交剣知愛
粟野蒼天
竹刀と共に
「メ゙ェェェンーッ」
甲高い声と共にその人は強く素早く踏み込んだ。体育館に響き渡る踏み込みの音と
翌日──俺は迷わず、剣道部に入部した。
◇
剣先が交わる。ここから先は互いに間合いだ。一歩踏み出せば
目の前にいるの相手を物見の隙間からじっと見つめる。上段の構えを取っている姿はとても威圧的に見えてくる。相手が一歩、また一歩とすり足を使い、間合いを探してくる。次の瞬間、相手のすり足が止まった。打ってくる。
「メ゙ェェェンーッ」
相手が俺の面に向かって竹刀を振り下ろしてきた。
俺はその動きに合わせて自分の竹刀で相手の竹刀を受け流す、繋げてそのままがら空きとなった相手の胴に向かって竹刀を打ち込んでいく。
「ドォォォウーッ」
──
「ドウありッ」
残心を終えると俺の胴の紐赤い布と同に括り付けている赤色の旗が上がった。一本を勝ち取った。
姿勢を直し、互いに
「二本目ェ」
審判の合図と共に二本目が始まった。
開始と同時、間髪を入れずに相手が飛び込んできた。俺もほぼ同時に面を打ち込む。
──
「メ゙ェェェーーンッ」
「メ゙ェェェーーンッ」
弾ける竹刀の音が会場全体に響き渡る。
「メンありッ……勝負ありッ」
再び、赤色の旗が上がった。この試合は俺の勝利で終わった。
互いに直って、蹲踞を終える。白線の内側に出て、お辞儀をする。
「ありがとうございました」
すると相手もこちらにお辞儀をしてくる。
「ありがとうございました」
礼儀作法というのも剣道の大切な事柄の一つだ。
左腰に竹刀を携え、俺はその場を後にした。
自分の荷物の置いてある場所に戻ると俺は防具を脱ぎ始めた。
小手、面、胴の順番で防具を外して行く。
面を小手の上に置き、それを囲むようにして胴を置く。
一息着こと思ったその時。
「お疲れ様、司君」
ピトっと頬に冷たいものが当てられた。
「つ、冷たいですよ! 彩葉先輩」
「ごめんごめん」
ふふふと笑いながら登場したのは山本彩葉先輩。俺の憧れの人だ。
俺は先輩からスポドリを受け取り、それを一気に飲み干した。
「準決勝、おめでとう。次は決勝だね」
「ですね」
「まさか、初心者君だった君が関東大会の決勝戦まで勝ち上がってくるなんてね」
「以外ですか?」
「まさか、司君の努力は近くで見てきた私が一番良く分かっているつもりだよ」
「それは嬉しいですね」
一年前の春。高校に入学した俺は部活動紹介の場にて先輩の試合を間近で見た。
強く、迫力のある声と素早い振り、それは正確に相手の面の中心を捉えていた。そして、試合が終わっても尚、崩れくことのない礼儀の姿勢。その姿を見た俺は「男ならあの人の様に強く、かっこよく、そして美しくありたい」そんな思いが芽生えた。そして、俺は直ぐ様剣道部に入部した。
先輩のようになりたい一心で俺は竹刀を振り続け、気が付けば関東大会の決勝まで勝ち進んでいた。我ながらよくやった方だと思う。
「俺は彩葉先輩のように強くなりたかっただけなんですよ」
「いつも言ってるねそれ」
「事実ですし、一度決めたことは絶対に成し遂げたい質なので」
「それで経験年数一二年で関東大会に出てる君は十分強いと思うのだけど?」
「それではまだ、彩葉先輩みたいに慣れたとは言えないんです。関東大会で優勝しないと意味がないんです」
「自分で言うのもなんだけど余り、私に囚われない方がいいよ、そのことに気を取られて相手に遅れを取ることになってしまうからね」
「分かりました……」
「まあ、頑張ってね司君、私はもう戻ることにするよ、自分の試合もあることだし」
「ありがとうございました。彩葉先輩も決勝頑張ってください!」
「任せなさい!」と微笑むと先輩は女子の区画へと戻っていった。
過ぎ去っていく先輩の背中はとても心強くそして大きく見えた。
集中しろ。応援は頂いた。絶対に勝つ。礼儀を重んじ、最後の最後まで全力で挑もう。
俺は自分の頬を思いっきり叩き、気合を入れた。
防具を付け、左手に竹刀を構えて決勝に向かった。
試合場に着くとそこには巨大な剣士が佇んでいた。身長は190cm程。がっしりとした体格。常に整った重心。一目で分かる。この人、物凄く強い。
体が震える。武者震いか。威圧されるな。しゃんとしろ。勝つんだ。勝って先輩と同じ場所に辿り着くんだ。
決意を固め、俺は白線の内側に入っていった。
「互いに礼ェ」
俺達は深く頭を下げ、蹲踞──深くしゃがみ込む。
息を整える。会場中が静まり返る。
「始めェ」
俺達はほぼ同時に立ち上がった。
俺は中段の構えで迎え撃った。相手も中段の構えを取ってきた。互いに間合いを探り合う。時間が過ぎていく。
しかし、見つけられないのだ。どこを打てばいいのか途端に分からなくなってしまった。
「イヤァァァーーッ」
一瞬。本当に一瞬だった。油断していた訳じゃない。余所見をしていた訳でもない。ただ俺はその一撃の速さに反応することができなかった。床を強く踏み込む音よりも早く相手の竹刀は俺の面を正確に捉えた。
「メ゙ェェェーーンッ」
脳天に走った衝撃は脳を揺らした。視界が反転する。俺はその場に崩れ落ちた。
「メンありッ」
相手の旗が上がり、会場が一気に沸き立った。
俺はなにが起こったのかを理解するのができなかった。面を取られたのか?
