そういう兄さんは、妹離れできるんですよね?

 私──スギハラ リナには兄がいる。血が繋がっていない兄だ。世界で一番愛してる、私の自慢の兄さんだ。


 出会いはそう、忘れもしない12年前。


 あの時の私は地獄にいた。血の繋がった父親と母親は私の前で殺された。


 理由は偉い人間の馬車の前をよこぎったからとか、そんな理由だった気がする。でもまあ、あんな人たちの死因なんてどうでもいいか。



『お願いします! 命だけは助けてください……! そ、そうだ! この娘を差し上げますから、どうか!』


『うるせぇ! 獣人風情が、人間様に意見してんじゃねぇぞ!! それに獣人の女なんていらねえんだよ!』


『あがっ。』


『あ、あなた!!』



 なんで父親は殺されたの? 確かに最後まで最低な父親だった。けれど、こんなにも簡単に? 私たちが獣人なのがダメなの? こいつらと私達、なにが違うの? ちょっとだけ、違うだけなのに。それなのにこんな目に合うの?



『へへっ、心配すんなよババア……。いくら人間でもよぉ、獣人と結婚する女は人間じゃねぇんだわ。すぐにテメェも送ってやるからよ……!』


『ひっ……! 獣人となんて、結婚するんじゃなかった……! あなたなんて産まなければ、私は──かひゅっ。』



 人間でも獣人でもなくなった母親の喉から吹き出る赤い水、それきり、母親はピクリとも動かなくなった。可哀想とは思わなかった。常日頃から、私を疎んでいたから。



『さて……このガキはどうしようかァ?』


『…………』



 もう喋る気力もない。街を歩けば腐ったトマトや卵を投げつけられ、お金も食べ物もろくにもらえず、獣人というだけで虐げられる。一応は人間と獣人のハーフだけど、そんなことはどうでもいいことだった。


 この世界に、獣人の居場所はない。


 獣人が必要とされることなんて、ないんだ。



『おい、泣けよ獣人のガキ……。ぴぃぴぃ泣いて、おとーさん! おかーさん!って泣きわめけっつってんだろ!』


『ぁう』



 痛い。口の中に広がる鉄の味。私が一番多く感じた味だ。でも、もうどうでもいい。生きていたって、獣人である以上いいことなんてあるわけないから。



『……もういいわ、お前』


『………………』



 ああ。私、死ぬのかな? 思い返さなくても碌でもない人生だった。父親には食べ物を盗まされ、母親には『なんで私がこんな怪物の母なんかに!』と恨まれる日々。私を必要としてくれる人なんていなかった。



『──やーい獣人! 獣人がでたぞー! みんな逃げろー!』


『──ちょっと、獣人がエレベーターに乗らないでくれない? 獣臭いのが移っちゃうわ』


『──はあ? 食い物ぉ? なんでそんなもんをお前ら獣人にやらなきゃいけねぇんだよ。……まあいいぜ、ほらよ。獣人は獣らしく、床に這いつくばってこの残飯でも舐め取ってろ!』


『──ちょっと、こっちにこないで! お前は獣人と人間のハーフだろ!? 人間の血を引いてるやつが獣人面すんじゃねぇ!!』



 ……本当に、いいことなんて何もなかった。


 生まれてきてよかったなんて、思ったこともない。


 だけど、ああ、なんでだろう。こう思って、仕方ないのだ。



『幸せに、なりたかったなぁ……』


『あ? ははははっ! 獣人が幸せに? なれるわけねぇだろ! てめぇはこれから奴隷になるんだからよぉ!』



 奴隷? そうか、獣人には人権なんてないからか。人間は奴隷に出来ないけど獣人を奴隷にしたって誰が文句を言うんだろう。人間に言わせれば、牛や豚を飼うのと同じ。獣人を飼育するだけだから。そして私は、そんな飼育場にすら居場所なんてない。私は、半分人間だから。


 だから、幸せになんてなれっこない。なれっこないんだ。



『あー、ちょっと、そこのあんた』


『あ?』



 人間が私を捕まえようとした時、ある声が響いた。私の、今のお父さんの声だ。



『人間殺人罪、獣人殺人罪。また、その女の子に対する獣人保護法違反』


『…………は?』


『おし、死刑だな』



 ……その瞬間、お父さんの部下らしい人に目を塞がれたかと思えば、私の両親を殺した男たちはいつの間にか死んでしまっていた。お父さんは、女の子が見るものじゃないと言っていたけど。


 どう見たってお父さんたちは警察とかではなかった。もっと、ずっと怖いお兄さんたち。


 そうやって全てが終わったとき、お父さんが私に話しかけてきた。



『お嬢ちゃん、名前は?』



 名前……。名前? なんだっけ、あった気がするけど。最後に呼ばれたの、いつだっけ。そもそも、呼ばれたことなんてあったっけ?



