おやすみ Your world

さかたいった

軌跡

  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク




 光。


 光が広がっていく。


 世界が生まれていく。


 音を立てて。


 動き出した。


 初めに見えたのは、わたしを覗き込む男性の顔だった。男性はわたしを見て、嬉しそうに微笑んでいる。

 音はわたしの内側から鳴っていた。わたし自身が音を立てている。チク、タク、と等間隔で音を響かせる。

 わたしは工場で生まれた。

 生きているかぎり、時を刻み続ける。

 それがわたしの役目だった。

 わたしは一定間隔で、ゴーン、と大きめの音を立てた。ゴーン、ゴーン、と数回鳴る。音の回数には法則があった。次鳴る時はゴーンが一回増えるのだ。そしてある時点でまた一回に戻る。

 わたしは工場からお店に移され、それからわたしを買った人の家に移った。

 家族が一番よく集まる部屋の壁に掛けられた。

 初めはみんな興味津々でわたしを見た。わたしもその家の人たちに興味があった。

 食卓を囲みみんなが賑やかにご飯を食べている時も、わたしはみんなを見守った。

 暗くなりみんなが寝静まってからも、わたしは時を刻み続ける。

 やがて朝が来て、日が昇る。

 外で鳥が囀り、人もまた新しい一日を始める。

 わたしはじっとしてそこにいた。自分の役目をまっとうし続けた。



  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク



 ある時期から人々が不穏な気配を漂わせて生活するようになった。みんないつもどこか緊張している。

 そしてその日、町に警報が鳴り響いた。あちこちで怒号や悲鳴が聞こえる。

 空から爆弾が降り注ぎ、町が燃えた。

 みなが逃げ惑う中、わたしは時を刻み続けた。その光景を観察し続けた。

 わたしがいた家は運よく火事を免れたが、家族は戻ってこなかった。

 しばらく時が経ってから、わたしはまた違う家に移された。違う家で、違う家族を見守っていく。

 わたしを作ったあの人はどうしているだろうかと、ふと思った。もうわたしのことなど忘れてしまっただろうか。



  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク



 暗く落ち込んでいた人々の生活が、少しずつ活気を取り戻していった。

 わたしの家に新しい家族が増えた。ちっちゃい体で誰よりも騒がしく泣き叫ぶ赤ん坊の坊やだ。

 坊やがお母さんでも手がつけられないほど泣いている時、ちょうどわたしがゴーンと鳴った。するとなぜか坊やは泣き止んだ。穏やかな顔になって眠っていく。

 そうしてわたしには新たな役目が与えられた。坊やの子守歌役。ゴーンは決まった時刻にしか鳴らすことができないけれど。

 坊やは次第に自分で床の上を移動するようになり、お母さんの真似をして言葉を発するようにもなった。坊やにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいて、よく一緒に遊んでいた。お父さんがいる時にはいつも高い位置まで持ち上げられ喜んでいた。


 町の中に東京タワーというものが建ったらしい。すごく高い赤い建物。

 そんなある日、家にテレビがやってきた。カラーでは映らない白黒テレビだ。

 みながテレビの前に殺到する。他の家の子たちもたくさんやってきた。

 誰もわたしのことなど見向きもしない。わたしはテレビに少しだけ嫉妬した。あくまで少しだけだ。



  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク


  チク


    タク



 その日はこの国でオリンピックというものが開催された。簡単に言うと、運動会だ。

 町は熱気に包まれ、多くの歓声が響いた。

 競技という形で争い、相手から奪うのではなく、称える。人々は明るい方向へ向かい出したように思う。

 わたしの子守歌で育った坊やも、今ではだいぶ大きく逞しくなった。

 時代が移り変わっていく中。

 わたしは時を刻み続けた。

 休むことなく。

 いつまでも。


 いつまで、続ければいいのだろう?


 坊やが家にお嫁さんを連れてきた。

 しばらくして、また新しい赤ん坊が生まれた。

 その赤ん坊も、やはりわたしのゴーンで泣き止んだ。

 お父さんお母さんは、おじいちゃんおばあちゃんになった。

 わたしはわたしのままだ。



  チク



    タク



  チク



    タク



 日中、外から大きな音が鳴り響く。あちこちで建設作業をしているようだった。

 新しい建物が増え、町並みが変わっていく。

 道を車というものがたくさん通るようになった。歩くよりも楽に早く移動できる乗り物らしい。

 テレビも白黒ではなくカラーになった。

 テレビのようでテレビではない、パソコンが家にやってきた。

 やがて電話はどこにでも持ち歩けて話せるコンパクトなものになる。

 人々の生活は急速に変わっていく。


 わたしは時代に取り残された。

 変化を続ける世界の中で、わたしは変わることなくただ時を刻み続けるだけの存在だった。

 わたしは肩の荷を下ろしたかった。

 その時が来ることを望んでいた。

 もう生まれてからずいぶん長いこと経った。

 わたしの居場所は家族の中心の居間ではなく、おじいちゃんおばあちゃんが眠る寝室になっていた。

 そのおじいちゃんおばあちゃんもいなくなる。初めはおじいちゃん。それからおばあちゃん。

 二人の息子のあの小さかった坊やも、今では白髪のおじいちゃんになった。



  ……チ……ク



    ……タ……ク



  ……チ……ク



    ……タ……ク



 人々の間で感染症が流行った翌年、この国で二度目のオリンピックが開催された。前回のこの国でのオリンピックを体験した人たちはもう、いなくなっているか、おじいちゃんおばあちゃんになっている。

 わたしはもう催事にも興味が湧かなかった。

 ただ朽ちていくのを待っていた。

 もう存分に生きた。

 時代の変遷とともに。

 このままひっそりと。

 眠ってしまいたい。

 わたしは人知れず、音を止めた。







 わたしの中で時代が逆行する。

 多くの記憶が映像となって蘇ってきた。

 移り行く人々の生活。

 家族の団らん、笑い声。

 空爆を受け、燃え盛る町。

 そしてわたしが生まれた場所。

 わたしを作った男性の顔。



 光が消え、闇に包まれる。

 音も無い世界。


 時が止まった。

 もう動き出すことはない。


 喜びも。悲しみも。

 全部消えていく。


 わたしが生きたことに意味はあったのだろうか?

 この世界に生まれたことに意味はあったのか?


 答える者はいない。


 静寂の闇の中。



 一筋の光が差した。

 雲の合間から覗く陽光のような。


 温かく。


 まるで。


 おつかれさま、と。


 そう労ってくれているみたいで。


 安心した。


 帰る場所があったことに。





 ◇

  ◇





「おじいちゃん、何してるの?」

 孫の声で彼は振り返った。

 孫が近くに寄ってきて、彼の手元を覗き込み指を差して言った。

「時計だ! すごい大きい」

「ああ」

「動いてないね」

「ああ」

「壊れちゃったの?」

「いいや、違うよ」

 彼は時を止めたその振り子時計をしげしげと眺めた。

「眠ったんだ」





  ◇

 ◇





 わたしはもうこの先を見届けることはできない。

 これからの時代は、あなたたちが紡ぐものだ。

 どうか安寧な世界を築いていってほしい。

 そして時々でいい。

 思い出してほしい。

 刻まれた時の音を。

 あなたたちの未来に、幸あれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おやすみ Your world さかたいった @chocoblack

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