探索バイト、はじめました

@Kirizaki

葉山鬼遠原発・前編

 二十四世紀末。

 世界は崩壊した。


「ハヤマキオンゲンパツでの探索?」


 二十一世紀後半に第三次世界大戦が勃発した。

 元は小さな国同士で起きた小さな抗争だ。それがいつしか大国を巻き込み大戦へと勃発したのだ。各国の間で取り決められた条約や協定は意味をなさず、数多くの人員と資材、毒ガス、核爆弾が投入され多くの命が失われた。その影響は人間の数だけにとどまらず、地球環境にも悪影響を与えた。空は変色し、川は茶色い酸性に変化し、植物は枯れ果て、動物は姿を消した。

 人も姿を消し、一部の人間のみだけは地下に逃げ込み生き残った。その一部の人間も終わりのない地下生活にやがて資材が尽き、着実に数を減らしていく。けれど、しぶとく生き残るのが人間というもの。終わりのない永遠の時間かと思われた時間__実に二百年近くを人類は地下シェルター内で過ごし、僅かではあるが子孫を残した。そして、先人たちが残した大気汚染の計測器を手掛かりに、ようやく地上へと出られたのが二十四世紀初頭。その後は着実に活動域を伸ばしながら人類の数を増やし、かつての人類の文化を復興させようとしているのが現代である。


 そんな現代において、「アフターチルドレン」と呼ばれる子供たちがいる。人類がシェルター暮らしをしていた時ではなく、地上に出てきてから生まれた子供たち。その子供たちの中に特異な能力、平たく言えば超能力に近い力を持っている子供たちがいるのだ。

 例えば、生身で自動車と同じ速度で走れる。

 例えば、素手でガラスを真っ二つに割れる。

 例えば、スーパーコンピュータと同等の演算処理が行える、などなど。

 到底常人のそれではない能力を持つ子供たち。大戦が起きてより偶発的に生まれ始めた、まさに超能力者とでも呼ぶべき存在だ。彼らはいつしか"大戦の後に生まれた子供"として「アフターチルドレン」と呼ばれるようになっていた。


 また、人類がかつて栄華を極めた時代。その時代に使われていた技術は、今の人間にとってはとても複雑で難解で怪奇なものであった。だからといって何もしなければただ失われるばかり。かつて人類が得た豊かさと富とは得られない。よって保存だけでも行うべく、とある職業が発足した。


 「探索者」

 対戦が起きる前の人類の文化を発掘する、前文明の探索のスペシャリストである。

 そして__この現代において、「戦争の負の遺産」とも揶揄されるアフターチルドレンの逃げ場所でもある。


「ええ。二十一世紀に稼働していた、世界最大の原発よ。第三次世界大戦が起き、管理者がいなくなってしまって原発ごとドカン。おかげでつい十数年前まで立ち入り禁止だったわ」


 彼女の名は天童(てんどう)。僅かに赤みがかった艶やかな黄金色の髪に、同じく黄金色の瞳を持っており、バストを引き締めるようなブラウスとシャツ、スラックスをビシリと着こなしている。

 「探索者」をメインとして雇う探索会社、「ruin」の社長を務めている女傑だ。性格は悠悠閑閑、泰然自若、余裕綽々……いついかなる時も同じ姿勢を崩さず、口元にかすかな微笑をたたえ、あらゆる困りごとを一昼夜にして解決する、若手の凄腕社長。ruinがここまで大きくなったのは「探索者」の仕事もさることながら、彼女の采配によるところも大きい。


「それは……命の危険はないんですか」


  彼女の名はコトネ。涼しい空色の髪をハーフの団子にまとめ、瞳は爽やかなエメラルドグリーンに輝いている。マスク風のマフラーに、大気から体を守るための薄手のコートを身にまとっている。中に着ているトレーナーやズボンは速乾性の高いポリエステルで作られている。脛まで覆う靴は普段は鬱血する寸前まで締めているが、今は緩めに結んでいるようだ。

 まさに「アフターチルドレン」としての素質を持ち、同時にruinで探索者として働いている少女である。会社内では感情に乏しい探索者として知られており、そのせいか会社内でも比較的孤立しているイメージを抱かれている。だが、その声はどこかこわばっているように聞こえる、原発跡地での任務というのは基本的に危険物質の温床として知られているからだ。


