✨おわりに✨「夏の霜」ってなんでしょう?



 この度は、忘れ草を題した歌群をお読みいただきましてありがとうございます。


 本当は前話で終わりだったのですが、第5話にとても素敵なコメントを賜りましたことにより、急遽でこちらを足しております。

 はじめ、をつけましたので、おわりをつけてもよかろう、と、今回の短歌はまさしく何かとspecialです。


 ***


 ◇


a,摘むからに 散りて過ぎゆく わすれぐさ いつかあきやと 月の霜をや

摘むそばから散り終わっていく忘れ草のために、いつの間にか秋(飽き)になってしまったのでしょうか、今夜の月の白い明かりを霜と見紛えたのは


 ◇


 拙作、今話第5話から改めて引きました。

 自作を解釈するのも冷汗三斗の心地ではありますが、摘む👉散る👉忘れ草(夏花)👉秋👉霜、の時間経過を意識して統一感を出すことを念頭にしました。


 さて、そこで厄介なのが「月の霜」です。


 あまり、というか、まず聞かない表現です。

 それもその筈、この語は今回本歌に引きました『後撰集』歌、


B,(147 巻四 夏)読人知らず

今夜かく 眺がむる袖の 露きけは 月の霜をや 秋と見つらん

今夜、このように袖が露に濡れたように涙で濡れているのは、この月の光の白さを霜なのかと見紛えて、早くも秋が来たかと思ったからでしょうか


 の、一首にのみ用いられたものです。


 ***


 ところで、現代におきましても句歌歳時記に、「夏の霜」という季語が存在します。


 意味を引くと、「夏の夜、月の光があたって霜が立ったように見えること」(『俳句季語よみかた辞典』、日外アソシエーツ、2015年)とあります。


 古典の和歌に「夏の霜」の語は表出しておらず、発生時点は確認できませんでしたが、上記の意味からしても、「夏の霜」の原典が「月の霜」の歌にあたることは明白だと考えます。


 ***


 さて、「月」と「霜」の関係について見てみますと、『古今集』に「霜」を含む歌は全部で、十二首ありますが、その内、「月」と「霜」とを同時に含むものは一首もありません。


 では、『後撰集』……は同じなので飛ばして、視点を変えて漢詩に目を向けてみますと、李白『静夜思』に見るべき点があります。


 ◇


C,静夜思


床前看月光(床前、月光を看る)

疑是地上霜(疑うらくは、是れ地上の霜かと)

挙頭望山月(頭を挙げて、山月を望み)

低頭思故郷(頭を低れて、故郷を思う)


寝床の前で月の光を見る

地面に降りた霜かと思うほどだ

顔を上げて、山の上の月を眺め

首を垂れて、故郷を懐かしむ


 ◇


 私はこの詩がとても好きで、何度かお話を作ったことがあります。余談です(^^;


 起句・承句に、前掲『後撰集』歌と酷似した部分がある事がおわかりになると思います。


 異なる点としては、Bが夏であるのに対して、Cが冬であること。

 Cは、季節からして霜の存在を現実に織り込むことが可能ですが、Bは時季がそぐわないので明らかな虚構です。


 歌の変化や変遷が、時代を下るごとに観念的変化をもたらした事例は、今作の冒頭「✨はじめに✨「忘れ草」ってなんでしょう?」にて触れた所ではありますが、このB、Cについても同様とするのならば、B、Cは同根と言えます。


 Bは本文ほんもん(漢詩に言う所の「本歌」)をCに取っていたのではないか、というのが私が考える所でありますが、難点は、平安時代において、李白の存在が人々に受け入れられていなかった、という点です。


 平安中期の中国漢詩の名句集『千載佳句』では、白居易が五三五句、李白はたった二句。

 それに次ぐ、『和漢朗詠集』と『新撰朗詠集』には一句もありません。


 とはいえ、近世に入り、李白の評価が爆発的に高まったことからしても、李白の作品そのものが、大陸から流入していた事は間違いなく、C本文説、が非現実的とまでは言い捨てられないでしょう。

 ***


 以上から、Bは卑近な言い方をしますと、「孤高な徒花の一首」だった、と考える次第です。


 あるいは、この二作に関係性が皆無で、途絶したものであるとすれば、李白の生きた700年代の中国、そして、『後撰集』の成立したとされる950年代以前の日本のどこかで、関連性のない偶然の一致、シンクロが起きた、と考えることもできるでしょう。


 どちらであっても、興味深いことだと思います。


 ***


 さて、拙作aですが、今作第5話にて、Bを本歌としました。

 もちろんこれは、私という著者のメタ的な恣意ゆえですが、では果たして、第5話において、宣耀殿女御が上記のような文学的大観から、この「月の霜」を汲み上げることができたのかどうか、です。


 ここに説得力を求めるならば、疑問が生じるのは当然と思います。

 いくら特権階層の姫君でも、国内でほとんど知られていない漢詩にリーチすることは容易ではありませんし、その影響を受けた「孤高な徒花の一首(仮)」を網羅する程の勉強家であったかは、第5話からは読み解けません。


 有体に申し上げて、Bを紹介したかっただけ、という安直さではあるのですが、こうして言葉を連ねて考えてみますと、ここでも、Bとaの間で「シンクロが起きた」と考えると、最もロマンがあるのかもしれません。


 言葉が先にあるのではなく、人が環境の中に身を置き、五感で情報を得て、それが言葉になる。


 先達が「月の霜」と表現したものに、宣耀殿女御も同じ感性を抱き、その言葉となった、と考えるのは、我ながら心惹かれるものがあります。




 🍉まとめ


 さて、現代にまで命脈を繋ぐ、「夏の霜」。


 評判を取っている『エモい古語辞典』(朝日出版社、2022年)にも引かれていますが、この表現、ホントに秀逸だと思います。

「夏」と「霜」という相反する事象が混在することのエモさったら、完全に同意です!


 それに、夏の和菓子にも比較的つけられている名前ですよね。

 涼し気な錦玉羹とかに名づけられてると、大変トキメキます(*^^*)


 我々の生活に今でも存在している「夏の霜」、そのルーツである所の「月の霜」が、B読み人知らずの「戯れ言」から始まったとするならば、言葉という存在の力強さを、改めてお感じいただけるのではないでしょうか。

 そして、謎の人物【詠み人知らず】への興味も高まります。


 と、イイカンジに(?)まとめた所で、(はじめに、と同じ〆だ…)、これにて終わりとさせていただきたく思います。


 今作をお読みいただきまして、本当にありがとうございました(*^^*)

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平安女子の✨夏の忘れ草special✨短歌 カワセミ @kawasemi_kawasemi

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