはいられなかった。
俺は記された場所に向かう。
なんでラインなんかを使ったんだろう。もっと直接、言い合えばいいのに。俺に同棲の話をしなかったのもそうだ。気になる相手がいたのならば、すぐに言ってくれれば良かったのだ。だったら、俺だって、もうちょっと違う身の引き方ができたかもしれない。いや本当にできるかは分からないが。
記された場所は、俺たちが通った高校を通り過ぎて、二十分くらい車を走らせたとこにある。
俺は死体を見つけた。
隠す気もない、ふたつの死体だ。何の涙か分からないが、ぼろぼろとしずくが俺のほおをつたっていく。
どうやったらこんな死に方ができるのだろうか、と思う。ふたつの死体は、ねじれて、絡み合っている。
引き離そうと、俺は死体に近付く。
彼の顔を見る。もう死んでいる彼の瞳孔は開いていて、左目だけではなく、右目も、もう何も宿すことはできない。本当に永遠に真っ暗な世界が続いているはずだ。俺はその目の代わりになることもできない。こんなにも近くにいるのに、遠く離れ去ってしまって。
そんな顔すんなよ、と俺は思った。
何も見えなくなった目の先に、相手の死体があり、表情はないはずなのに、どこか愛おしげだった。その対象が俺ではない、ということが悔しくて悔しくて仕方なかった。
彼らの死体に触れることをやめる。
俺はスマホを取り出す、彼らの住んでいた部屋の机に置かれっぱなしになっていた、彼のスマホだ。俺の物ではない。
ふたつの死体の間に、それを置く。
真っ暗な世界へ サトウ・レン @ryose
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