夕方五時のリズム

犀川 よう

🐤👧🐦

 幼い羽が舞う。きみの手の中にいる小鳥が囀りながら飛んでいく。どこに行きたいのかもわからないのに、抜け毛を宙に落としながら羽ばたいている。小さいながら懸命に羽を動かして地に着かないように前へ、上へと目指している。ぼくはそんな風景を公園のベンチから眺めながらも、きみの背中を追いかける。小鳥を自由にした安堵と恐怖に震えていて、夕方五時のきみは微かに震えている。とても細やかでせつない動き。そのリズムに合わせているのは小鳥の羽ばたきだけ。

 この公園で唯一、同期が許されているのはきみと小鳥だけだ。ブランコを争うように乗り合っている小さな女の子たちにも、買い物袋を手に持ったまま立ち話している大人たちにも、隠れるように公園の隅にいるビールを飲んでいるサラリーマンにも、きみたちのリズムに合わせる資格は与えられていない。きみと小鳥だけがこの公園のすべてなのだ。

 ぼくたちはきみたちの密やかで完璧なリズムの観測者。自分たちが主人公になれないことをなんとなく理解していて、きみたちに干渉しようとは思っていない。滑り台をスロープを手で叩いている無法者の幼児がいても、きみたちの安寧を崩すことはできない。ただ、きみは震え、小鳥はバタバタを空を旋回している。どちらにも着地点はないことはぼくにはわかっていた。サラリーマンがビールの缶を潰した勢いでゴミ箱に投げつける。缶は鉄製のゴミ箱にぶつかる。小鳥はようやく驚き、きみはゴミ箱の方を見た。この静謐で唯一の時間のタイミングが終わってしまった。どうして終わらなければならないのだろう。

 ぼくは昨日のきみたちのことを思い出す。巣から落ちてしまった小鳥を優しく抱えて家に帰った背中を最後の最後まで見ていた。きみのお母さんの「明日になったら返してきなさい」という最終的な言葉を、きみがしぶしぶと抱きしめる姿は痛ましかった。丁度、夕方五時のことだ。きみはそのまま家の中に吸い込まれ、ぼくはドアが閉まるまで見ていた。どこにでもある「また明日」だった。


 そして今、きみと小鳥のエンゲージは終わりを告げられようとしている。親鳥なのだろうか。どこかの木の中から飛び出して、小鳥の方に向かっている。力尽きそうだった小鳥は振り絞るように羽ばたき、一緒に木の方へと飛んでいる。きみは「あっ、あっ……」と小さな悲鳴を繰り返しあげながら、ただ見上げているしかなかった。その「あっ」のひとつひとつに、ぼくの羽が一枚、また一枚と剥がれていくような痛みを感じる。おそらくきみはもっと辛いのだろう。小鳥はもう見えない。二人の栄光が失われた夕方五時のこの公園にはタイミングを共有できるものは何もなくなった。ブランコに飽きた少女たちも、滑り台から離れてお母さんにすり寄っている幼子にも、自由に振舞う残酷な大人たちにも、誰もきみのリズムに合わせようとはしない。きみはそれでもこの公園の中心に佇み、時間の波が複雑にならぬよう、一定のリズムを求めようとする。欲しいのは小さな慰め。ぼくにはそれがわかっていても、きみの手に余る気持ちに寄り添うことができない。なによりも、きみはそれを望んでいない。

 きみにはぼくが見えない。昨日の夕方、きみの家のドアが閉まった瞬間にぼくは消えたのだ。一晩、きみにどんなことがあったのか、ぼくは知ることはできない。ただ、きみがこの公園で夕方五時のリズムを失うのことをなんとかしてあげたかった。それだけだった。あの小鳥がきみの友人でいられたら、どんなによかっただろう。――どんなによかっただろう。

 

 ぼくは大事なものを失ったきみの背中を見る。きみはしくしくと泣いている。この公園できみを見ているものはぼく以外にいない。きみはひとり、悲しみで自分を閉ざしている。君の心の中にある羽にくるまって。

 きみはついに声を出して泣く、規則的な嗚咽が漏れた。そのリズムにぼくは――自分の気持ちを羽ばたかせ、きみの頭上を飛ぶ。それでもきみはぼくには気づかない。昨日、どうしてあの小鳥ではなく、ぼくに出会ってくれなかったのだろうかと悔やんだ。もし、ぼくが先にきみに出会っていたら、きみを悲しませぬように夕方五時のリズムを守ってあげられたのに。ぼくはきみの籠の中で、ずっとずっと夕方五時のヒーローでいられただろうに。

 ぼくが今きみにしてあげられるのは、きみの悲しみに寄り添うように嘆くだけ。――ぼくが夢見ていたきみとの夕方五時のリズムを、きみの頭上で羽ばたいて刻んでみせるだけなのだ。





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