騎士団長イデルトと5,000字ならギリまだ生きてる男たち。

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騎士団長イデルトと5,000字ならギリまだ生きてる男たち。

 新しい王の就任パレードが大通りを威風堂々と進んでいく。国民の歓声を浴びて進むその先頭に立つのは、青鹿毛の軍馬に跨った騎士団長のイデルトであった。磨き上げた鋼の鎧が陽光を浴びて、まるで彼自体が輝く宝石であるかのようにも見える。普段は兜の下に隠れている相貌も、祝祭である今日はなにも隔てるものがない。

 整えられた豊かな頭髪。その下にある額には一滴の汗も浮かんでおらず、この熱気の中で冷静さを欠片も手放していないことがよくわかる。右の瞳は鳶色の鋭い眼光で周囲を油断なく観察し、このパレードに邪魔が入らぬよう警戒している。そして左の瞳は白く濁っていた。眉の上から頬の中程まで斜めに走る傷跡、まぶたの上をも傍若無人に走るその痕跡が彼の視力を奪ったことは容易に伺い知れる。だが深い威厳を放っている彼の姿を見た人は、その左右で異なる色彩を持つ瞳孔に幻想的な輝きを見出していた。

 がっしりとした顎とそこに蓄えられた髭は、その剣の腕と上げた戦果によってイデルトが騎士団長になったことを証明しているようにも思える。その地位と顔つきから受ける印象とは違い、彼の口元は暖かな笑みを浮かべていた。とりわけ懸命に手をふる幼子と目があったときには、その口角がほんの少しだけ上がるのである。

 民衆からかけられる声援のうち、少なくない者が新しい王よりもイデルトの名を叫んでいた。それは「外交において隣国は王よりも騎士団長を重視している」とまことしやかに囁かれるほどの存在感を持ちながら、騎士道精神を体現している振る舞いと誠実さから王族はじめ貴族からも熱い信頼を受け、国民からは敬意を払われながらも親しみを持って受け入れられている現状を思えば当然とも言えるものであった。


 ひときわ豪奢な馬車の窓から顔を覗かせている新王のエルリック13世の耳にも、その歓声は届いていた。彼はにこやかに手を振りながら、自分の名よりイデルトの名が聞こえたときのほうが目を細めて笑う。弱冠16歳の若き新王へ幼い頃から剣術の手ほどきをしていたのがイデルトである。前王と第三王妃の間に生まれた彼は、子宝に恵まれなかった前王にとって最初の実子であり、紛うことなき王位継承者であった。

 当然、エルリックには多大な期待と同時に過保護なまでの愛情が注がれる。誰もが彼に厳しく当たればいいのか、甘やかせばいいのか迷いながら接することしかできなかった。聡明な子どもであったエルリックは周囲の大人が抱える矛盾に対して、時に才気煥発な賢さで、時に天真爛漫な朗らかさで応えてきた。実際に彼は知恵と優しさを兼ね備えた人物であり、決して無理をしていたわけではない。

 それでも人の顔色を伺うことが先に立つ生活は、幼い子どもにとって気の休まるものではない。ただイデルトとの稽古だけは、彼がそのままのエルリックになれた時間であった。王族として最低限の剣術指南ではあったが、相手を気遣うことなく思いっきり木剣を振り回し、声を上げて走り回り、叱責と喝采が正直に与えられることはエルリックにとって一番の楽しみになった。

 彼はイデルトを父よりも兄よりも深く敬愛し、誰よりも信頼できる相手として受け止めている。彼ら二人だけしか知らぬことだが、エルリックが12歳の春に夢精によって精通を迎えたときそれを唯一相談したのが、兄でも父でもなくイデルトその人であった。と聞けばその想いの深さが伝わるだろう。


 そのエルリックに続き、同じくらい綺羅びやかな馬車に乗っているのが兄のデュテールであった。兄、とは言ってもエルリックとは血の繋がりは無い。彼は第一王妃と有力貴族エイテールの間に生まれた子である。エイテールは治水事業にあたり精力的に活動している最中、不幸な事故で亡くなった。その功績を讃えて建設されたダムには彼の名が付けられた。