『……わかんない』


『そうか……』



 この人も、きっと私を苦しめるだろう。人間は私を人として扱わない。獣人は私を人として扱わない。私の居場所なんて、どこにも──。



『俺ンとこ、くるか?』


『え?』


『俺の家にも、お嬢ちゃんくらいのガキがいてな。そそっかしくて見てられねぇんだ。だから、お嬢ちゃんが見張ってくれねぇか?』



 私に居場所はない、けれど。



『……行く』



 必要とされたのは、初めてだった。そうして次の日だ。それは運命の日。



『ぼくが、しあわせにする!』



 何を偉そうなことを。どうせあなたも獣人である私を嫌うくせに。もう私は何も信じない。何にも期待しない。


 だって私は、ダメな生き物だから。


 

 ──そんな考えとは裏腹に、そこから私の幸せが始まった。



――――――――――――――――――――



 スギハラ リナ。それが私の名前だった。


 兄を自称する変な人と新しいお母さんとの生活は、初めてのことだらけ。


 椅子に座って、食器を使って食べられる温かいご飯。落ち着いて浸かれる、温かいお風呂。凍えることも雨漏りもしない、温かいお布団。何もかもが温かくて、何もかもが非現実。それでも、私の心が温まることはなかった。


 だって、私は獣人でも人間でもないナニかだから。結局はまた捨てられる。また要らなくなる。父親と母親の時のように、きっと。


 ……でも、



『リナ! やさいはちゃんとたべなさい!』


『……やだ。これ嫌い』


『やだじゃない! おにいちゃんのいうことをききなさい!』



 この人は、いつも私に話しかけてくれた。思えば、これが人生で初めてのわがままだった気がする。



『リナ、いっしょにおふろはいろ!』


『……なんで?』


『なんでって……ぼくがおにいちゃんだから!』



 意味が分からない。意味が分からないけれど、なんだか楽しかった。冷え切った心が、ほんのりと温かくなった気がした。



『ちょっと、そろそろぼくのことを"おにいちゃん"ってよんでよ!』


『……やだ』



 それでも当時の私は、まだこの人を信じられなくて。この人を兄として呼ぶことはなかった。


 結局は人間も獣人も全部敵。私に味方なんていない。その考えが覆ることはなかった。



 ──そうやって、一年とちょっとくらい経ったある日のこと。



『……ここ、どこ?』



 私は、迷子になった。理由は……覚えていない。庭でボーッとしてるときに、たまたま居た猫を追いかけたとか、そんな理由だった気がするけど。



『ぅ…………』



 今まで、こんな気持ちになったことはなかった。夕焼けの空、カラスが鳴いている。奴隷にされかけたときだって、こんな気持ちにはならなかった。


 怖い。寂しい。不安。


 そんな気持ちが、私を支配する。


 もう全部、諦めたはずなのに。どうしてこんな気持ちになるんだろう。どうして、会いたくなるんだろう。私の兄を自称するあの人に。



『おい、そこのおまえ!』


『え…………』



 突如として声をかけられた。驚いてそちらの方を見れば、そこには、私と同じくらいの年の男の子たち。


 その手には、石が握られていた。



『おまえ、ジュージンだな!?』


『パパが言ってたぞ! ジュージンはカイブツだって!!』


『カイブツはてでいけー!!』


「っ……!」



 飛んできた石を本能で避ける。


 嫌でも思い出す、あの時の記憶。


 そうだ、忘れちゃいけなかったのに、温かい環境に私は忘れてしまっていた。私は獣人。人間ではない怪物。この世界に要らない者。



『なによけてるんだよ!』


『カイブツはヒーローにたおされろ!』



 ヒーロー、か。


 確かに、獣人の私は怪物で、人間たちがヒーローなのだろう。やっぱり私は、要らない生き物。



『……………はは』



 なんだか石を避けることもバカらしくなった。このまま石が頭に当たれば、楽になれるのかな。私は身体を動かすことをやめて、目を閉じて──。



『いっ……!!』


『……え?』



 聞き覚えのあるその声に、思わず閉じた瞳を再び開いた。そこには……。



『り、リナ……? 大丈夫……?』


 

 頭から血を流しながらも、私を心配する"兄さん"の姿。その瞳に映る私は、怪物でも獣人でもない。ただの妹だった。



『な、なんだよこいつ!』


『カイブツのなかまだ! やっつけろ!』



 飛んでくる石礫。私を抱きしめているこの人は、それら全てを受け止めた。



『うぁ……!』


『…………っ!』



 私を狙っていた石が、一斉にこの人に向けられる。私を庇っているこの人に避ける術はないし、そもそも人間であるこの人には避けられなかっただろう。それでも、逃げることはできたはずだ。それなのに。



『はやくしねー!』


『カイブツはきえろー!』



 痛いはずなのに。死んじゃうかもしれないのに。父親と母親のように、私を売ったり、恨むこともなく。どうしてそんなに優しい目ができるの? 私は獣人なんだよ?



『リ、ナ……。だいじょうぶ、だよ。ぼくが、まもるから……』


『…………!!』



 ……瞬間、私の中になにかドス黒いものが溢れた。怒り、敵意、そんな言葉すら生ぬるい、本物の殺意。


 私にだったら、まだ許せたのに。


 でも、この人は人間だ。


 獣人である私なんかを守ってくれる、この世界で最も優しくて尊い人だ。


 少なくとも、私にとってはこれが真実だ。


 こんな、ゴミみたいな人間ごときが、なんでこの人に石を投げている?


