第57話 不死神の眷属メムシス 2
「……か、勝てるかな?」
「君が戦うと言ったのだろう。弱気になってどうする」
穢れの怪異メムシスの重圧に思わず怯んでしまっていたアリアだったが、ルイスに言われてもう一度気を引き締めた。
異形の怪物は巨大な腕を振りかぶり、凄まじい勢いで振り下ろす。目の前にいる小さな人間を叩きつぶさんとする一撃。
エヴァンと同化していたときにも見た、巨大な腕で圧殺するだけの単純な攻撃方法。だが先ほどまでと違うのは、腕に
「……っ!」
アリアは咄嗟に腕を避けるが、余波として発生した稲妻と衝撃によって吹き飛ばされて、じんじんと体が痺れた。
地面を埋め尽くしていた真紅の花弁が、視界を覆い尽くすほどに舞い踊る。
これまでの戦いで近辺のクォーツの花はほとんど散ってしまっているが、そのわずかな生き残りすら踏み潰されようとしていた。
同じく衝撃波にさらされたルイスが、受け身を取って次の攻撃に備えながら言う。
「……とは言うものの、勝算はあるのか?」
後方からシスティナが
恐ろしいパワーと耐久力。普通にやって勝てる相手ではなさそうだ。
やはり、新たな力に賭けるしかない。
「『浄化の加護』を試してみたい」
「浄化? それはいったい……」
「二つ目のアウラの花弁を入手したことで使えるようになった、私の新しい力だよ」
加護を授かった瞬間から、その使い方は感覚で理解できた。あとはぶっつけ本番で試してみるだけだ。
「アリアのその力を使えば、怪異を倒すことができるのか?」
「有効……ではあるんだけど。メムシスは強力だから、浄化が成功する可能性は低いってフローリアが言ってた」
「そうか。だが、少しでも可能性があるのなら……」
「
「やってみる価値はあるだろう!」
メムシスは短く貧弱な後ろ脚と、大きく力強い腕を使って四足歩行するように移動しながら、アリアたちを追い詰めようと接近。がむしゃらに腕を振るってくる。
ルイスもアリアもなんとか避けてはいるが、余波として発生する紫黒の稲妻に当てられて、残り
「システィナ! いま話した通りだから!」
「わかりました。彼を助けるために……」
「浄化の力を使うためにも、まずは、どうにかして隙を作れないかな」
「それは難解だな。……だが、やってみるさ!」
強大な穢れの怪異メムシスに対して、どうにかして攻撃を叩き込もうとルイスとアリアは接近を試みる。だが、すぐに後退を余儀なくされた。
周囲に降り注ぐ紫黒の落雷と、振り回される腕の攻撃が激しすぎて、とても近づけないからだ。
腕の
「アウラよ。万象たるマナよ、純然たる破壊の力となりて爆ぜよ!
メムシスが前衛の二人に気を取られているうちに、システィナが後退しながら魔術を完成させた。
大きな魔力弾がやや放物線を描いてメムシスの
強力な魔術だが、その目的は怪物を怯ませることと、目眩しだ。
「いまだ……!」
メムシスの動きが止まったところで、その足元へとアリアは接近する。
剣を持っていない左手をメムシスの体へと
(お願い……これで、倒れて……!)