「ええ。ないわ。うちの凄腕隊員が先行調査に言ってきたけれど、周辺の大気は極めて安全だそうよ」


 資材の乏しい現代には珍しい、ガラス張りの窓から陽光が差している。外には夏だというのに狂い咲きした桜が舞っており、夏だというのに長袖を着た人間が桜を見上げている。かつて起きた大戦の影響により、季節が一つずつずれているのだ。

 今は七月。かつて夏と呼ばれたこの季節は、今では春である。


「凄腕であればその人物に頼めばいいのでは? 私もあまり危険な場所にはいきたくありません」

「あら、探索者ならもっとハングリー精神を持たなくちゃ」

「命あっての物種、という言葉がありますが」

「ああ言えばこういうわね」


 天童が渋い顔をする。対するコトネはど対するコトネはわずかにしかめっ面。誰が原発に好き好んで行くとでもいうんだ、と言いたげな顔だ。いや、実際そう思っているのだろう。 けれどそれも微々たるもの。一見するだけでは無感情のように見える。こんなところが会社内で先述の"感情に乏しい少女"として知られることになった所以だ。

 天童がぐいっ、と身を乗り出す。はらりと赤みがかった髪が揺れ、一気に天童の顔が至近距離に詰まった。下手をすれば顔と顔がぶつかりそうである。急にここまで距離が詰まると普通なら多少は戸惑いそうなものであるが……やはりコトネは顔がいいな、と吞気に考えるだけだった。


「いいこと? この任務は、私が独自に頼むものなの」

「はい?」


 一回では意味が理解できず、コトネは思わず聞き返す。

 「探索者」の仕事というのはたいてい政府から割り振られる。なぜなら、前文明の富というのは国家の保管のもと管理されなければいけないからだ。個人でも保管自体はできるが、そうなると前文明の利益や富といった利権を独り占めする阿呆が出てくる可能性がある。その危険性を可能な限り下げるため、「探索者」が持ち帰った成果は政府施設にて保管される。

 そして、その「危険性」を下げるため、対策の一環として一個人が探索者に依頼をすることもまた、禁止され、法律にて制約が駆けられている。その制約が破られることがあれば

 それは天童とて例外ではない。


「それは犯罪行為では? 私は犯罪の片棒など担ぎたくありませんよ」

「コトネ」


 いつになく真剣な声だった。

 気づけば、外から声が聞こえなくなっている。施設の周りにいた人間が出払ったのか。

 天童の月を掬ったような瞳が、コトネのエメラルドの瞳に浮かび上がる。


「政府は原発をこの二十四世紀に復活させようとしている」

「__は?」


 感情の機微に乏しいはずのコトネの瞳が見開かれる。"嘘でしょう?"という言葉が喉まで出かかったが、それをすんでのところで止めた。そんな印象だ。


「原発って……"核ニ関スル凡ユル技術ノ会得ヲ禁ズ"。この条約が結ばれたのはあの『シェルター時代』。それも前半期の二十一世紀末じゃないですか。あの時代に結ばれた条約を破ろうなどと考える馬鹿はいないはずです」

「馬鹿なのはあなたよ。そんなの建前に決まっているじゃない」

「バッ……」


 心外だったのか。驚愕に見開かれていたコトネの瞳に若干の怒りが混じる。


「あなた、頭はいいけれどこういう方面への頭はめっぽう回らないわよねえ」

「……心外です」

「あら、心の声が出たわね」

「誰のせいだと……」

「その三点リーダーを使いまくるタイプの話し方、やめた方がいいわよ」

「なんていう表現ですか」


 脱線したわね、と天童が頭を振る。コトネがじっとりとした目で睨みつけるが、ここで話を続けても発展しないと判断したか。一回の瞬きでいつもの凪いだ瞳に戻す。


「話を戻すわ。政府のお役人方は核をこの時代に復活させようとしている。その足掛かりとして、かつて世界でも類を見ない規模で稼働していたハヤマキオンゲンパツをターゲットに据えた」