 身体は勝手に動いた。



『────ッッ!!』



 飛んできた石を掴み取る。他の当たりそうな石は、すべてはたき落とした。



『…………えっ?』



 人間の、間抜けた声。



『り、な……?』



 この世で最も信頼できる人の、呆けた声。



『……さ、ない…………!』



 自分でも驚くくらい、怒りに震えた声だった。

 


 よくも。



 よくも、私の"お兄ちゃん"を。



 こんな硬くて冷たいもので、私の"お兄ちゃん"を……!!



『許さない……ッ!!』


『リナっ! だめっ!』



 夕焼け空の街に、轟音が響いた。



――――――――――――――――――――



『いてて……。へへっ』


『………………』



 フラフラになったお兄ちゃんに肩を貸しながら、家に戻る。お兄ちゃんは見るからに満身創痍で、歩くのもやっと。


 結局私の投げた石は、止めようとしたお兄ちゃんをとっさに避けようとした私の手から離れて見当違いな場所に飛んでいき、結果的にコンクリートは石もろとも音と立てて砕け飛んで、あの人間たちは無様な悲鳴を上げながら泣いて逃げていった。



『なんで、私を助けたの?』


『なんで、って……リナが"いもうと"だから?』


『そうじゃないッ!!』



 私は、理由が知りたかった。お兄ちゃんが、なんで私を助けてくれるのか。どうしても知りたかった。



『私は、獣人なんだよ……? なんで、そんなに優しくしてくれるの……? 理由がないと、おかしいよ……!』


『……あははっ。リナはそんなことをかんがえてたの?』


『笑ってないで、ちゃんと答えて──!』

 


『りゆうなんて、わかんないよ。でも、たすけたいんだ。いったでしょ、しあわせにするって』


『────ぁ……』



 ああ。


 ダメだ。


 この人は。


 理由なんてなくて。無条件で私を。


 私が諦めた幸せを──。



『……ぅえ』


『えっ?』


『ひっく……! ぐすっ! うぇぇぇぇぇぇ……!』


『ちょ、なんで!? な、泣き止んでよ……!』


『お兄ちゃぁん……!』


『はははっ!』


『な、なんで笑うのぉ……!』


『ごめんごめん、だって、初めてお兄ちゃんって呼んでくれたからさ』



 私はあの時のことを、絶対に忘れないだろう。


 ボロボロになった兄さんの、慈愛に満ちた笑顔を。そして、私の脳みそをグズグズに溶かしてしまう、あの甘すぎて怖くなるような匂いを。


 こうして私はその日、恋を知った。



――――――――――――――――――――



「ん…………」



 目が覚める。……懐かしい夢を見た。


 隣には、兄さんの寝顔。あの日からずっと変わらない甘い香り。あの日、私は誓ったんだ。兄さんは私が幸せにすると。絶対に兄さんを守ってみせると。それが私の妹としての、獣人でも人間でもない、スギハラ リナとしての人生だ。



「んぁ……りなぁ……? おはよぉ……」


「ふふっ……。おはようございます、兄さん」



 ほとんどの人間は汚い。ほとんどの獣人も汚い。みんなみんな、狂ってしまっている。だから、こんな狂ってしまっている世界だからこそ。正しい兄さんと一緒に居れれば、それでいい。





――――――――――――――――――――





「……ただいま、兄さん」


「おかえり、リナ」



 今日も兄さんのいる家に帰ってこれた。今日も、兄さんは無事に帰ってきてくれた。私が日々噛みしめる安堵と幸せ。


 できるなら四六時中一緒にいたいけれど、残念ながら現代の日本において高校生には不可能なこと。だから一刻も早く私は兄さんを養えるようになって、兄さんを安全な"巣"から出さなくても良いようにしなきゃ。



「お風呂、入りますね」


「いってらっしゃい」



 あれから私は、兄さん好みの女の子になるように努めた。私がまだお兄ちゃんと呼んでいた時に、兄さんが隠し持っていたエッチな本が『兄さん呼びの敬語系妹』モノだったから、そういう風に変えてみたり。もちろん、その本はビリビリに引き裂いたあとに焚き火で燃やした。あんな兄さんを誑かすような汚い人間が写った本は、兄さんには必要ないから。



「ふぅ……」



 シャワーを浴びて、身体を綺麗にする。兄さんに抱きつく前に、外の世界で汚れた身体を擦り付けるわけにはいかない。兄さんの褒めてくれた髪を、肌を、しっかりと手入れしながら兄さんを想う。


 クラスの女達は、お風呂の間はスマホを見ているらしい。どうしてそんなことをするんだろう。そんなことをしたら、どうすれば兄さんをもっと幸せにできるかについて考える時間が減ってしまうのに。ああそっか。あの人たちには私にとっての兄さんはいないのか。可哀想に。


 ……いけない、無駄なことを考えてしまった。せっかく兄さんについて考えていたのに。



「兄さん、兄さん……♡」



 そうやって、兄さんについてじっくり考えながら身を清めた後は──。



「──兄さん、上がりましたよ」


「うん……っておい!」



 兄さんに不快感を与えないように、髪の毛だけは乾かして。あとは、その身のままで兄さんの目の前に現れる。……ふふっ。怒ろうとしているけど、私の身体を見つめてるの、可愛いなぁ……♡