浄化の加護の力。
メムシスに接触させている手のひらを中心に、アリアの体が白い光に包まれる。
出し惜しみはしない。この強大の魔物を浄化するためにも、最初から全力で、持てる力のすべてを出し尽くす。
だが。
「浄化……し切れない……!」
メムシスの体から黒い霧が湧き出し、夜空へと上っていく。
穢れの力が浄化され霧散していることを示すものだが、それだけだった。強大な怪異のすべてを消し去るには、いまのアリアの力では足りない。
怪物の腕が、足元にいるアリアへと振り下ろされる。
「危ない!」
走り寄ってきたルイスがアリアを抱えて後方へと飛び退く。紫黒の稲妻をまとった衝撃が二人の体に叩き込まれたが、間一髪で直撃は
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう。……でも、ごめん。ダメだった」
「気にするな。それより、どうする? ここは撤退するべきか……?」
浄化の力は効かなかった。
剣や槍では歯が立たず、システィナの魔法も物ともしない相手に、これ以上戦うのは危険すぎる。
でも、それではエヴァンを助けることができない。どうするべきか。
それに、腕と脚部の四肢を使ったメムシスの移動速度は思った以上に速い。逃げ切れるだろうか。
アリアが迷っていると、
「二人は、逃げてください」
後方にいたシスティナが、魔力の矢を放ってメムシスを牽制しながらアリアのほうまで前進してきた。
「わたしが時間を稼ぎますから」
メムシスの腕が振り下ろされる。真紅の花弁を散らす衝撃波に吹き飛ばされるようにアリアとルイスは飛び退いたが、システィナだけは腕で身をかばいながら、紫黒の雷が吹き荒れる中を前進していく。
「システィナ、無茶だよ!」
「……それでも、わたしはお義父さんを放って行くことはできません……さあ、早く!」
一瞬だけ振り返ったシスティナの視線は、力強かった。
先ほどまでの、生きることを諦めてしまった彼女とは違う。
(システィナ……)
全員で生き延びるために、ここで死力を尽くす。そんな強い意思が、彼女の瞳には宿っていた。
「私は、逃げないよ」
「アリア!」
「私がシスティナを置いていくわけないでしょう!」
エヴァンと戦うことになってまで、システィナに生きてもらおうと思ったのだから。
「でも、このままでは三人ともやられてしまいます……!」
「大丈夫……かはわからないけど、まだ試していない手があるから」
アリアの新たに手にした「浄化の加護」には、もう一つの使い方がある。
武器に
「ルイスはどうする、先に逃げる?」
「馬鹿を言え。ここで君たちを置いて逃げるなど、戦士のやることではない」
「……だよね。それじゃあ、踏ん張ろう!」
メムシスが振るう巨大な腕と降り注ぐ雷を避けながら、アリアが叫ぶ。
「システィナ、後方に下がって!」
「は、はい!」
「ルイス、槍をこっちに!」
「わかった!」
メムシスの攻撃が止んだわずかな隙をついて、アリアはルイスの槍の穂先に手をかざした。
聖花にも似た白い光が、槍の先端の刃に宿る。
「アリア、この光は?」
「『浄化の加護』の力だよ。これを付与した武器で攻撃すれば、メムシスにもダメージを与えられるかもしれない」
アリアはメムシスの攻撃を回避しながら、自らの剣にも浄化の力を宿す。
「……けど、問題はどうやって攻撃を当てるかだよね」
紫黒の稲妻は今も降り注いでおり、凶悪な腕による攻撃は続いている。
暴れ回るメムシスを相手に接近して斬り込むのは至難の業だ。
「そうチャンスは多くないと思うから、一回の攻撃に賭けよう。システィナ、私たちの武器に
「わ、わかりました!」
ルイスが攻撃を引き受けている間に、システィナがアリアの武器に魔力を付与。
完了したら即座にアリアとルイスが入れ替わる。
「なんだか、すごい見た目になったね」
槍と剣には、魔力と浄化の加護が合わさって、青と白の激しい光がスパークしていた。
二つの力が相互作用を起こしているのかもしれない。
「これで刃が通らなかったら嘘だな」
「そうだね。あとはなんとかして、一撃を入れられれば……!」
前に出たアリアは、メムシスの周囲を回り込むようにして走った。
先ほどから、体が軽い。どうやら「力の加護」の効果が効いているようだ。
筋力が強くなるということは、攻撃が強力になるだけでない。思い通りに体が動かせる。以前よりも機敏に動けて、足も速くなった実感がある。
あらゆる面で能力が向上する「力の加護」は、フローリアからもらえる加護の中でも特に強力なんじゃないかとアリアは思った。
「ルイス! 私がメムシスの注意を引くから、その間にあなたは攻撃を!」
「大丈夫なのか?」