「それが事実であれば、私も協力はやぶさかではありません」


 第三次世界大戦があそこまで酷いものとなったのは、過去二回と違い「核」が使われたからだ。あの時代に流された涙、血、悲しみ、失われた命はこの現代においても語り部によって語り継がれている。その凄惨な光景は文字や言葉だけであっても脳裏に在りし日の地獄を思い起こすにたやすく、コトネは幼心にあれらのおとぎ話を聞くのを嫌がったものだ。

 しかし、その教育は良くも悪くも功を奏した。この現代を生きる人々は核を決してこの時代に再登場させてはならないと、そう固く心に誓っているのだ。


(その誓いが破られることなどあってはならない。あの戦争のせいで、私たちは……アフターチルドレンは、生まれてしまったのだから)


 コトネがぎゅっ、と拳をきつく握りしめた、


「あの原発を狙っているのはわが国だけではないわ。米国や中国、英国もハヤマキオンゲンパツの技術を狙っている、まったくもって嘆かわしいことね」

「それには全面同意ですが……英国などという遠距離からどうやって連絡を取ったんです? というか、それが事実であるなら世界を揺るがす事実です。本当にその情報は正しいんですか? 事実でなかった場合、飛ぶのは私とあなたの首だけではすみませんよ」

「あなたも首をかけてくれるの!? 嬉しいわ~、世界を救うためなら私と一緒に心中も厭わない覚悟なのね?」


 いまいち非常に気持ち悪い発言だ。そうでなくても急に言葉のテンションが上がったあたり非常にわざとらしい。死なばもろともだといいたいのだろうか。やめてくれ、とコトネは今日一番のしっぶい表情を浮かべた。


「世界のためなら心中します。あなたのためじゃあありません」

「つれないわね」

「気色悪いですよ」


 資材が乏しい今、遠距離地点同士を繋ぐ遠隔連絡装置は国家の上層部の、更に上層部の上澄みでしか使われていない。そこでやり取りされる情報はまさに国家機密。「ruin」はある程度企業として名を馳せているし、時折国家から仕事も任される。だが、まさか国家間同士の国家機密に当たるような重要情報まで流されるほどの存在ではない。


「まぁいいわ。このソースは確かなところのものよ。仮にあなたがこの仕事を失敗したとしても、私がすべての責任を取る手はずは整っている。あなたは安全よ」

「よくないのですが……本当に私の身に危険はないのですね? ソースを明かせないというのであれば、たしかに私の命の保障だけはしてください」

「だからハングリー精神を持ちなさいと言っているの」

「だから命あっての物種だと言っているんです」


 両社ともに譲らない。


「本当に野望がないわね」

「堅実に生きろ、と先人も言いました」

「先人ではなく老害の間違いじゃなくて?」

「ではあなたも老害ですね」

「なんですって?」

「私より十も年上なのに原発跡地に向かわせてますので」

「なんですって??」


 確かめるようにきいた言葉が、訝しげなものに変わる。

 いや、たしかに原発跡地にコトネのような少女を向かわせるべきではないのだ。安全性が確保されているとはいえ、いや確かに、それより天童が引っ掛かったのは「十も年上なのに」という言葉。レディーに対してかける言葉では到底ない。"女性に年齢を尋ねるな"。広義には男性のデリカシーのない発言に対して用いられる言葉だが、女性同士で使っても違いはない。コトネの言葉を借りれば「先人が残した」その言葉に倣い僅かな敵意すら込めた言葉だったが、コトネは変わらず涼しい顔。レディーにかける言葉じゃないわよ、と言葉にしようとしたがこの様子では馬の耳に念仏のようだ。


「……あなた、還暦を迎えたら覚えていなさいね」

「探索者はアスペストの中で生きています。長生きできないでしょうからお気になさらず」


 アスペスト。人体に有害な気体だ。二十一世紀においては石綿と呼ばれる鉱物に含まれる鉱物に対し用いられていた言葉らしいが、今の時代ではもっぱら前文明の遺跡に漂っている、正体不明の未知の気体に対して使われる言葉である。