「ふ、服は着ろって言ってるだろ!」


「………………」



 でも、兄さんは見てくれるだけ。絶対に手は出してくれない。兄さん好みの体型になって、兄さん好みの匂いになって、兄さん好みの容姿になるように頑張ったのに。私は、兄さんの女にはなれないの? 私は結局妹で、兄さんのお嫁さんにはなれないの? 今だってほら、私の胸や秘部を見ているのに。兄さんが望むなら、私はなんだって差し出せるのに。


 でも、これ以上はダメ。これ以上見つめられたら、私が我慢できなくなってしまう。私の獣人としての本能が、兄さんを傷つけてしまう。



「兄さん、その……そんなに見られると、恥ずかしいです」


「あっ……ご、ごめん……でも、服着たら良くない?」




 なるほど、確かに兄さんにしては正しい意見だ。それでも、私はこの行為をやめない。だってこれは、狂った世界で兄さんを守る自分へのご褒美だから。



「……でも、兄さんなら見てもいいです。私の妹ですから」


「そういう問題なの?」


「そういう問題です」



 "妹だから"。 この言葉は、兄さんには特に効く。ごめんなさい、兄さん。私はそういう生き物なんです。自分のために兄さんの気持ちを利用する卑しい女なんです。でも、これも兄さんのためですから。本当ですよ?


 ですから、こうやって兄さんに裸で抱きつくのも、兄さんのためなんです。獣人はこうやって裸で抱きついて、マーキングするのが当たり前なんです。普通の人間には聞きにくいらしいですけど、万が一にでも他の獣人に目をつけられたら大変ですから。私の匂いはお風呂に入っても簡単には落ちませんから、安心してください……♡



「すぅーっ……♡ ふぅーっ……♡」


「……………」




 …………ぅっ♡ 兄さんの、濃ゆい匂い……♡ 体育の授業、あったんですね……♡ これ、ちょっとマズイかも……っ♡



「ふぅーっ♡ ふぅぅぅーっ♡♡」



 少しでも気を抜いたら、兄さんにはしたない姿を晒してしまいそうになります……♡ でも、これも仕方のないことなんです。獣人はみな、好きな人の匂いが媚薬になってしまうんですから……♡



「はぁー……っ♡ はぁー……っ♡」



 兄さん……♡ 兄さん……♡ 私の、私だけの兄さん……♡ ぜんぶ、私のモノです……♡ 兄さんの身体、兄さんの声、兄さんの体液……♡ 全部ぜーんぶ、私が貰うんです……♡ その代わりに私の全部、兄さんに差し上げますから……♡ ですから、私のこと……♡ はやく、はやく……♡


 はやく、娶ってくださいね……♡



「……満足した?」


「ん。ありがとう、兄さん」



 兄さんを堪能したところで、次は兄妹愛を育む時間。私はわざと兄さんに囁くように、ぽしょぽしょと、

 


「兄さん。私、テストで100点でした」


「ああ、偉いね」



 当たり前だ。兄さんの声を、私が忘れるはずがないから。だから、兄さんが教えてくれている限り、この世の全てを記憶できる自信がある。



「体育の実技でも、満点でした」


「流石リナ」




 これも当然。強くなければ、兄さんを守れない。私の唯一と言っていい親友、華花ちゃんにはまだ負けることも多いけど。


 華花ちゃんは本物の天才だ。獣人である私を、人間に負けるわけ無いと思っていた私を、一瞬で畳の上に倒したんだから。


 それに──血の繋がらない兄を想う者同士、仲良くしたいし。



「だから、撫でてください。妹が頑張ったんだから、兄さんは褒めるべきじゃないですか?」


「リナが服を着たらね」




 ……兄さんは、たまに意地悪なことを言う。



「……兄さんのケチ」


「ケチじゃない」




 むぅ……このままじゃ撫でてもらえない。仕方がないので、今回はこちらが折れることにした。ぱぱっと着替えて、早く兄さんに撫でてもらうことにしよう。



「……はい、着ました」


「よし、それじゃあおいで」



 ポン。と、兄さんの膝に頭を乗せる。もちろん、兄さんをたくさん感じられるように、兄さんの方に顔を向けて。



「よしよし、リナは偉いな」


「ん…………」




 兄さんが私の頭を撫でるたびに、私の身体は多幸感に打ち震える。昔死にたかった私はすっかり影を潜めて、今では生きててよかったと思えるほどになった。



「あ、そういやさ、父さんたち、来週帰ってくるって」


「そうですか……。ふふっ、楽しみです」




 お父さんとお母さん。二人も私の大切な人。この二人も正しい人。兄さんと一緒に守りたい人。血が繫がっていただけの私の父親と母親とは違う、本当の両親。



「リナ、今日のご飯は昨日のハンバーグの残りだけどいい?」


「もちろん。兄さんの作った料理なら、なんでも」




 兄さんの作った料理が、私の血肉になる。今や、私を構成している細胞の殆どは兄さんに作られたことになる。こんなに幸せなことはない──なんて華花ちゃんに話したら、軽く引かれてしまったけど。



