ヒトフタマルマル此ノ想イ作戦行動中行方不明
笹 慎
英雄チキンレース
狼とキツツキがあしらわれた金属製の部隊章バッジを、拳で叩き釘のように棺に打ちつける。この日、カツラギ准陸尉は二階級特進して二等陸尉となり、一生並ぶことはなかったはずの私たちの階級は一緒になった。
弔銃が空を裂いて撃ち鳴り、続いてラッパの
棺の中は空っぽだった。
◆◆◆
火星で発見されたレアメタルは超伝導材料として電子機器に必要不可欠な資源となり、その採掘及び地球への輸送のために人々の火星移住は本格化した。
人が増えれば、それだけ問題も起こる。火星は南極大陸と同じくどこかの国が独占支配することは禁じられているが、このレアメタル利権をめぐり各国の思惑が絡み合い、加えて移住者による独立運動が始まると治安は一気に悪化した。
そして、ついには治安維持のために、地球から軍隊も派遣されることになった。この駐軍している部隊は「火星治安維持部隊」と呼ばれ、その部隊章も火星を象徴する神であるマルスから狼とキツツキが採用されている。
初期移住者たちが五世代目へと移る頃には、地球と火星の関係は「本土」と「僻地」へと変わり、火星生まれ火星育ちの人間が多数を占めていった。独立運動の過激化を抑えるために、火星移住者たちによる自治権も認められ、これに伴い火星治安維持部隊も現地登用が増えた。今では管理職の士官が数名、地球から派遣されるのみである。
母国の陸軍士官学校を卒業後、早く現場経験を積みたくてウズウズしていた若い私にとって、二等陸尉への昇任を機とした火星への派遣は願ってもない人事であった。二つ返事で「火星治安維持部隊警ら科第五支部隊長」の辞令を受け取り、意気揚々と星間連絡用シャトルへと乗り込んだ。
しかし、そんな野望……いや、希望に胸をいっぱいにして訪れた火星基地で私を待っていたのは、私の着任を待たずに早々に地球へ帰還してしまっていた前任者からの一行足らずの引継書。
『すべてカツラギ准陸尉の助言を元に判断、指揮を行うこと』
これではどちらが上司で部下なのか。ただ、「カツラギ准陸尉」なる人物の人事考課表は、これ以上ないくらいの高評価が毎年連続で記されている。そこで着任後ひと月程度は前任者の引継ぎに従い、大人しく「カツラギ准陸尉」なる人物の助言のままに仕事をこなしつつ、彼の観察を行うことにした。
彼は生粋の火星人……つまり生まれも育ちも火星の人間であり、また現場の叩き上げとして知識・技術・経験ともに熟練していた。そして、概ね人事考課表が正しいことを理解した。「概ね」ではあるが。
「早く地球に帰って、もっと偉くなってください」
私が階級以外、何一つ敵うところのない十歳ほど年上の優秀な部下は、軍人としては不必要なほどに整った顔で片眉をあげてみせる。とても優秀だが、その分自信家で尊大な人物だ。それが私の彼の評価だった。
現場経験、実践経験を期待して、こんな僻地まで来たのに、私はもっぱら『支部隊長室』で事務仕事に追われていた。考えてみれば、当たり前の話だ。私は指揮官として第五支部にいる三小隊・計一二〇人もの隊員たちを管理監督しなければならず、どこかの班に混じって実際に街の警ら業務に当たったりはしない。
しかし、全く現場を知らない「お坊ちゃん士官」のままで任期を終えるつもりもなかった。「本日の警ら業務を実際に見学させてほしい」そう出し抜けに言い出した私に、第五支部副隊長であるカツラギは案の定、難色を示した。
結局、カツラギの方が折れ、通常二台の装甲車で行う街のパトロールに、予備の装甲車を一台追加して私を乗車させた。私の乗った装甲車を挟むようにして、三台は連なり街を走行する。そうした中で、左隣に座ったカツラギが放った小言が先ほどの「早く地球へ帰れ」発言であった。
現場の隊員たちも顔にこそ出さずにいたが、この抜き打ち検査のような私の行動を、カツラギ同様に内心では面白く思ってはいないことは優に見て取れる。だから、他の隊員がおかしな鬱憤の発露を私に向ける前に、カツラギがガス抜きのために「あえて嫌な言い方」をしたのはわかってはいた。