「全く本当にあなたは……あの小さな時の純真無垢さはどこに行ったの?」

「人間など誰しも幼いころは可愛いものですよ。成長して醜く汚くなってゆくんです」

「やめて頂戴。世界の心理だわ」


 天童が後ろを向いてゲェ、と吐くふりをする。自分自身にも通じるところがあったらしい。


 だが、いつまでも遊んでばかりではいられない。探索者を数多抱える「ruin」の社長は暇ではなく、「ruin」において引っ張りだこでもあるコトネも暇ではないのだから。

 天童が前を向き、コトネを見つめる。

 その瞳は先ほど部屋で会った時のような、余裕然としていながらも社長に相応しい余裕と強さに満ちた強者の瞳をしていた。


「それで、この仕事受けてくれるの?」


 その瞳に真っ直ぐ射抜かれ、コトネも姿勢を正す。


「はい。世界が滅ぶのは、一度で十分です」






▽△▽△▽






「葉山"鬼"遠原発、ねぇ……」


 古来よりこの島国では、災害が起きた際にその教訓を後世へとのこすべく、災害をモチーフとした名を地名に遺すことが数多くあった。鶴、龍、蛇、桜、萩、椿……一見して美しく思えるそれらの言葉は、時としてかつてその地に牙をむいた自然の脅威をのちの世代に訓戒として残していることがあるのだ。

 そしてこの島国においては、ネガティブな言葉もかつて見舞われた災禍を表していることがある。

 飢饉、水難、地震、台風__一つ所にとどまらぬ多種多様な自然の理不尽な暴力。

 その暴力を風化させんと後世に伝えようとしたの先人たちの努力こそが、その名前なのだ。


「名前からして何かありそうな場所だ」


 コトネは山道を歩いていた。

 整備されていない野ざらしの山だ。前日に雨が降ったらしい。長年手つかずで大気にさらされていた大地はすっかり腐葉土と化し、ふわふわの土がどこまでもコトネの足を絡め取る。

 都市の開発にばかり手を取られ、自然保護などロクにされていないこの二十四世紀。登山道などというおしゃれなものは存在しないのだ。


「まぁ、ほかの仕事でも大抵こんな場所だから慣れっこだけど」


 そのまま慣れた様子で腐葉土に足を突っ込み、長年の「探索」の仕事で鍛えられた健脚ですっぽぬく。スポスポという効果音が尽きそうなほど軽やかな足取りだ。


「バイクもなけりゃ車もない。あるのは己の足だけ、ってね」


 バイクも車も二十四世紀に存在はしているのだが、ガソリンは存在しない。前文明には太陽光発電とやらがあったようだが、あの技術は大戦の時代に一度失われてしまった。探索者が持ち帰った遺物から復元作業は行われているが、まだ試験運用段階で車やバイクには搭載されるフェーズには至っていない。搭載されていたとしても、こんな山道を走るのは不可能だろう。


「さて。そろそろ出るはず……」


 コトネがそういうのと同時に、パッと視界が開けた。


「うっ……眩しっ」


 今までは森の中を歩いていて太陽光が遮られていたのだ。だが、切り開かれた場所に出たため陽光がコトネに対して強烈に差す。コトネは思わず何度か目を瞬かせた。

 視界が開けた先に、あったのは。


「……は? 崖??」


 はるか眼下に広がる広大な原発施設。そして、その施設をぐるりと覆うように広がる、測ったように垂直な断崖絶壁の崖だった。

 いや、実際測られているのだろう。おずおずとコトネが崖の先端に手をやるが、その感覚は限りなく九十度に近かった。ついでに言えば手のひらには二百年以上放置されていたことにより朽ちたコンクリートの感覚が伝わってくる。そして、長い時をかけて生えてきたであろう太いツルの感触も伝わってきた。


 ついでに言えば原発の向こう側は、海だ。

 大体四角形の図形をイメージしてほしい。その四角形のうち、真ん中にデデンと原発がある。そして、右側と下側が森と崖になっていて、上側と左側が海に面している。厳密には違うが、大体の構図はそんな感じだ。


