鉱物について

鉱物が大好物(?)だと言う文学者は結構居て、宮澤賢治だとかマンディアルグだとか、最近では川野芽生にもそういう感覚がある。
そうした膨大な先行研究(……とは違う)を前にして何を書くべきかという問題が当然ある。

鉱物的なイマージュの円環の中で創作する。
そして新しいものを作る。
もちろん「オリジナリティ」などという概念は解体されて久しい。オリジナリティとは幻である。

〈鉱物〉のイマージュ群を掬う。形にする。
そうして生まれた作品群は近年のゴシック・ゴス文化のように定型に添いながら、瑞々しい。



「サファイアの季節」について。
サファイア→青→〈海/河〉→青年という文字を通したアナロジーの円環をクルリクルリと廻す。
海ではなく河としたのは正しかったように思う。
〈海〉モチーフのためにはウルトラマリン(=ラピスラズリ)を残しておくべきであるから。