 年に数度の洪水に悩まされていた国民から厚い支持を受けていたエイテールを称える意味を込めて、前王はエイテールの妻を第一王妃として迎える。つまりデュテールの存在は非常に難しい立場だった。だが彼は非常に思慮深く、同時に和をもっとも尊ぶ気質を備えていた。その快活さで愛されるエルリックに対し、一歩下がって穏やかに支える姿は安心感を与え、政治闘争を未然に防ぐこととなる。

 その状況を作った影の立役者がイデルトその人であった。エイテールの盟友であったイデルトは、誰よりもデュテールの身を案じていた。彼の性格を熟知していたイデルトは、第三王妃の懐妊が公になるやいなやデュテールを騎士団の見習いとして強く推挙する。王の実子ではないといえ第一王妃の息子である、それを騎士団に、それも見習いという立場というのは異常なことだ。だがそれを通してしまうだけの権威がイデルトにはあった。結果としてそれはデュテールが王位継承争いに関わらないことの意思表示と見なされ、エルリックの補佐として認められる運びになる。

 思慮深い彼はイデルトの行いに深く感謝をすると同時に、強い親愛の情を覚える。そこに亡くなった父の影を重ねているのだろう。


 エルリックとデュテールを見つめている、いや聞いているのが”蝙蝠の”トラリッサであった。片目は病で、もう片目は自ら潰した彼は熱狂する群衆のなかに紛れて周囲を警戒していた。彼はその昔”矢じり目の”トラリッサと呼ばれている、凄腕の弓使いである。幼い頃に隻眼となったトラリッサは、本来なら不利であるはずの弓術において恐るべき才を発揮した。それはまるで失った眼が矢の先についているかのように。

 そんな男が捨て置かれるはずもなく、国軍の弓部隊で遺憾なくその腕前を振るっていた。だがある日、エルリック王子を襲った暗殺者に向かって矢をつがえたところで思わず手を止めてしまう。そこには王子をお守りしようとするイデルトの姿があったからだ。暗殺者を射抜くことは容易い、だがその斜線上に騎士団長がいる。

 トラリッサは深く息を吸うと、意を決して矢を放つ。その一撃は暗殺者の首を当然のように貫く、だがその直前にトラリッサの顔をかすめていた。神業、と言うに相応しい針の穴を通す必殺の一矢。イデルトの眼球表面をわずかにえぐった”だけ”で、暗殺者を射殺せしめたのである。イデルトの眉の上から頬に走る傷と、左眼の視力を失うという代償により王子は救われた。

 だがトラリッサは深く後悔をする。この国でもっとも気高く勇敢な英雄イデルトの視力を奪った、それは取り返しのつかないことに思われたのだ。だがイデルトはその傷の手当すら後回しにして、なんということかトラリッサを讃えたのである。曰く王子のため、ひいては国のために正しい行いができる真の勇者であると。

 その一言で彼は、騎士団長の眼を奪った愚か者ではなく、あのイデルトが認めた戦士として扱われることとなる。トラリッサは感涙する、おぉあの誉れ高き騎士はなんと優しく強い男であろうか。それは信仰にも近い思いである。それだけにイデルトの片目を奪った己が許せない。トラリッサは短剣で我が目を突き、ついに自ら残った視力を手放した。

 現在トラリッサは弓部隊から離れ、特殊部隊に所属している。なんということだろうか、両の目を失ってなお彼の弓はより冴え渡ったのである。音を頼りに放たれる矢はどんな暗闇でも正確無比に相手を射貫く。パレードの護衛として群衆のなかに紛れて、怪しい音を警戒するのが今日の彼に課せられた任務である。トラリッサの耳からはどんな暗殺者も隠れることができない。いまは聞き慣れない車輪の音がどこからかする以外は、至って平穏である。


 パレードを挟んでトラリッサの向かいに立ち、イデルトを見つめているのがメロスであった。メロスは羊飼いで確かに政治はわからぬが、別段これといって邪悪に敏感なわけでもなく、この国の統治はそれなりに善良な部類であった。そしてメロスは羊の世話で毎日が過ぎていくこと喜びを感じている。

 元は一般的に怠惰な程度には怠惰であったメロスは、漫然と羊を飼っているだけであった。季節が来れば毛を刈るほか、時々王城からの使いがやってきて羊の肉を買っていくぐらいのものだった。