「これは……」


 侵入経路が存在しない。

 このツルを下ること以外は。

 コトネは地面に座り込み、天を仰いだ。


「……帰っていいかな……」


 目測およそ百メートルの断崖絶壁だ。周りを軽く見渡してみるが、ここ以外からの侵入ルートは見つからない。いや絶対に他に正規の入口はあるのだろうが、少なくとも天童から預かった資料にはそんな道のことは書いてなかった。いや、入り口自体はあるのだろう。だが、大方大戦で失われた二十一世紀の技術__「ロストテクノロジー」によるものなのだろう。ICチップとやらで開く鋼鉄の扉が全国にあると聞く。その手の入り口だった場合、文明レベルが衰退した二十四世の人間になすすべはない。


 コトネは天を仰いだ。

 ついでに天童を心の中で十発くらい殴った。


 それともあれなのだろうか。前文明に存在していたというヘリコプターとやら。あれは空を飛べた上に梯子を垂らして地上に降りる事が出来る優れものだという。アレを使って侵入するのだろうか。だとすればいよいよICチップより現実味が薄れる。化石燃料の取り尽くされた二十四世紀において、ガソリンは半導体より貴重なのだ。



 おそらく今日は厄日である。

 コトネは十回分、追加で天童のことを殴った。


「……帰っていいよね……」


 死んだ魚の目をしながらも、仕事はしなければ……とコトネは立ち上がる。

 一先ず崖の縁をぐるぐると歩き回ったり、ツルを引っ張って強度を確かめたりする。侵入経路は特になさそうだ。ツルは二百年の間に非常に太く育ち、コトネが全力をこめてもうんともすんとも言わないほどの強度を持っている。だが、やはり自分の全体重を預けろと言われたら精神面に不安が残るようなものだった。


 ピッ、ピッとツルを引っ張る。

 何も起こらない。


 コトネは空を見上げた。

 遥か頭上の太陽の光が悠々と差し込んではコトネの肌を焼く。

 ピィー、と一羽の鳥が雄大に太陽を横切り飛んでいた。


 もう一度ツルを引っ張った。

 ブチッ、と音がして細いツルがちぎれた。


「……はぁ~~~~~………………」


 コトネがもう一度地面に座り込む。

 万策尽き果てた。

 そんなことが言いたげな顔だったが……。


「……もし」

「びゃあっ!?」


 後ろから、声がかけられた。

 まさかこのエリアに同業者がいると思わなかったコトネが、あまりの不意打ちに猫のように飛び上がる。


「すみません! 驚かせてしまいました」


 間一髪、崖の方向に落ちることは免れたものの、腐葉土の地面に思いっきり頭を打ち付けたコトネ。すぐさまそこから立ち上がるも、頭から腐葉土を浴びてしまった。

 踏んだり蹴ったりだ、とコトネは心の中で毒づいた、

 簡単に服に就いた土を払ってから、コトネは声の方向を見た。


「あのー、怪我は……?」


 綺麗な少女だった。

 短く切りそろえられた黒髪。丸くて大きな黒曜石の瞳。探索者とは普通、長袖にズボンを着用するものだが、この少女は羽織と着物。袴を現代風にアレンジした可愛らしい服装をしている。少なくともこんな山奥に着てくる服装ではない。しかし同時に、こんな山奥に来るとすれば探索者くらいしか思いつかなかった。


「探索者……か? あんた」

「はい! あなたもですか?」

「あ、ああ……」


 年齢は十五、六ほどだろうか。探索者というのはもっぱら体力のある若年代~中年代の男が就く職業だ。これほど幼い子供、それも女子がなるような職業ではない。

 であれば、この少女も恐らく探索者になるしかなかった「戦争の負の遺産」、アフターチルドレンだろう。

 いやというかそれよりも前にコトネが突っ込みたいのは。


「なんでアンタこんなところにいんだよ!?」


 ということであった。

 ここは探索者の脚でも片道一週間はかかるド僻地だ。いまだ都市部の開発で精一杯な国が探索依頼を回すところではない。なので国からの依頼のみで動く探索者が、政府の依頼がないはずのこんな僻地にくるはずがないのだ。