「うん。そう簡単にやられるつもりはないから」
アリアが囮になり、ルイスが攻撃をする。これはゴブリンの群れを相手にするときにも使った戦術であり、自然な役割分担だ。
危険なのは囮になるアリアも、切り込まなければならないルイスも同じである。
「そうか。……承知した!」
ルイスは槍を構え直し、一瞬に賭けるための気合いを入れる。
アリアはメムシスの注意を引くように、どこを見ているかわからない空虚な眼孔に姿が映るように、凶悪な腕と雷を避けながら、目の前を走り回る。
途中、ほとばしる紫黒の雷光が頬や脇腹、
「ここだ……!」
精神統一をしていたルイスが駆け出した。隙を見出し、巨大な穢れの怪異のもとへ。
青と白の光をほとばしらせた槍が、メムシスの首元へと近づく。
「覚悟しろ、メムシス!」
気合いの声が響き渡る。
ルイスの槍が、メムシスの首元を貫いた。
直後。浄化の白と魔力の青。二つの光が衝撃波を
「私も……!」
動きの止まったメムシスにアリアも接近し、その胴へと剣を振り抜いた。
白と青の爆発に、無数の真紅の花弁が舞い上がる。
ぼう、という奇妙な苦鳴がメムシスから発せられて、その異形の体から漆黒の霧が夜空へと上って月を陰らせる。
「効いているぞ!」
「うん。
アリアは剣に浄化の力を込めて振るう。
光の爆発が、メムシスの体を大きく削った。
そこへシスティナの魔術も炸裂し、相手に反撃の隙を与えない。
勝てる。この強大な穢れの怪異を、今なら倒せる。
アリアとルイス、それにシスティナの三人ともがそう思った。
そのとき、メムシスの体が震え始めた。
痛みにうずくまるように、丸めた怪物の体躯。
ぞくり――と、背筋に嫌な寒気が走る。
「何か来る……ルイス、いったん離れて――」
直後。
爆音が耳を叩いた。
辺り一帯、広範囲に紫黒の落雷が巻き起こり、回避不可能な衝撃がアリアとルイスを襲った。
「きゃああ!」
「ぐあああ!」
紫電に打たれ、花の散った地面に転がる二人。
痺れと痛みが襲う全身に鞭を打って体を起こし、メムシスへと目を向ける。
アリアは驚愕に目を見開いた。
「あ……腕が、四本に……?」
メムシスの体の肩に当たる部分から、新たに腕が出現していた。
その数は二本。もとからあった腕よりは幾分か細くて短い。だが、ただでさえ手強いメムシスの攻撃手段が増えたと考えると、絶望的である。
「ルイスさん! アリア……! 無事ですか!?」
「ああ、なんとかな……」
よろめきながら起き上がるルイスも傷だらけだし、システィナも落雷の余波を受けたのか服が焦げていて、エヴァンの矢に貫かれた腹部だけでなく、腕や脚にも怪我が増えていた。
全員が満身創痍。その中で、一番動けるのはアリアだろう。
なんとか体勢を立て直さないといけない。
だが、
「くっ……メムシスの動きが、さっきより激しくなってる……!」
メムシスは四本の腕をがむしゃらに振り回し、叩きつけ、致命的な絶え間なく繰り出してくる。
まさに手負いの怪物。手がつけられない。
ルイスとアリアは飛び退り、地面を転がって紙一重で腕の攻撃を回避していくが、そのたびに紫黒の稲妻が体を焼いていく。
「ぐ……はっ」ルイスが膝をついた。無理をして戦い続けた体に、ついに限界が来たのだ。
「ルイス、下がって!」
「……すまないっ!」
アリアがなんとか前へ出てメムシスの攻撃を引き受けると、ルイスは体を引きずるようにして後方へと下がる。
後方の二人に敵の注意が向かないように立ち回るが、長くは持ちそうにない。四本の腕と紫黒の雷の乱舞はあまりにも苛烈で、砕けた地面の礫が、振り抜いた腕の風圧と衝撃が、稲妻の余波が次々とアリアの体を痛めつけていく。
「ハァ、ハァ……なんとか、しないと……!」
戦うことを選んだのは、アリア自身なのだから。
その選択でルイスとシスティナの二人が死ぬようなことは、あってはならない。
メムシスの周囲に瘴気が立ち込めて視界が悪く息苦しい。怪物の暴れ回る闇の中に、真紅の花弁が妖しく舞い踊る。
身体中が傷だらけで、もはやどこが痛いのかわからなくなりながらも、なんとか致命傷だけは避け続けているアリア。だが、
「しまっ……!」
腕の一撃を飛び退いて回避したところに、紫黒の稲妻が降り注ぎ、そのうちの一本がアリアの体の中心を撃ち抜いた。
激痛にアリアは絶叫を上げた。
体が痺れて、足がもつれる。
「アリア!!」
システィナの悲鳴のような声が聞こえた。
直後、メムシスの巨大な腕がアリアの体を横殴りに叩いた。
肉が潰れ、骨が砕ける嫌な音が響く。
アリアの体は花畑へと叩きつけられ、まるで人形を力任せに床に投げつけたように、慣性のままに地面を転がった。
――――
――
(私……どうなったの……?)
