後
二十歳。堂々と大人になったと言っていいのか、どうなのか。酒もタバコも馬券も買える。それが本当に大人なのか。
僕の時間は十七歳で止まってしまったようだった。雨が降れば思い出すのはあの金髪頭と懐っこい笑顔で、僕は自分の唇を人差し指でそっと撫で、ため息を漏らす。
同窓会は迷った。成人式の後、大きな居酒屋で行われるとハガキが来た。ハガキにはQRコードがついていて、それを読み取って出欠を送信するという仕組みだった。うちの両親は今どきだねぇと感心していた。
期限ギリギリになって、僕は出席することにした。アンケートフォームでは、出席者の人数はわかるようになっていたが、個人名までは出なかった。
――安田くん、来るのかな。
ちゃんとした――それは、僕の中での基準ではあるけれど――とにかく、ちゃんとした大人になるために、安田との対面を果たしておきたい。
だから、居酒屋の前で、髪を黒く染めた安田がタバコを吸っているのを見た時には、深く安堵した。
僕から、声をかけた。
「久しぶりだね、安田くん」
「あっ、高原! お前全然変わらないなぁ!」
僕は安田の隣に立って、アメリカン・スピリッツを取り出した。
「嘘っ、高原吸うんだ?」
「それは安田くんもでしょ」
「っていうか同じ銘柄なんだけど」
「理由は……どうせアレだよね」
「カート・コバーン」
二人で紫煙を吐き出しながら、よく晴れた冬の空を見上げた。居酒屋の中は禁煙と聞いていたから、ニコチンはここで補給するしかない。
同窓会には四十人以上が来ていた。僕は隅の方でお通しのえびせんをつまみながらビールを飲んだ。安田はあちこちの席を回っており、話すのは難しそうだ。
僕は時折外に出てタバコを吸い、戻り、さして美味くも不味くもない居酒屋のコース料理を腹に入れていった。
「安田くん。この後二人で飲み直さない?」
終わる頃、そんな一言をかけた。僕の時間が動き出す時だ。断られたらそれまで、スッパリ諦める。そういう決意で出したセリフだった。
「いいよ。俺も高原とはちゃんと話したかったし」
そして、僕たちはショットバーに行った。カウンター席に座り、真っ先に求めたのは灰皿だった。僕はジントニック、安田はハイボールで乾杯。
「安田くん、酔ってる?」
「ん、そこそこ。でも記憶は飛ばさないからさ。話はちゃんと覚えてるよ」
「そう。僕もさ、覚えてるよ。雨の日のこと」
安田はトン、とタバコの灰を灰皿に落とした。
「高原が俺を避けてたのって、その、やっぱりあの日のせいだよな。怒らせてごめん……」
「ううん。怒ってない。びっくりはしたけど」
「なぁ……話、しない? 音楽の話」
「いいよ」
安田はオアシスもダフト・パンクも知っていた。もう今はライブをすることはないアーティストばかり好きになって損だよな、なんて笑って、酒も進んだ。
「安田くん、そろそろチェックする? 顔赤いよ」
「そうするか。二日酔いは嫌だし」
ショットバーを出ると、小雨がぱらついていた。安田が言った。
「傘なら持ってるよ。ほら」
それは、僕が渡した折りたたみ傘だった。
「まだ……持ってたんだ」
「壊さないように大事に使ってた」
「そう……」
駅まではそんなにかからない。だが、安田がこんなことを言い始めた。
「もうちょっとだけ話さない? 屋根のある公園、知ってる」
「酔い醒まししようか。いいよ」
そこは、ビオトープのある公園だった。丸い小さな池があり、水面は騒がしく揺れていた。その近くのベンチに横並びに座った。
「あのさ、高原。友達は自然になるもんだ、宣言してなるもんじゃない、とか言ってたじゃん」
「ああ、言ったね。今でもそう思ってる」
「じゃあさ……恋人は? 言葉で気持ち確かめてから、なるもんだよな」
「それについては考えたことなかったけど。確かにそうかもしれないね」
コホン、と咳払いをしてから安田が言った。
「あのさ。好きなんだわ。お前のこと。高一の時からずっと。離れて気持ち変わるかな、って思ったけど……変わらなかった」
「えっ……」
「あんな形でキスしたの、後悔してる。あれから嫌われたと思ったから。でもさ、今日話しして、楽しくて、やっぱり付き合いたいってなっちゃって……なぁ、恋人にしてくれない? 俺のこと」
ぴちょん、ぴちょん。屋根から落ちる雨の雫の音がその場を満たしていた。僕は捨てられた子犬のように情けない目をしている安田を見つめて言った。
「僕は……僕は……まだ、自分の気持ちがわからない。ただ、あのキスはずっと忘れられなかった」
「そっか……」
「そうだね……試させて?」
今度は僕から、唇を奪った。
「んっ……」
「ははっ、やっぱり僕、わかんないや。わかんないけどさ。ただ、もう少し、こうしてたいっていうか……」
「じゃあ、もう一回……」
僕たちの関係にちゃんとした名前がつくのは、まだ先のことだ。
了
傘のお礼 惣山沙樹 @saki-souyama
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