 そんなこんなで、私と兄さんの時間は過ぎていく。でも、私と兄さんはいつも一緒。それはもちろん、寝るときも。



「それじゃあ、電気消すよ?」


「はい」




 兄さんのベッドで、兄さんに抱きつきながら眠りにつく。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか? あの日絶望していた私が、こんなに幸せになれるなんて。これは夢で、本当は今も私はあそこにいて、奴隷になってるんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな風に考えたら怖くてたまらなくて眠れなくなるけれど、兄さんがいれば怖くない。兄さんの熱が、匂いが。これが現実だって、私に教えてくれた。



「にぃ、さん……♡」



 私の兄さんだ。私の兄さんだ。私だけの兄さんだ。誰にも渡さない。12年間、兄さんが好きになってからだと、兄さんと出会ってから12年。そこから兄さんに恋するまでの1年を引いて、11年。ずっとずーっとマーキングしてきた。こんなにべったりと身体中から私の匂いを放っておいて、今更誰のものになるというのか。……どれだけ匂いを付けても人間には、分からないのだけど。



 好き、好き、大好き。11年前から、もしかしたら初めてあったときから、ずっと。兄さん、あなただけを愛します。あなたと共に生き、あなたと共に死にます。あなたがいない世界に未練はありません。兄さんが死ねと命令すれば、よろこんで命を差し出します。兄さんが人を殺めたときは、私も一緒に死体を埋めましょう。兄さんと私、兄妹で番。ですから兄さん。どうか、私を置いていかないでくださいね?



「…………」


「……兄さん?」



 聞こえるのは、兄さんの規則正しい寝息。



「……すぅ、すぅ……………」


「……兄さん。寝ました、よね……?」



 どうやら、兄さんはもう寝てしまったみたいだ。同衾するようになって11年、未だに一度も兄さんは私に手を出してくれたことがない。



「……ごめんね、兄さん」



 でも、私は知っている。今や私の匂いは、兄さんにとって猛毒となっていることだろう。年月と共に想いを重ね、兄さん好みになっていった私の身体。その証拠に、ほら。兄さんの股座にそっと手を当てれば、すっかり雄になってしまっている兄さんの熱が。



「悪い妹で、ごめんなさい。……でもね、兄さん」



 なのに、なぜ? どうして兄さんは、私に手を出してくれないの? これ以上、私は何をすればいいの? 兄さん、教えて。兄さんのためなら、私は犯罪でもなんでもできる。



「手を出してくれない兄さんも悪いんですよ?」



 もっと強く兄さんを感じられるように、兄さんの腕に強く抱きついて。このまま折ってしまえば、兄さんは私しか頼れなくなるのかな?


 ……なんて、そんなことはしないけど。少なくとも、今はまだ。


 だって、



「今は、まだ、我慢できますから」



 兄さんから漂ってくる、甘い甘い香り。私の脳みそを溶かして、グズグズにして、獣にしてしまう魅惑的な匂い。



「でも、いつか絶対、ですよ……♡」



 ──獣人である私が兄さんを、食べちゃう前に。





――――――――――――――――――――





 次の日もいつも通り、学校では何もなかった。唯一違ったのは、いつも一緒にお弁当を食べていた華花ちゃんがいなかったことぐらい。なんでも、『バカ兄貴が弁当を忘れてったから届けてくる』らしい。素直じゃないなぁ。


 そんな、本当にいつも通りになるはずだった日。その日、私の人生は大きく変わることになる。



「僕、彼女ができたんだ」



 兄さんは、そう言った。



「────は?」



 自分でも知らない、冷たくて怖い声が出た。私、こんな声出せたんだ。一体どこの雌が? 私の兄さんを汚した? 綺麗にしなきゃ。掃除しなきゃ。兄さんを守らなきゃ。それが私の人生。私の存在意義。狂った世界から、兄さんを守らなきゃ。


 やっぱり兄さんを襲ってしまえばよかった。そうすれば、兄さんは傷ついてもこうやって汚されずにすんだのに。こうやって狂った世界に洗脳されずにすんだのに。


 いや、今からでも遅くない。私が兄さんを救う。お父さんとお母さんには悪いけど、どこか遠いところに逃げるしかない。そうでないと壊れてしまう。私が、私じゃなくなって。バラバラに砕けて、ただの獣が残るだけ──。



「(……あれ?)」



 なにか、変だ。



「(華花ちゃんの匂いしか、しない)」



 本当に兄さんが女の子と付き合ったなら、そいつの匂いがするはずだ。それに華花ちゃんは今日、兄さんの教室に行っている。兄さんと華花ちゃんのお兄さんは仲がいいから、きっとその時に付いたものだろう。実際、兄さんから臭ってくる華花ちゃんの匂いは薄かった。


 つまり、これは、兄さんの嘘。


 私を突き放すための、真っ赤な嘘。



「兄さん。冗談を言うなら、もっと面白いものしてください」



 冗談。そうだ、これは悪い冗談なんだ。兄さんが、そんな嘘をつくなら、理由なんてそれしかない。それ以外、あってはならない。兄さんに拒まれたら、私は──。



「い、いや……冗談、なんか、じゃ……」



 私の中で、何かが切れた。気づいたときには、兄さんを押し倒していた。



「兄さん」



 ああ、ダメだ。こんな声を出すなんて。こんなの、兄さんを脅してるみたいじゃないか。ほら、兄さんも怖がって──。



「リナ、離れろ」


「…………っ」



 それは、拒絶だった。


 明確な、拒絶。


 兄さんは、私を、拒絶した。


 じゃあ、そうなったら、



「わ、わたし、は……っ」



 お願い兄さん、捨てないで。私は兄さんがいないと生きていけないの。助けて兄さん。苦しいの。寒いの。痛いの。今にも死んじゃいそうなの。だから兄さん。私を、妹を助けて──。



「そろそろ、兄離れをするんだ。リナ」


「…………ぁ」



 妹じゃなくなった私には、何が残るの?