 だがその日は違った、いつもの横柄な小役人ではなくピカピカに磨かれた鎧を着込んだ男が買い付けにやってきたのである。メロスは恐怖した。その姿はあまりにも荘厳で、変なことを口走ろうものならひと睨みで頭と胴体に切り離されてしまうように思えたからだ。震える手で羊肉の”いっとう良いところ”を手渡した。立派な騎士様はそれを馬の背へ慎重に積むと、がしゃりと音を立てて腕の甲冑を外し、ぬんと手をメロスに向けて伸ばす。

 どんな叱責を受けるのかと怯えたメロスに、騎士は朗らかに笑うと強引に彼の手をとり固く握手をしてみせたのである。そして彼の羊がいかに素晴らしい味かを実直に語り、今日は新しく生まれたエルリックという王子様の祝いにはぜひこの羊肉を自分が勧めたのだと述べ、そして少しだけ少年を思わせる困り顔で本当は自分が食べたいからなのだが照れながらつけ加えた。

 体が震えるのをメロスは感じた。喜びで体が震えることを初めて知った。自分の飼っている羊が、この立派で高貴でだけど親しみやすい騎士様の血肉になっていることを思うと、天にも昇る気持ちである。それ以来、退屈だった羊の世話は喜びになった。肉を納めるたびに、あの騎士様の口に届くことを考えて恍惚となるのである。


 メロスの隣にいるのはセリヌンティウスであった。別にメロスとは関係ない赤の他人で、たまたま隣にいただけである。彼は街の賢人である、昔は王城で教育係をしていたが寄る年波には勝てず隠居していた。いまは街の一角で子どもたちに読み書きを教えている。セリヌンティウスが城で最後に持った生徒がイデルトであった。子どものいなかった彼にとってイデルトは息子であると同時に、知識を軽んじがちな騎士たちの中で講義に必死で耳を傾け、時に驚くほどの聡明さを見せる愛すべき生徒でもある。


 セリヌンティウスの他の教え子でもある、ネゴヤ/デポルチ/モジュンチュオはイデルトの同期でありパレード先頭を行く彼の真後ろに続く精鋭であった。同じ苦労を分かち合っただけでなくネゴヤ/デポルチ/モジュンチュオは、イデルトがいたから頑張れたことを知っている。騎士として生きることを共に誓い合い、遠慮のない友情を持ち、我がことより互いを重大に想い合う彼らのなかでもイデルトはとりわけ特別な存在であった。


 彼らの視界にはイデルトの跨る青鹿毛の馬、峰踏号がいる。騎士とその愛馬がめちゃくちゃ強い信頼関係にあるのは当たり前だし、それがイデルトと峰踏号ならそりゃもうめちゃくちゃのめちゃくちゃに信じ合ってるのである。たぶん仔馬のときから可愛がられてたとかだと思う、なんか恋人とかよりもラブラブしてっし。


 ここにトロッコが登場する。人名ではない、トロッコだ。そう石炭などを載せて線路を走る、あのトロッコである。時代からしてトロッコがあるのはどう考えてもおかしいのだが、そうやって否定したところでトロッコが停止するわけでもあるまい。轟音をあげて疾走するトロッコは、恐るべきことにエルリックとデュテールとトラリッサとメロスとセリヌンティウスとネゴヤ/デポルチ/モジュンチュオと峰踏号へ一直線に向かっている。

 なんたることだ、このままだと彼らはトロッコに轢き殺されて絶命してしまうこと必定。だが君の目の前には切り替えポイントのレバーがある。君だ、君。これを読んでいる君のことだ。このレバーを倒せばエルリックとデュテールとトラリッサとメロスとセリヌンティウスとネゴヤ/デポルチ/モジュンチュオと峰踏号を助けることができる。

 もうトロッコが出てきた時点でわかってると思うが、このレバーを倒してレールを切り替えた先にはイデルトがいる。どうやれば馬とそれに乗っている人を別々に轢けるかは疑問だが、そもそもいきなりレールが敷かれていることになってるよりは小さな疑問だろう。不思議ですね。

 ともかくこのままだと8人が轢き殺され、レバーを倒せば1人が轢き殺される。逆に1人がまとめて悲しみに暮れるか、8人が絶望的に悲しむかとも言える。なんにせよ絶対どっちかは死ぬのである。トロッコに「※レールの先にいる人を絶対にブッ殺します」って書いてあるから間違いない。

 君は眼の前のレバーに手を

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