俺は面じゃない。
「大丈夫ですか?」
審判の先生が険しい表情で俺のことを眺めている。
動け。動け。動かないとこのまま不戦勝になるぞ。先輩に啖呵を切った手前、おいそれと負ける訳にはいかないんだ。
俺はなんとか自分の体を持ち上げ、二本目に備えた。
しかし、あの速さと重さの一撃を次に食らった俺はこの試合を勝つことはできなくなるだろう。集中しろ。必ず隙があるはずだ。そこを見極めろ。狙うんだ。勝つんだ。ここで勝って先輩と同じ場所に向かうんだ。
『余り、私に囚われない方がいいよ』
突然、先輩の言葉が頭の中に響いてきた。
「───」
そうだ、違うだろう。囚われるなと言われたのが分からなかったのか。その思いに囚われて目の前が見えなくなっては本末転倒だ。これは俺の試合だ。俺個人の試合だ。他のことは考えるな。邪念は一切振り落とせ。相手だけを見ろ。
物見の間からじっと相手を見つめる。
相手の目を見る。相手もそれに気が付き、視線を合わせてくる。
ここで勝たなくては俺は負ける。集中しろ。
白線に立ち、再び蹲踞の姿勢を取る。
「二本目ェ」
立ち上がり、互いに中段の構えで間合いを探り合う。
まず、面と突きは有効じゃないだろう。身長差がありすぎて届かない。
しかし、狙えるなら積極的に狙っていった方がいい。選択肢を減らすのは自分の首を締めていることと同義。
俺がこの一本で使うべきなのは小手と胴。
隙を探れ、どこかに突き刺す瞬間がきっとあるはずだ。
俺達はじっくりと相手の間合いを探り合った。
時間が過ぎていく。額から汗が滴る。
頭の中で何度も何度も相手に攻めてみる。
面、胴、小手、突きそのどれもが有効ではなかった。いつも俺より先に相手が動き、振り速さで俺が一本取られ、そのまま負ける未来しか見えなかった。
先に動いたほうが勝負を決める。
ならば……。
俺は沈黙を破り、声を荒げた。
「イヤァァァーー」
「イヤァァァーー」
それに呼応して、相手も声を荒げた。
凄まじい速さの面打ちが飛んでくる。
面が飛んでくると踏んでいた俺は面が飛んでくるよりも早く、相手の懐に潜り込んだ。そして、竹刀を横薙ぎに振り相手の胴に打ち付けた。
「ドォォウーッ」
──
「ドウありッ」
旗が上がる。歓声が会場中を包み込む。
一本を取り返したぞ。
勝てる。勝てるぞ。集中しろ。しっかりと相手の動きを見極めるんだ。
次の一本で試合で勝敗が決する。
白線に戻り、再び深く蹲踞。
「三本目ッ」
俺達は静かに立ち上がった。そして間合いを探り合う。
「イヤァァァーーッ」
声を荒げた、力いっぱいに床を踏み込む。
「コデェェェッ」
小手を打ち、相手に素早く当たりに行く。
「メ゙ェェェーーンッ」
竹刀を押し込み、声を上げ勢いよく後ろに引き、面を穿つ。
──
しかし、一本には至らなかった。
剣先が正確な場所を捉えられていなかったのだろう。
間合いを戻し、再び機会を伺う。
「イヤァァァーーアイ」
相手が声を荒げた。次の瞬間、最初に食らった雷槌が襲いかかってくる。
俺は竹刀を傾け、防御の姿勢を取った。
「メ゙ェェェーーンッ」
バチンという破裂音が会場に響き渡った。目線を竹刀に向けると俺の竹刀は木っ端微塵に砕け散っていた。
「止めェ」
審判の先生が駆け寄ってきた。
「竹刀の交換をしてください」
「はい」
余りにも予想外のことだった為に会場中がどよめいていた。
『俺試合で竹刀が折れるの始めてみた』
『折れたっていうか砕け散ってるだろ、あれ』
『どんだけの馬鹿力だよ!?』
俺は直ぐ様、備えの竹刀を竹刀袋から取り出した。
取り出した風神という文字が刻まれていた。
この竹刀は俺が関東大会の出場が決まった際に先輩から貰ったものだった。
俺はその場で数十回程素振りをして、竹刀を少しだけでも馴染ませていく。
「よし……」
竹刀を左手に携え、俺は礼をして再び白線の内部に戻っていく。
相手は正座をして、俺のことを待っていた。
相手が立ち上がる。
お互いに礼を交わし、竹刀を構えて、蹲踞──深くしゃがむ。
「三本目ェ」
素早く立ち上がる。この一本で決める。
一歩、また一歩とすり足をしていく。
「イヤァァァーーイ」
相手が掛け声を上げる。
「メ゙ェェェーーンッ」