――――――――――――――――――――



 気がつけば私は、自分の部屋にいた。


 ぐるぐると、兄さんとの思い出が蘇る。振り返ってみればあっという間の、けれども長い12年間。兄さんのいない生活なんて、耐えられる気が微塵もしない。


 兄離れなんてしたくない。しなくていい。そんなの私には要らない。ずっと兄さんと一緒にいいれば良かったのに。


 もう、消えたい。けれど、積もりに積もった私の想いはまだ収まらない。このままじゃ死ねない。どうやら人は12年も経てば、ある程度は強かになるらしい。



 そんな時。スマホが振動した。兄さん? そう思って急いでスマホを開く。そこには、



『ねえどんな気持ち? 大好きな兄さんに振られていまどんな気持ち?』


「殺す」



 私の唯一の親友からの連絡だった。  


 ……いや、まて。なんで知っている? 兄さんが華花に伝えた? そういえば、華花は今日兄さんに会っている──。



『はーいもしもしー?』


「兄さんに何を吹き込んだんですか?」 


『えっいきなりこわ』



 スマホを持つ手に力が入る。返答次第では、私は華花を……。



『まあまあ落ち着きなって。リナのお兄さんがさ、妹を兄離れさせたいって言ってきたんだけど』


「……兄さんが?」


『そうそう。リナのお兄さんってば律儀というか、硬いよね〜。その点、もう少しうちのバカ兄貴を見習えばいいのに』



 兄さんが、なんで、そんなことを……?



「なんで……」


『なんでって、リナが一番良くわかってるでしょ?』


「…………!!」


『リナも中途半端だよね。先に進むには、今の関係を手放すしかないよ? 一緒にいるだけ? 守るだけ? そのままだったら、一生大好きなお兄さんの妹のままだよ』



 ……確かに、華花の言うとおりかもしれない。私は逃げていたんだと思う。居心地のいい兄さんの妹という立場に甘えて、進むことを恐れていたんだ。



 本当は分かっていた。私が不運なだけで、そんなにこの世界は狂っていない。兄さんやお父さんにお母さん。華花に華花のお兄さん、クラスメイトの人たちだって、正しくはないかもしれないけど、間違ってもなかった。



 だから、兄さんを守るというのは、兄さんとの確かな繋がりが欲しかった私の方便だった。守るだけじゃ嫌だ。愛してくれなきゃ嫌だ。一緒になれなきゃ嫌だ。兄さん想いの良い子な妹なんてとんでもない。私はきっと、世界で一番兄不幸な我儘娘なんだ。



『それにさ。リナのお兄さんも、いい加減"妹離れ"するべきだと思わない?』


「……ありがとう、華花」


『いいよ。貸し一ね。それじゃ』



 通話は切れた。けれど、私もキレた。あの兄さんには、そろそろ覚悟を決めてもらわないといけない。



『──そろそろ、兄離れするんだ。リナ』

 


 これに兄さんの全てが詰まっているんだ。この状況になって、ようやく分かった。私は、全然兄さんのことを理解していなかった。


 兄さんは、私の本当の兄のつもりでいたんだ。血は繋がっていないけど、本当の兄になろうとしていたんだ。そう考えれば、すべての辻褄があう。だから、私を拒んだ。私に手を出してくれなかった。手を出したが最後、もう兄ではなくなってしまうから。


 逃げていたのは兄さんも、私も同じ。きっと、想いも同じだ。12年の付き合いは伊達ではない。だから、やらなきゃいけない。これから先に進むには、妹のままじゃいられない。



「私のことが大好きで大好きで仕方がない兄さん。兄さんは妹離れ、できますよね?」



 それから兄さんを家に連れ戻したのは、ほんの一時間後の出来事だった。なんともあっさり。想定の何倍も呆気なく、兄さんは私に連れられて家に帰ってきた。





――――――――――――――――――――





「そろそろ寝ますか? 兄さん」


「え、ぁ、ああ……」



 なんだか、兄さんの様子がおかしい。何があったのかは分からないけど、匂い的には女ではないみたい。



「すぅぅーーー、はぁぁぁーーー……」



 ……うん、抱きついて更に嗅いでみても、匂いは同じ。いつもの兄さんのいい匂いだ。久々の兄さんの匂い、安心する……。



「……兄さん」



 名前を、呼んでみる。



「ど、どうしたんだ、リナ? 離れて──」



 ……なるほど、2回戦ですか。いいですよ、兄さん。受けて立ちます。


 最初で最後の兄妹喧嘩、しましょうか。



「離れません」



 兄さんが、面食らった顔をしている。私が反抗するなんて、思いもしなかったのだろう。



「兄さん。私、最初から分かってました。兄さんに彼女ができたなんて、嘘だって。だって、兄さんから嫌な匂いがしないんですもん。代わりにしたのは華花ちゃんの匂いだけ。だから、すぐに気づきました」