 コトネのように、個人から依頼を受けているでもない限り。


「それはこちらのセリフですよ! なんでこんなド僻地に??」

「えっ、えーっとー……」


 そして、再三になるが個人からの依頼委託というのは犯罪行為である。前文明の遺産と利権を独り占めしようという悪行であるゆえに。


「もしかして、個人から依頼を受けたクチですか?」


 鈴を転がしたような少女の声に、うっ、と喉に詰まった様子のコトネ。

 図星である。図星も図星、大図星である。

 これがただの人間ならば、コトネにもやりようはあった。


 コトネのアフターチルドレンとしての能力は、いわば「曲芸師」。サーカスの構成員のように、軽々と動き回って相手を翻弄する軽業の能力である。倒すことは難しくとも逃げることならば容易だ。


 それが彼女は暫定言えどアフターチルドレン。それも相手の能力もわからない。逃げ切れない可能性もあるし、最悪政府の前に突き出される可能性だってある。天童が"安全策は用意してある"という旨のことも言っていたが、天童に連絡する暇もなく警察に連れていかれたとしたらその"安全策"とやらもわからなくなる。


 どうする。どうする、と意味もない焦りだけがコトネの頭の中を支配する。

 ツー、と滴りおちた丸い汗の粒が、腐葉土に吸い込まれた。


「……ま、私も一緒なんですけどねっ」

「え??」


 だから、少女のその言葉はコトネにとって神がもたらした救いの手だった。


「私も似たようなもの、といったんです」

「……あんたも……?」


 水分は十分にとっているはずの喉から、からからに干からびた声が絞り出される。それほどまでに緊張していたらしい。

 コトネが思わず漏らした声に、少女はどこか満足げに微笑むと、バッと羽織を翻してその場で半回転した。


「私もとある人から依頼を受けてきたんです。個人委託、というやつですね。私もおまわりさんに見つかればすぐにお縄です。

 そしてあなたも恐らく、原発の技術を復活させんと目論む、不埒なお役人の皆々様方の愚考を止めるためにここに来た、というところでしょう?」

「……驚いた。あの情報は本当だったのか」


 実はいまいち天童からの情報を信頼しきれていなかったコトネが、感嘆交じりに返答する。


「なんだかあなた、三点リーダーを使いまくる話し方をしますね」

「先日も知り合いに言われたんだが。なんなんだ、その表現の仕方は」

「いやだって、そうとしか表現できない話し方でして」


 コトネが仄かに苦い顔をする。まぁその実僅かに眉が下がっただけだが。


「しかし、話を聞くにまさかあの情報の真偽を信頼しないままここに来たのですか? なんというか、その危機管理能力というか危機察知能力というか……馬鹿なんですか?」

「おい、言うに事欠いて馬鹿とは何だ。もっと言葉を選べ」

「では言い換えますね。先のことも見通せなければ情報リテラシーの基礎もなっていない、探索者の端くれにも及ばな「あーっあーっストップストップ! それ以上は自爆する! てかアンタ、大和撫子な外見にそぐわず性格悪いな!?」褒められちゃいました~。えへへ、照れますね~」


 あー、なんだこいつ。疲れる。

 コトネの眉の角度が二ミリ下がった。


「……うん、なんか、もういい」

「なにがです?」


 少女がきょとんと眼を丸くする。まさか天然なのだろうか。いや、天然だとしてもたちが悪いし、天然じゃないとしてもたちが悪い。

 どっちにしろたちが悪かった。


「あと、あなた以外に感情豊かじゃないですか。さっきまでの、なんだか斜に構えた、なんか"この世界に絶望してます"みたいな中二病の空気纏うのやめた方がいいですよ」

「前言撤回。お前は"非常に"たちが悪い女だ」

「レディーに突然失礼な!」

「お前もな」


 まるで茶番じゃないか、とコトネが心の中で毒づく。ついさっきも毒づいたばかりな気がする。やはり今日は厄日である。


「ああもういい。私はもうあの施設に潜入する」

「え、待ってください。あそこに入るための場所は知っているんですか?」

「知らん。だからこれを使う」


 コトネはぴんっ、と手近なツルを引っ張ってみせた。

 少女の表情がみるみる変わり、あっという間にドン引きと"ありえない"という感情を混ぜたような表情になった。


「やっぱり馬鹿なんですか?」

「もっとオブラートに包め」

「やはり先のことも見通せず目先にある危険すら認識できず、解決策を探そうとしなければ楽に目の前の短絡的な解決策に「あーっやっぱいいお前やっぱいいてかお前本当にたち悪い、いや性格悪いな!?」え? あなたがオブラートに包めと言ったんじゃないですか」

