今は真夜中

尾八原ジュージ

今は真夜中

 小学校の下校時刻は夕方の四時半、ぼくはそのぎりぎりまで、グラウンドで目一杯遊ぶような子どもだった。学区の端っこにある家は学校から結構遠く、それを友達としゃべりながら帰ってくるものだから帰宅はさらに遅い。ただし五時から始まるテレビアニメはリアルタイムで観たい。

 母さんと妹の話によれば、家にいると、ぼくの帰宅が音でわかったらしい。アニメのオープニングテーマが始まったころに玄関が開き、ランドセルを放りだして階段を上ってくる。バタン、ドサッ、トントントントントン。そして二階からテレビの音がし始める。目で見なくても、リズミカルな動きが手に取るように伝わってきたそうだ。

 この習慣は、ぼくが小学校を卒業し、同時期にテレビアニメが最終回を迎えたことで終わった、はずだった。ところが今も夕方の五時になると、

 バタン、ドサッ、トントントントントン

 なぜか音だけが繰り返されるのである。

裕典ひろのりが帰ってきた音じゃない」

「ね、お兄ちゃんの音だよね。八分の四拍子だよ」

 母と妹は、半ば笑いながらそう言いかわす。

 音が始まったころに玄関を見にいっても、だれもいない。無人の階段を、トントントントントンという音だけが上っていく。奇妙なものだ。

「あれ、何なんだろうな」

 自分がたてていた音とはいえ、気味が悪い。

 でも、母さんと妹はあまり気にならないらしい。仕事に行っている父さんはこの時間は家にいないから、相談してもピンとこない様子だ。

「もしかして幽霊になっちゃったんじゃない? お兄ちゃんの音だけ」

「は? おれ生きてんのに?」

 けっこう真面目に反論したのだが、妹は可笑しかったらしく、げらげら笑った。


 その日、ぼくは熱を出して学校を休んだ。

 ひとしきり眠って、喉が渇いたのでキッチンに向かった。シンクに手をついて水を飲む。

 もう夕方だ。窓から差し込む日が暗くなり始めている。

 父さんは仕事。母さんは今月からパートを始めた。妹はピアノのレッスンに通っている。家にいるのはぼくひとりきりだ。

 熱はまだ下がっていない。ぼんやりと天井の模様なんか眺めていると、バタン、と音がした。

 ドサッ、トントントントントン。

 ああ、五時か。

 そのとき、発熱のせいだろうか。ふと魔が差した。

 ぼくは廊下の方に向かって「おかえりぃ」と呼びかけてみた。

「はぁーい」

 まったく知らない女の声が、それに応えた。


 それ以来、ぱったりと夕方五時の音は途絶えた。

 今は真夜中、だれもいない部屋から物音がしたり、無人の廊下を歩く足音が聞こえたりする。

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今は真夜中 尾八原ジュージ @zi-yon

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