「えっ……?」



 兄さんが逃げようと身体を動かしたけど、そうはさせない。今日という今日は、逃さない。今日は、待ちに待った狩りの日なんだから。



「でも、悲しかったです。私、まだ兄さんの妹だったんだって。こんなに、アピールしてたのに。私は、まだ兄さんに守られるだけの妹なんですか?」



 私は卑怯だから嘘を付く。妹でいたかったのは私の方なのに。だけど、もう逃げない。今日の私は獣人だ。人間を狩る捕食者だ。



「ねぇ、兄さん。私、兄さんのことが好き。世界で一番、愛してます」



 この言葉を言うまで、12年かかった。でも、12年で終わり。そしてこれからは、新しい記録のために年月が数え始められる。そう願って。



「んっ……♡」



 兄さんの美味しそうな唇に、そっとキスをした。ほんの数秒、けれども永遠の様。



「──ぷはっ」



 もはや酸素すら甘い。兄さんに包まれている気分だ。心臓はうるさいし、顔から火が出そうなくらい暑いけど、幸せな気持ちだ。



「ぷはっ。……兄さんの料理はどれも好きですけど、一番好きな味は更新ですね」


「り、リナ……?」



 この味を毎日楽しみたい。毎日味わわなきゃ気がすまない。だって、もう知ってしまったから。最愛の兄さん、その唇を。



「ごめんなさい兄さん。私、そんなに兄さんを追い詰めていただなんて知りませんでした。兄さんは、私のことを大切にしてくれていたんですよね?」



 これは本心だった。自分の気持ちを優先して、兄さんの気持ちを無視してしまっていた。その結果、焦る私と、怖がる兄さんが生まれてしまった。私たちはお互いの全てを知っているようで、まるで何も知らなかったのだ。



「ち、違っ……! 謝らなきゃいけないのは、僕の方で……! 僕が、獣人の習性を知らなかったから……!」


「ん?」



 ……いま、兄さんはなんて言った?

 


「……もしかして、知らなかったんですか?」


「え?」


「だから、獣人わたしたちの習性」


「は、はい……」



 …………は。


 ははっ。



「ふふっ……! あはははははははっ!!」


「り、リナっ!?」



 そうか、そうか。知らなかったんだ。兄さんは、獣人を。



「じゃあ、仕方ないですね。知らなかったなら、仕方ないです!」



 思えば確かにそうだ。兄さんは私が好きだった。だから獣人が好きだ。獣人の差別を許さなかった。だから、獣人に関する情報すべてを差別だと思い込んで、耳を塞いでしまった。それなら、知識が5歳の頃のままで止まってしまっているのなら、仕方がない。


 ああほら、やっぱり。私たちは知らないことだらけ。



「兄さん、私は悩んでいたんです。たくさんマーキングして、たくさんアピールして、兄さんの好きな匂いになって、それでも全然手を出してくれなくて」


「ご、ごめっ……!」


「でも、そっかぁ。知らなかったのなら仕方ないですよね。あんなに悩んで、何度も涙で兄さんの腕を濡らしたのに……」



 こんなことだって、兄さんはきっと知らない。私たちはまだ、お互いのことを1割も知らない。だから、もっと知りたい。



「それで、兄さん。女の子が告白したんですよ? 返事……貰えないんですか……?」



 けれどやっぱり、少し怖い。兄さんに拒絶されるのが。でも覚悟はできている。



「──ごめん。リナの想いには、答えられない」



 ……そう言うと思った。いくつになっても妹離れできない、シスコンな兄さん。でも、ごめんね兄さん。今日の私は悪い子だ。



「そう、ですか」



 ほら、私が離れただけで泣きそうになっちゃう兄さん。本当は泣き虫なのに、私のために強くあろうとする兄さん。本当は私が好きなのに、未だに兄であろうとする可哀想な兄さん。


 だから、私が。



「分かりました、兄さん」

 

「リナ、分かってくれて──」


「やっぱり兄さんは、私のモノです」



 今日、兄さんを分からせます。


 兄さんの大好きな妹は、もっとずっと、兄さんが思っている以上に兄さんのことが大好きだということ。


 執念深くて、執念深くて、とんでもなく重い。そんな、手段を選ばないような女だと。



 拒絶する暇すら、与えない。



「んちゅ、ちゅっ……♡ ぢゅぷ……♡ ちゅるるぅぅ〜〜〜……♡♡」



 甘い、甘い、甘い。どんどん私が私じゃなくなっていく。兄さんの妹ではいられなくなっていく。それがどうしようもなく気持ち良い。


 それは、兄さんも同じでしょう?



「兄さん、兄さん……♡ 我慢しなくて、いいんですよ……♡」


「リ、ナ…………?」



 私たちは、兄妹で。



「私は、兄さんのモノなんです。兄さんは、私のモノなんです。知ってましたか? 獣人はとーっても執念深くて、嫉妬深くて、怖いんですよ……?♡」



 でも、一般のそれよりもっと、愛し合ってる。



「12年前に私を幸せにしてくれると約束してくれた、あの日から。獣人だった私に、幸せをくれた兄さんに。私は恋をしています」



 だからどうか、我慢しないで。



「12年間、我慢しました。それは兄さんも同じでしょう? 血が繋がっていない私たち、生物学的にはなんの問題もないでしょう? 日本における民法上も、問題ないわけですし」


「…………えっ」



 ………………ん?



