五皿目 おふくろの味

  


 どこかで微かに気の早い蝉の声がする。



 中学生の競技生活の集大成になるはずだった。


 小学生の時から取り組んできた空手の大会。

 去年は、全国大会で三位までいったから、今年こそは一番になるんだとこの一年頑張ってきたのだ。


 日々の稽古に加えて晴れた日はランニング、筋トレ。

勉強は好きじゃないくせに、図書館に行ったりネットで調べて体を作るための食事を研究したりして、母に頼んで作ってもらったりもした。


 けれど――

 全国大会出場を決める為の県予選の一週間前、利き足を捻挫ねんざした。


 痛みを押して予選を勝ち、なんとか進んだ決勝戦。絶対にあの会場で、一番気合が入っていたのは自分だ。だけど、痛めた利き足は思うようには動かなかった。


 結果は四位。ダイは全国大会への切符を逃した。



 師匠は珍しく「よくやった」と言ってくれた。会場の観客も惜しみない拍手を贈ってくれた。


 けれど、ダイの欲しかったのは全国大会への切符だ。やりきった、なんて感情は微塵も沸いてこない。



 無言で帰りの車に乗り込み、一言も喋らずに家に帰る。そのままシャワーを浴びて、出てきた所で夕飯を作っている母と目があった。


「もう少しで夕飯やからね」


 大会前は食事を節制していたから、テーブルの上にはいつもより多菜な料理が準備されている。

いつもならば母の作った夕飯を食べながら、今日の演武の出来なんかをいつもより饒舌じょうぜつに語っていたはずだ。


「――――いらん!!」


 母の顔も見ずに二階に駆け上がり部屋のドアを力任せに閉める。そのままベットに突っ伏して布団を頭からかぶった。


 テーブルの上にはダイの好きなものばかり並んでいた。


 母が悪いわけではないのにという気持ちと、今までの練習の日々、「全国でまた会おうな!」と励ましあった他県のライバルの顔が頭の中をぐるぐると駆け巡って爆発しそうだった。足が、ズキズキと痛んだ。





「――――」

 気がついたら寝ていたらしい。部屋の電気は煌々と付いていたが、時計は深夜の十二時を指していた。口の中がやけに乾いている。

水を飲もうと階下におりたら、深夜だというのに珍しく台所に灯りがついていた。


「あら、ダイ。起きてきたん」


 既に母はパジャマ姿だったが、今台所の片付けを終えたようだった。母の横を通り、コップに水を一杯入れて一気に飲み干す。ふと横に目をやると、台所の作業スペースに、白い塩にぎりふたつとだし巻き卵がラップを掛けて置かれていた。


「……ダイ、お腹すいてるんと違う? 塩にぎりあるけど食べる?」


 いらん、と言いかけたがお腹がぐぅっと鳴った。……よく考えたら朝食べたきり、昼は試合前だったために少ししか口にしていなかった。空腹を自覚したら急にお腹が減ってくる。


「……喰う」


 のろのろとダイニングテーブルに移動し、ラップを剥がす。

ぱくりと口に入れた塩にぎりはまだ温かかった。舌にじんわりと米の甘みとほのかな塩味が広がる。母がティーパックの安いほうじ茶を淹れてダイの前にコトリと置いた。


 だし巻き卵はダイの大好物だ。母のだし巻きは出汁が多めで、だしの後に砂糖の甘味が追いかけてくる。……けれど、今日のだし巻きはいつもよりなんだかちょっとしょっぱかった。


「今日はよう頑張ってたねぇ。明日からまた、頑張らんなんね」


 空手、まだ続けるんやろ?


 母の声を聞きながら塩にぎりとだし巻きを咀嚼する。目からはぼろぼろとしょっぱい水が出て、ダイの手の中の握り飯を濡らした。

ダイはただ「うん、うん」と首を振りながら、一心不乱にそれを食べきったのだった。





 今年も、また蝉が鳴き始めている。


 明日、妹にプールに連れて行って欲しいと頼まれたダイは久しぶりに実家に帰ってきた。ダイは車を持っていないが免許は持っている。免許を持っていると田舎の兄貴は大体いいように妹に使われるのだ。断らない自分も悪いのだが。


 久しぶりに予定のない日で朝寝過ごして、一時半に実家についた。テーブルの上に、ちょこんと塩にぎりとだし巻き卵がラップを掛けて乗っている。


「あら、今帰ってきたん。おかえり」


 遅かったね、と母が洗濯場から顔を出す。握り飯の前に佇むダイを見て、「それ食べる? 余ってるから」と言って、自分の分とダイの分の冷えた麦茶を冷蔵庫からグラスに出した。

「おぉ、喰おうかな」と言ってラップを剥がす。

 食べた塩にぎりとだし巻きはいつもの味で、安定に美味かった。

汗を拭きながら椅子に座り麦茶を飲む母を見ながらふと思い出す。


「……そう言えばさ―。負けた中三最後の大会の後に食べただし巻き。いつもよりしょっぱかったなーってなんか今思い出したわ」


 涙ってやっぱり塩分含んでんだなぁってあの時思ったんだよな、と笑うと、母はポカンとした後に笑った。


「……いや、実はあの時、塩の分量間違えたんよ」


 あんたが落ち込んどるのわかってたから、なんて声かけたら良いかななんて考えてたら間違えちゃって。思い出補正かかっとるとこ悪いけど。


 と笑う母の顔を見て「なんやそれ」とダイも笑った。



 あの夏の日、頭の中で膨らんで破裂しそうだった思いは、口の中でほどけて入っていったちょっぴりしょっぱいだし巻き卵と塩にぎりとともに、ダイの血や肉となって消えていった。


 今のところ、あれを越える味のご飯は食べていない。


────────────────────────────────


☆ここまで読んでくださって有り難うございました!面白い!応援してやろ!と思った方は★を♡や感想等お聞かせ願えると大変喜びます!☆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【一話ごと完結】染谷くんの日常 東雲 晴加 @shinonome-h

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画