「広辞〇でオブラートの意味を引っ張りなおせ!!」


 コトネが思わず肩で息をする。

 こんな大声を出したのはいつぶりだろうか、と目の前の少女という存在から逃れるべく、現実逃避交じりの思考をしてみる。が、いまだかつて誰かに対し、こんな大声を出したことはなかった。まったく探索者というのは孤独な職業である。

 コトネの場合はぼっちだっただけであるが。


「それなら、あんたはどこから入ればいいのか知ってるのか?」


 シュンッ、とコトネの表情筋が一瞬で元に戻る。


「はい。これを使います」


 対して、少女が胸元から取り出したのは。


「カード?」


 何やら薄い、カード型の物体だった。

 トランプかと思ったがそれよりも硬めな印象を受ける。少なくとも紙ではなく金属かなにか、もしくはそれに近いもので作られているようだ。


「違います。カードキーです」

「カードキー……あのICチップが使われているという、前文明の失われた遺産か!」


 元に戻ったはずの表情筋が、再び驚愕に見開かれる。

 あの技術は、解明すれば国のセキュリティー効果を飛躍的に向上させることに直結する。一民間人が持てるものではないはずで、政府お抱えの研究室か何かに重要にほじゃんされているはずだ。

 それが、なぜここに?


「あなたはそれすら教わらずにここに来たんですか? 本当に馬鹿ですね」


 コトネの表情から何かを読み取ったのか、再び少女が呆れたような声音でコトネに問う。


「くっ……そちらも馬鹿以外の語彙がない癖に」


 コトネは学んだ。オブラートに包めと言っても、言い換えろと言っても、その先にあるのはもっとひどいものだと。前言を撤回しろといっても、この性格の悪さから察するに「事実じゃないですか!」とか言いそう。

 爽やかな笑顔で。

 この少女と会って程ないが、"そこ"に関してだけはもうコトネはこの少女のことを信頼している。嫌だなこんなことを信頼できても。


「えーっ、そんなことでしか上げ足とれないんですかー? 安っぽいですね」

「ほらな、性格が悪い」


 もう私は突っ込まないぞ、とコトネは心底疲れた心の中で思った。


「何はともあれ、正規の入口がわからないのなら一緒に行きませんか? あなたと私は政府のお役人さんの野望を砕くという志を一緒にしています。一緒に行ってくれれば心強いです」

「……え??」

「え、なんです。そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

「いや、性格が悪いお前のことだから、てっきり自分だけ"馬鹿ですねえ馬鹿ですねえ"といいながら私を置いていきぼりにし、正規の入口に入っていくのかと」

「この短時間で嫌な信頼のされ方されてる~! 私この短時間で何かしました?」

「反省能力に著しく欠けた人間だな」

「えっひどい。私頭がいい子だってよく言われてきたんですよ? 反省能力だってきちんとあります」

「間違いなくお世辞だな」

「えっひどい」


 また脱線してしまった。こいつといるとどうにも調子が狂うな……とコトネは頭を振る。

 この日本国が原発の復活をもくろんでいる。その仮定がほぼほぼ事実であると決まった今、こうして道草を食っている暇はない。なのにこの少女がいるとどうにも話が狂う。


「まぁいい。それで、名前は?」

「え?」

「一緒に探索するというのに、いつまでも"あなた"・"お前"ではアレだろう。お互いに名前は知っておいた方がいい」

「はっ! あなた、一緒に私と探索をしてくれるんですね……!」

「まぁな。私の名前はコトネだ。お前は?」


 コトネが爽やかなエメラルドグリーンの瞳を少女に向ける。

 その瞳に映った少女は、にっこりと満面の笑みを浮かべると、とても楽しそうに自分の名前を告げた。


「私の名前は天音(アマネ)。両親を探し旅をする、"アフターチルドレン"の一人です!」

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