とはいえ、言われっぱなしも癪だ。地球人育ちの現場を知らない頭でっかちの若造として、私も然るべきジャブをお返ししよう。
「カツラギさんこそ、幹部候補生試験を受けたらいいじゃないですか。いくらでも推薦書、書いてあげますよ。わざわざ地球へ行かずともオンラインでも受験できますし」
実際、彼は幹部候補生として選抜対象となる三等陸曹へも最短ルートで昇進し、生え抜き管理職となるべく入隊当初は期待されていたはずだ。性格も向上心が高く、良い意味で野心家なところがあり、人身掌握にも秀でいている。指揮官として一番必要な判断・決断力の早さも申し分ない。
そんな彼が幹部への道からドロップアウトした理由を私は知ってはいたが、すっとぼけて片眉を上げ返してやる。意地悪以外の何ものでもない。我ながら性格が悪い。
「……地球の連絡会議に出席できない管理職なんて、部下は良くても調整役としては三流以下でしょう」
そう言ってカツラギは溜め息をつくと、私から視線を逸らし車窓へと顔の向きを変えた。この低レベル極まりない部隊長と副部隊長の言い争いは、これで休戦ということだろう。
火星の重力は地球の約三分の一だ。火星へ移住した人々が世代交代していく中で、この違いは遺伝子レベルでの変異を起こし、ひとつの病気を生んだ。
難病指定・低重力溶血性貧血症。火星住民の千人に一人ほどの割合で発現するこの病気は火星で暮らしている分には全く問題とならないが、星間連絡用シャトルに搭乗することができない。地球へ再突入する際のGに赤血球の細胞膜が耐えられず、急速な血液の崩壊……溶血によって死に至るためだ。また、仮に減圧ポットを使用して地球へと降り立てたとしても、地球での生活は彼らを短命にした。
カツラギは、この病気だった。彼は地球へ行くことができない。それが幹部となれずに、下士官の最上位である「准尉」となった原因だった。
井の中の優秀な蛙は、井戸から出られない。
なんとも皮肉なことだ。カツラギの容姿が「蛙」にはほど遠く、端正に整っているのも、また神のいたずらを感じさせた。おそらく私は彼が病気でなかったら得られたであろうものを、全部持っている。または、これから確実に手に入れる立場にある。ただ地球生まれというだけで。だから、彼のあたりは強い。そう分析した。
私たちはよく似ている。カツラギは、カツラギできっと同じ結論に達していることだろう。彼の自己分析と自己嫌悪のお陰で、私たちの喧嘩はいつも丁度いいところで終わる。向こうはどうか知らないが、私はこの兄弟猫のじゃれ合いのような関係性をわりと楽しんでいた。
◇◇◇
着任して一年が過ぎた頃、入植地の反対側で大規模な
それは、同じ規模の砂嵐が火星コロニーを直撃した場合、居住地を覆うドームは跡形もなく骨組みごと剥がされ、たとえ地下施設に避難したとしても、その施設ごと抉り取られるという絶望的なものだった。
当初は心配性な人々が地球へ自主的に避難するだけだったが、大規模な砂嵐は群発して観測されるようになり、ついに二十あるコロニーの内の一つが半壊する事態となった。
そして、火星からの撤退が発表された。
「……避難計画の指揮をですか?」
司令官室に呼び出されて、内示を受けた時、私は不覚にも司令官である上司にそう聞き返してしまった。
全住民を一度に地球へ運ぶほどシャトルはない。当たり前ながら、避難は住人に優先順位をつけて段階的にならざるを得ないが、さすがに尉官ではなく佐官クラスが任命されると思っていたので少々面を食らう。それに避難計画の指揮官になるということは「最後まで残れ」という命令に他ならなかった。
一瞬だけ「これはさすがに死ぬかもしれない」と考えてしまったが、元から有事の際は命がけで危険なことをするために職業軍人がいるわけで、しかもそもそも箔付けに火星に来た蛮勇の自分であることを思い出し、「光栄です」とその任を恭しく賜る。