相手の面は思うところに当たらず、そのまま俺達は鍔迫り合いに持ち込まれた。
吹き飛ばされそうになりながらもなんとか体制を維持する。
この身長差では相手の方が有利だ。かと言った、ここで引き面や引き胴を打たれたら確実に入ってしまう。持ちこたえろ。
数秒ほどの鍔迫り合いをが成されると審判の先生から声が掛かった。
「止めェ」
コロナのせいで今は十秒程の鍔迫り合いは解かれる事になっているのだ。
少し、ずるいかもしれないが致し方ない。
再度、蹲踞。
「始めェ」
立ち上がり、掛け声。
「イヤァァァアアアーー」
強く強く床を踏みしめる。勢いよく相手の間合いに飛び込む。
相手は一歩遅れた。遅れて見えた。スローモーションの世界にいるかのようにゆっくりと面が振られてきた。
──相面。
「メ゙ェェェンーー」
「メ゙ェェェンーー」
俺の竹刀の剣先が相手の面を穿つ。相手の面打ちは少し遅れて俺の面に叩きつけられた。
「メンありッ」
歓声が最高潮に至る。
残心を終え、振り向き、審判の上げた旗を確認する。
『赤』
俺の勝ちだ。
「勝負ありッあ互いに礼ッ」
俺達は頭を下げ合い、その場を後にした。
勝った。勝てた。勝てたんだ。
興奮と驚きと高揚感が津波となって押し寄せてくる。
俺は密かに拳を握り締めた。
◇
熱が籠もった体育館。蝉の鳴く声がけたたましく響き渡る。
「おめでとう、司君」
「先輩もおめでとうございます」
俺と先輩はそれぞれで関東大会の決勝を勝ち抜き、優勝を果たした。
そして来週からは全国大会が控えていた。
そして今は先輩との稽古の真っ最中だ。
「「よろしくお願いします」」
互いに礼をして、白線の内側に足を踏み入れていく。
蹲踞。
立ち上がり、掛け声を出す。
「イヤァァァイ!」
「アァァァイッ!」
先輩の竹刀が俺の竹刀よりもコンマ一秒早く振られた。
強い衝撃が俺の頭に響き渡る。
「メ゙ェェェン゙ッ」
綺麗に面を決めれてしまった。
「はは……まだまだ鍛錬が足りないぞ」
「いくら、鍛錬しても彩葉先輩に勝てる未来が見えないんですが」
「詭弁だね」
「ですね」
「さて、二本目に行こうか」
気を取り直して俺達は再び白線に並んだ。
蹲踞。
立ち上がる。
「ねぇ司くん、君は”交剣知愛”って言葉を知っているかい?」
二本目に入ってまもなく先輩が語りかけてきた。
普段では絶対に会話を挟まない先輩が語りかけてきたことに俺は激しく動揺した。
「なんですか、それ?」
「剣を交え相手を知り愛すという剣道を修める時に心掛ける四字熟語だ」
「交剣知愛……」
「私はいつもこの四字熟語を胸に竹刀を振るっているよッ」
そう言うと先輩はギュッと一気に間合いを詰めてきた。
俺は咄嗟に先輩の竹刀を弾いた。
しかし、先輩の竹刀はそのまま俺の胴に打ち込まれた。
「油断大敵だよ」
「……はい」
「それじゃ次で最後としよう」
「はい」
白線に立ち、蹲踞。
物見の隙間からじっと先輩のことを見つめる。
立ち上がり、剣先を交える。
そして俺は今までのことを振り返った。
初めて、この場所で先輩の立ち合いを見た時のこと。
初めて、先輩と竹刀を交えた日のこと。
初めて、試合で勝った日のこと。
そして、この前の関東大会の決勝。
ひとつひとつが鮮烈に脳に刻まれている。
交剣知愛。剣を交えて相手を知り愛すか。
俺は先輩のことを見直した。
「彩葉先輩」
「なんだい?」
「全国……全国大会で優勝したら、俺と……付き合ってください」
「……」
「……」
「……そんなに壮大な目標でもいいのかい?」
「これくらいじゃないと彩葉先輩に並べませんからッ」
俺は足腰に出せるだけの力を込め、竹刀を振るった。
「メ゙ェェェェンッ」
俺の竹刀は先輩の面を確かに捉えた。
「油断大敵ですよ」
「ははっそうだな」
そうして俺達は再び竹刀を交えた。
──俺はその後面を決められて立ち合いは先輩の勝利で終わった。
防具を脱ぎ、先輩と向き合う。
正座の状態から両手で三角形を作るかのように手を床につけ互いに深く礼をする。
「「ありがとうございました」」
交剣知愛 粟野蒼天 @tendarnma
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