「へ?」


「え?」



 今、驚くようなこと、ありました?


 さすがの兄さんといえど、私たちの血が繫がっていないことは知っているはず。


 ……と、いうことは。



「あの、もしかして、ですけど。兄さん。私達、結婚できることは……ご存知ですよね……?」


「…………」



 あ、この顔は。



「……民法736条、直系血族又は兄弟姉妹の間では、婚姻をすることができない」


「ほ、ほら! やっぱり……!」



 なにがやっぱりだ。それはこっちのセリフだ。



「──ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。」


「…………えっ、し、知らない……」



 言った。知らないと言ってしまった。まさか、こんなことで? 兄さんはこんなことも知らないで、12年を? だから、あんなに私を拒んで?


 ……ああ、もう、まったく。



「……ふふっ」


「……ははっ」


「「ははははははははははっ!!」」



 とんだ遠回り。長い長い回り道。私と兄さんの間にあった壁は、こうも脆いものだったのか。



「はぁ〜……。私の12年間、なんだったんですか……。兄さんのせいですよ」


「ごめんな。全部、僕が悪かった」



 分かればいいんです。分かれば。



「そうです、兄さんが悪いです。本当なら死刑ですけど……兄さんですからね。兄さんが死んじゃったら、私も死ななきゃいけなくなっちゃいます」


「それは……怖いな」


「ええ、怖いですよ。獣人が一度狙った獲物を逃がすなんてありえませんからね」



 その代わり。これからは我慢していた12年分を取り返しましょう?



「んっ……♡ にぃ、しゃん……っ♡」


「りな……っ!」



 ほら。我慢しなくなった兄さんは、もう獣の顔。



「ぷはっ。……リナ。僕も愛してるよ。凄く遠回りして、待たせたけど……それでも、愛してくれるか?」


「……もちろんです、兄さん。……嬉しいです。この日を、12年間待ってたんですよ? でも、もう待たせないでくださいね?」



 ここまで、本当に長かった。兄さんは勘違いをしていて、私も自分を騙していた。兄であろうして、妹であろうとした。けれど、普通の姉妹はおしまい。


 我慢するのも、おしまい。


 兄さんは、獣人の発情期も知らないでしょう? 我ながら、今まで12年間、よく我慢したものだ。なにかは言わせない。待たせた兄さんが悪い。私はもう、我慢しない。



「ですから──これ以上、兄さんが変な我慢をしないように……♡ 兄さんが、私を遠慮なく愛せるように……♡ 私の匂いで、のーみそトロトロにしちゃいましょう……?♡」



 獣人の匂いは、脳を溶かす。とりわけ発情期の匂いは、何もかもを溶かしてしまう。なるほど、確かに獣人は卑しい種族なのかもしれない。けれど。


 兄さんにこうして出会えて、たくさん愛してもらえるなら。獣人に生まれてきて良かったのだと、そう思えた。



 ──その日の夜は、一生忘れられない夜になった。





――――――――――――――――――――





 結論。兄さんは凄かった。



「兄さんは、鬼畜です……っ!」


「そんなぁ」



 あれが兄さんの抑え込んだ12年間なのかと、この身を持って思い知らされた。生娘だった私に、色々味を覚えさせてしまった。最初は私がリードする予定だったのに、気がつけば兄さんの上で踊らされていた。



「いくら私が兄さんのモノだと言っても、限度があるじゃないですか! あんな、私を! 私を……! 私の、乙女の全身にあんなことを……!」


「リナも喜んでたじゃん……」



 私のうなじを何度も噛んで、胸を弄んで、全身に兄さんの"印"をつけられて。何度も何度も、私の耳元で睦言を囁いて。



「うぅ……変な感じです……。兄さんのが、私の中に……。酷いです……」



 お腹が、温かい。如何に私が愛されているか、量で示されてしまった。幾度となく気をやってしまって、そのたびに兄さんに奥を叩かれては起こされて。兄さんの愛を注がれてしまった。



「いやだった?」


「そ、そうは言ってないじゃないですか! 幸せですよ! …………あっ」



 なんとなく、兄さんが手強くなった。そんな気がする。けれど、兄さんに振り回されるのも悪くなくて、新鮮で。



「じゃあいいじゃん」


「に、兄さんは意地悪です!」



 きっと、まだ知らないことがたくさんある。もっともっと兄さんを知れる。それが、こんなに嬉しいことだとは。


 私は兄さんの妹だけど、それ以上でもある。また新しい日々が始まる。思い燻った12年間は、新しい1年を刻むのだ。



「大好きだよ、リナ」


「……私も大好きですよ、兄さんっ!」



 これは、私たちの人生。私だけの兄さんと、兄さんだけの私しか知らない話。いつの日か、私と兄さんが果てるその時に、幸せに死ねるように。


 今日も私は、兄さんとの1ページを綴る。

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兄さん呼び敬語系獣人義妹(依存気味)は兄離れできるのか? げんゆー @genyuu_self

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