それに私より上の階級が全員帰還した後は、自分が火星基地の司令官だ。例え死んでも、これも悪くない。二階級特進するだろうし、ほとんどの民間人を避難させたあとならば各国から勲章も贈られるだろう。
早くに両親を亡くし、学費がタダで給料ももらえるというので士官学校へ入った。そんな理由だったが意外にも自分に向いている職業だったので、行けるところまで出世してみたくなった。
結婚も将来上司から紹介された女性との方がキャリアに有利だと思い、まだ子なしの独身であるし、火星へ来る前に女性関係もすべて清算している。誰も私の帰りなど待っていないのだから、それなら英雄として名が刻まれる方がよほど自分には価値がある。
避難計画の実行にあたり最終便まで残る隊員は、私のような英雄指向の奴の方が上手くいくだろうと、志願制にすることにした。そして、その志願者名簿の一番上に書かれたカツラギの名を見つけた時、「そうだ。お前はそうじゃないと」と支部隊長室で思わずニヤニヤしながら独り言を呟いたのだった。
多少のトラブルはあったものの順調に住民たちの避難は進んでいき、私は予定通りに火星基地司令官となり(とはいえ、もう隊員は二十名ほどしか残ってはいないが)、あとは最終便までに砂嵐がこのコロニーを直撃しないことを祈るばかりとなった。
「住民が二十人ほど、火星にこのまま残ると言って聞かないのですが」
困り果てた部下からそう報告を受け、私は対象者たちの情報に目を通す。全員、重度の低重力溶血性貧血症患者で、年齢も七十歳を超えており身寄りもない。私は彼らのリーダーとの話し合いの場を持ちつつも、生命に直結する決断になるため個人面談もすることにした。
しかし、みな口を揃えて、「減圧ポッドを使用しても命の保障はないし、そんな危険を冒してまで地球に行っても……」と宣う。確かに、ただでさえ老い先短いところを確実に寿命を短縮するか、直撃しない可能性もある砂嵐であれば、後者なのかもしれない。
結局、地球へ「自己決定権の尊重」として、彼らを残しての部隊の完全引き上げを提案してみたが、各国首脳の総意としては「市民を見捨てた」という形にはしたくないという玉虫色の回答があっただけだった。
「自分が残って、最後まで彼らの説得を続けます」
最終シャトルが到着する前日、カツラギはウイスキーの入ったグラスを傾けて、私にそう言った。避難が済んでしまい店員が誰もいなくなった基地内のバーは、セルフサービスとなってしまったが、その代わり高い酒も飲み放題だ。カウンターに並んで私たちは山崎の十八年物のウイスキーを飲む。
彼らの自己決定権を尊重しつつも、一人隊員を残すことで最終便は最終便ではない。そういう詭弁だ。私は思わず、下を向いて笑ってしまう。
完敗だった。クッソ。コイツ、最後の最後でカッコイイところ全部もっていきやがった。この英雄チキンレースは、カツラギの勝利だ。私は「わかりました」と苦笑いで声を出す。それから、店の紙ナプキンにボールペンを走らせた。
『リョウジ・カツラギ准陸尉に、火星治安維持部隊の全権を委任する』
◇◇◇
私が地球に帰還し、ひと月が経った頃、彼らが残っていた火星コロニーは砂嵐によって消え去った。さらにそのひと月後の正午、火星残留者は死亡したものと見做された。
また、カツラギ准陸尉も同じく
いま彼の空の棺は、各国からの勲章と世界中からの賞賛で満たされている。私は敬礼をして、踵を返した。この先、例え陸軍のトップである幕僚長まで上り詰めたとしても晴れることはないであろう、この敗北感。
勝ち逃げ野郎に背を向け、行き場のない悔しさを胸に秘める。一生勝てなくなった好敵手を赤き星に残し、私は青い星の大地を一人踏み出した。
(了)
ヒトフタマルマル此ノ想イ作戦行動中行方不明 笹 慎 @sasa_makoto_2022
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