紫陽花の花びら

第1話

 君は、ひとりで大人になったような顔をしているけど、それは少しだけ違うと思うな。

 色々やらかしてくれた君と、悲喜交々の年月を生きて来た私たちは、当たり前だけど、手を貸し、言葉を尽くし、君を守り、抱き締めてきたんだよ。

 時にうざったがる君との距離を

感じ、とてつもなく寂しかった時もあったなぁ。

 そんな君だって、赤ちゃんの時はもちろんあったさ。

 君が言葉を覚え始め、一生懸命話す姿に、私たちは笑いっぱなしだった。

 とーやん、かーやん、君は私たちにこんな可愛すぎる呼び名をくれたね。

 夕べのチャイムがなると、足をバタバタさせてリズムを取り始める君を見て、とーやんは天才だと真面目に親バカ振りを発揮してたし。

 数ヶ月後には、君は訳の分からない音を発して、歌らしきもの? を披露し、私たちをこれでもかと言うくらい、有頂天にさせてくれた。

 ヨチヨチ歩きをはじめたのは、夏だったね。

 日中の暑さを避け、夕方五時のチャイムに合わせて、私たちは散歩に出かけるようになった。

 覚えてるかなぁ。

 夕陽に照らし出される笑顔の君は、オレンジ色の天使と呼びたくなるほど可愛いかったよ。


 君が生を受けて三年が経った頃。

 かーやん、からすの歌を教えてと言い出して。

 もちろん、私たちは何度も何度も繰り返し歌って聴かせたよ。

 その夏、君と私がベランダで、いつものように夕焼け空を眺めていると、

「かーやん、おひままはあちち?」

 君は突然聞いてきたんだ。

「お日さまかぁ。そりゃ熱い熱い!」

と、私は大袈裟に熱がって見せた。

 君は、それからしきりにあちち、あちちと繰り返していた。

 

 夏の終わりを知らせる風が頬を撫でる。

 ツクツク法師の鳴き声は、少しの儚さを纏い、夕焼け空に帰っていく。

 

「かーやん!カースの歌ってあ~る」

 嬉々として、私の手を掴むとベランダまで引っ張る君。

 結構力が強くなったのに驚いていると、抱っことせがんでくる。

 抱っこ好きのかーやんにとっては、嬉しい要求だったよ。

 抱き上げると、君がケラケラ笑ってくれる。

 二人で夕陽に向かい、カラスの歌を歌い始めた。

 「かーやんダメ!まーくんだけ!」

 ちいちゃな掌で口を押さえられた。

「じゃあまーくんお願いしまーす」

「あい!」

 君は、意気揚々と歌い出す。

この夏、何度も繰り返された光景だった。

「うーやけおやけでひなくれれ、あーまのおれらのかねにるー

おーててつなてみまかーろ

カースはあちちにきのつてて」

 あれ? カラスの下り違うでしょ。教えるべきか迷いつつも、言葉は口から滑り落ちていた。

「まーくん、カラスはあちちって? そこはカラスと一緒に帰りましょーだよ?」

 君は憮然とした様子で、唇をとがらす。

「ちなうの! カースね、おひままをいいこって、きのつててなの!」

 そう言えば、数日前私の母が遊びに来たとき、二人は、ベランダで何やら大声で、焼けちゃう!とかあちちとか言っていたことを思いだした。

 あとから母に聞くと、カラスが太陽に向かって飛んでいくのを見て、いい子いい子しに行くんだねと話したら、君は、あちちあちちと叫んだそうだ。

 なんと言うことを口走る母なんだと呆れてしまった。

 まあでも、いずれこの可愛い歌を歌ってと、お願いしても君の脳みそには記憶されていないのは明白だ

 そう、きれいさっぱり消えて、思い出の引き出しにさえ入ることはない。

 そう思うと、今はこのままでいい、いやこのままがいいんだと思直したよ。

 きっとこの夏だけの、繰り返される生活のリズムだから。 

 君の大切な夕方五時のリズム。

 

 私は、私の記憶の玉手箱にしまっておこう。

 これから懐かしみと言う宝物は、幾重にも重ねられていく。

 玉手箱が増えれば増えるだけ、君が未来に向かって羽ばたている証。

 愛しさと、温かさのなかで、寂しさがキラッキラッと見え隠れしている。

 行ってらっしゃい!

 大丈夫。とーやんとかーやんはいつだってここにいるよ。


 とりあえず今は。

 

 

 




 




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紫陽花の花びら @hina311311

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