第37話

 その日の午後、二人は早速カミラの部屋に集まった。アルスがテーブルに地図を広げる。

「これから話すことを理解していただくには、我が国の歴史と立ち位置をご理解いただかなくてはなりません」

 カミラも一緒に地図を覗き込む。

 大陸のやや北西に大国ウォルトレスがあり、その下を東西に走る峻峭な山脈のすぐ南にカミラの故郷であるエミリスワンが位置している。エミリスワンの東から南西にかけて広がる広原は未だどの国も手つかずで、他国からエミリスワンへの侵略を防いでくれている。

「この距離が、馬車で約7日間……」

 そこからカミラが指先を東北東にすべらせると、いくつかの河川をまたいでシントレアに到着する。その国土はウォルトレスの約半分であるが、周辺諸国はそのまた半分以下であり、いかにウォルトレスが巨大な国かを示しているようだった。

「ええ。すでにここには行き来できるよう、主要道路をある程度整備してあります。問題は、今回の国王陛下の外遊先がどの国だったか」

「はい……」

「それが、ここです。チュビルワ共和国。我が国の北西に位置し、ここ首都からはかなり近い距離にある国です。すでに往来も舗装されているので、数日で行き来できます」

「なるほど……そもそもこの首都がかなり東に位置しているので、国境に近いんですね」

「ええ。本当は首都移転の話も出ているのですが、いかんせん話が進みません。というのも、チュビルワは不戦国だからです」

「不戦国……?」

 カミラは聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「その名の通り、戦争をしない国です。チュビルワの先人達は、大変政治的手腕に長けていました。シントレアから東方の海にたどり着くためには、必ずチュビルワを通らなければならない」

 チュビルワは国境線の4割ほどを海岸線として有していた。そこをアルスがなぞる。

「実はこの海岸線は大変険しい崖となっていて、北と南にある国の海岸沿いからは船が出せません。また、もう少し南に行くと非常に強い海流が流れているので、近隣諸国はどうしても東方の大陸への輸出は、チュビルワを頼らざるを得ない」

「だからチュビルワには、周辺国も侵略してこないんですね」

「おっしゃるとおり。しかも、チュビルワの先人は東の大陸との深いつながりがあります。チュビルワに何かあれば、そちらからの援軍が海をわたってやってくるでしょう」

「それは……確かに手出しできませんね……」

 東の大陸はチュビルワを恋しがるようにそこだけ突き出ていて、かつては船乗りたちがそこをわたって交流を楽しんでいただろうことが、カミラにも想像できた。

「余談ですが、この海峡には、他国を侵す者の船は海底に沈むという言い伝えがあります。それほど強い後ろ盾があるのですから、チュビルワが不戦を誓っても、周辺国から侵略されることがないのです。それは我が国も同じこと。陛下も腹の底ではどう思っているかわかりませんが、表面上は友好関係を保っているのです」

「なるほど……それで、今回はチュビルワへ?」

「はい。周辺国では、前例に倣って国の長同士の話し合いはチュビルワで行われてきました。武器も持ち込めないため、他国で行うよりも安全だからです。帯剣すら許されません」

「そんなに厳しいんですね……。確かに、どちらかの国へ行くよりは、いっそチュビルワで話し合いを行うというのは、理にかなっている気がします」

 国の長が武器を扱える他国へ行く以上、暗殺の可能性は拭いきれない。それであれば、安全性の高い第三者国で会合を行うのも納得できる。

(だから今回もチュビルワで……すでに付き合いのある国だから、ヴィンセントさんもある程度旅程が把握できたんだ。それに、国王陛下が南征にこだわった理由がわかる。南しか攻める場所がなかったんだ……)

 一つひとつ、これまで細切れに得ていた情報たちが一本の線で貫かれるのがわかった。

「問題はそこで何を話し合ったか。ある筋の話では、ウォルトレスが動き出すのではないかという噂があるようです」

「ウォルトレスが……?」

 アスルは声を潜めた。部屋に入る前に人払いは済ませたが、それでも周囲を気にしてしまうほどの機密事項であるとわかる。

「ええ。今回はウォルトレスが攻め入ってきたときの対処について相談したものと思われます。おそらく武力で対抗することになるかと……。しかし、まだすぐすぐのことではないようです。何しろ、山脈があるからエミリスワン経由で侵略するよりは、山脈をたどってはるか東から、大きく迂回する行路を辿るのではないかと。西はすぐ海ですから、陸路で来る可能性のほうが高い」

「ですが……かなり大変じゃないですか? いくら強い騎士団でも、これほど長い距離を巡ったら、疲弊してしまうのでは……」

 山脈は、ウォルトレスから見て、シントレアやチュビルワのはるか東まで続いている。素人目に見ても、山脈に沿って東に迂回するのはあまりにも無理がすぎる気がした。

「ええ。しかし、ウォルトレスは山脈のお陰でこちらと情報が遮断されている。山脈の裏でもしウォルトレスが勢力を広げていたら? 補給地点となる連帯国をいくつか作っていたら?」

「確かに、その可能性もありますね……」

「また、ウォルトレスの軍事力はかなりのものです。この行路で進軍するのは、我々の軍事力では無理でしょう。しかし、今のウォルトレスがどれほど軍事力を強化しているのか、水面下で動かれれば……平常時でさえほとんど情報が入ってこない我々には、伺い知ることもできません」

(エミリスワンでは……お父様の部下の方が、時折山に入ってウォルトレスとの交流を持っていたけど……)

「あ……だから、私が危険なんですね」

「そうです。ウォルトレスに一番近いのがエミリスワン。地理的にも、情報的にもです。だからヴィンセントさんからエミリスワンへの連絡手段を取り上げ、カミラ嬢を守るヴィンセントさんを排除する。しかもヴィンセントさんという目の上のたんこぶを処分できる可能性があるのですから……表面上、陛下の思惑通りでしょう」

 アルスの言うとおりだ。ヴィンセントを引き剥がせば、カミラを人質にとってもいい。エミリスワンには武力で言うことをきかせることにして、ウォルトレスに対して先回りした対策ができる。

「ですが……陛下も一つだけ見誤ったことがあります」

「見誤ったこと?」

「ええ。あなたと私の存在です。陛下はヴィンセントさんを過小評価しすぎたのです。出来損ないの次男坊にしておきたかった。彼がこれほどまでに人の信頼を勝ち得るとは思っていなかったのでしょう。私もあなたも、陛下の言うことを聞いてヴィンセントさんを裏切るくらいなら火炙りにされるくらいの覚悟はある。国王陛下は今朝のうちに我々を始末しておくべきでしたね」

 アルスがそう言って微笑んだのを見て、カミラの胸の内に温かいものが広がる。

「……そうですね。私も、何があってもヴィンセントさんにつきます。生涯の伴侶ですから」

「さて、それでは手早く作戦会議を済ませてしまいましょう。今のうちに乗り込まれては、意味がありません」

「はい」

 アルスの目を見て深く頷く。ヴィンセントを介して、絶対に裏切らないと思える腹心の友を得た。二人はこれから始める国王への抵抗を、ひそかに話し合うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あかぎれ姫の結婚 入夏みる @tbrszk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