体が、動かない。
虚ろな意識の中、横たわる地面の冷たさだけが、かろうじて伝わってくる。
視界が赤い。口の中は血の味がする。おそらく全身が血に塗れている。
とても無事とは言い難いが、生きてはいるようだ。生命の加護のおかげだろう。
視線をわずかにずらすと、舞い踊る真紅の花弁の中央に、異形の姿が目に入った。
メムシス。恐ろしい怪物が、ルイスとシスティナに迫っている。
逃げて――。そう言おうとしたけど、口からわずかに血を吐き出しただけだった。
それ以前に、逃げることは困難だった。四本腕になったメムシスの動きは速い。二本の腕と脚部で素早く動き回りながら、残る二本の腕で攻撃をしてくるのだ。
(二人とも……ごめん……。私の、せいだ……)
判断を誤った。わずかな可能性に賭ける前に、まずは逃げて体勢を立て直すべきだった。
ルイスも戦えない。システィナの魔術も通じない。逃げることもできない。
もう、ダメだ――。
アリアの途切れそうな意識を、絶望が塗り潰そうとしたとき。
それまで後方に控えていたシスティナが、怪物の目の前に立ちはだかった。
強大な穢れの怪異メムシス。その眼前に立つ儚げな銀髪の少女。
その様子は、深い闇を照らす銀の灯火に見えた。
だが。
(だめ……システィナ……)
あのメムシスに、たった一人で勝てるわけがない。
逃げおおせてくれるようアリアが祈っていると。
「わたしは、自分自身のことが、ずっと嫌いでした……」
ぽつりと。
自分自身に言って聞かせるように、システィナは言葉を漏らした。
「それは、わたしが重大な罪を犯したからではありません。それよりずっと、ずっと前からです」
生まれ落ちたその時から、ずっと感じていた違和感――。
少女の雰囲気に何か危険なものを感じ取ったように、メムシスの攻撃の手がしばし止まった。
しかし今もなお紫黒の稲妻は降り注いでおり、怪物はゆっくりとシスティナのほうへと近づいてくる。
激しい雷鳴の中にありながら儚くもよく通る銀鈴の声で、システィナは独白を続ける。
「……そんなわたしを、アリアは好きになってくれました。情けない弱さも、贖いようのない罪さえも受け入れてくれて。いっしょに償う方法を探してくれると言ってくれたのです。だから……そんなアリアがそばにいてくれたから、わたしは少しだけ自分のことを……信じてもいいと思えるようになりました……」
システィナの目の前まで迫ったメムシスが、叩き潰そうと巨大な腕を振り上げる。
紫黒の雷が少女の体をかすめた。
「下がれ、システィナ!」ルイスが手を伸ばすが、とても間に合わない。
「わたしは今も、自分のことが嫌いです……でも……代わりにアリアが、わたしのことを好きでいてくれたんです。……ここにいてもいいって、存在を認めてくれたんです。だから……」
メムシスの腕が、システィナに叩きつけられようとした瞬間。
青い光が爆発した。銀髪の少女を爆心地に、瑠璃色が視界を覆い尽くす。
メムシスの放つ紫黒の力とは別種の、青い稲妻を撒き散らしながら。
膨れ上がる魔力の奔流が、嵐となって荒れ狂う。
光が晴れる。
するとそこには――。
四本脚の獣の体に、獣の
青い光で形成された一匹の竜がいた。
瞳の色は銀色へと変化し、瞳孔は獣のように細まっている。
(魔力の……暴走……?)
こんなときに。
アリアは愕然としながら、血の味のする唇を噛んだ。
ソウルライク転生 栗一 @risu1novel
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