第3話

 

「ただいまぁ」

 家には、年始特番の騒ぎ声だけが響いていた。テーブルの上には、昼食として食べたのだろう筑前煮の痕跡がある皿とみかんの皮。指先をオレンジ色に染めた母は、こたつに入ったまま突っ伏してうたた寝をしていた。

 満腹とこたつの魔力に負けたらしい。

 私は早々にお願いを聞いてくれた神様に感謝しながら、母にそっと毛布をかけた。

 ムニャムニャと何かを呟いている。

「もう食べられないよぅ……」

 母は夢の中でも何かを食べているらしい。

「今日、ありがとうな」

「んー?」

「親父の食が細くなってたの、気づいてたけど、忘れてた。エリには大盛り、多かっただろ?」

「ああ、まぁ。美味しかったからなんとか食べきれたよ。でも、あれだな」

「なんだ?」

「めんつゆ美味しいお店っぽかったから、また行ってさ、今度こそはミニ盛りを食べたいかな」

「そっか。じゃあ……」

「来年も行こうね。みんなで、初詣」

「気が早いなぁ。今年は始まったばっかりだっていうのに。ま、そうだな。来年は、母さんも誘うか」

「そうだね。みんなでお蕎麦を食べに行こう」


 梅干しは、ちゃんと健診に行ったり、病院でもらった薬を飲んだりしたらしい。ボケは進んでいる気がするし、どんどん耳が遠くなって、食が細くなっていくけれど、元気に一年生きてくれた。

 白米は、時々暴飲暴食をしてお腹を痛くしたり、お医者さんに数値を指摘されたりしていた。老化からは逃れられないけれど、歳のわりには元気だと思う。

 鮭はこの一年、よく壺に通った。母がそこに寄りつかない理由である超個性的なおばあちゃんとも、いまさら少し仲良くなれた。ボケた梅干しにも、しっかりと「エリちゃん」と認識してもらえたことが、私は嬉しい。

 今年の初詣に向かう弁当箱には、おばあちゃんが同行しないならと、母改め筑前煮も共に詰まってくれた。

 後部座席が狭くなったけど、寂しくなくなったとも言える。

 みんなで神頼みをして、おみくじを引いた。今年は白米が素直にラムネを受け取ったから、鮭はあたたかい甘酒をいただく。

「うぉ、ガキだった俺、よく飲んだな。さっむ! 早く蕎麦食いに行こう」

「そうね、おなかすいたし」

「メシはまだか」

「はいはい、今から行きますよ」

 弁当箱が走り出す。

 梅干しの寝息が響く。

 今日の蕎麦屋は少し混んでいた。テーブルが空くのを、同じ話を聞きながら待つ。

 いざ席に着くと、ミニにしろと言ったけど、「いつものがいい」という梅干しの言う通りに大盛りを注文。

「こりゃあ、食いきれんなぁ」

 ぼそり呟く梅干しのどんぶりを、筑前煮がかっさらう。

「エリ、どうしても食べきれなかったら助けてって言うから」

「任せて。ここ、めんつゆ美味しいところだから、麺だけでお腹いっぱいにしちゃだめだからね」

「オッケー」

 麺をすすり、つゆを飲む。

 神様は、今年のお願いも聞いてくださるだろうか。

 ムグムグと蕎麦を食べる梅干しを見ながら、考える。

「どうした、エリちゃん。じいちゃんの顔に、なんかついてるか?」

「ううん。なんでもない。ここのお蕎麦、美味しいね。来年も一緒に食べようね」

「ふはは! 長生きせにゃいけないな」


 おなかがすくたび、私の頭の中にはおじいちゃんと蕎麦がふわふわと浮かぶ。あの思い出のお店は行きにくくて、だからなかなか食べられない。似たようなお店に入っては、「つゆがなぁ」なんて心の中で文句を言う。

 持って帰ってきたおみくじを開いて、読み直す。

「腹へったなぁ。今日の昼飯、どうするよ」

「どこか行かない? 作るの面倒くさい」

「どこか行くのはいいけど、どこ行く?」

 私は「今だ!」と、夫婦の会話に割り込んだ。

「ねぇ、私、おじいちゃんと一緒に行ったお蕎麦屋さんに行きたい」

「えぇ、ちょっと遠くない?」

「あぁ、でも、悪くないなぁ」

「行こうよ、みんなで!」

 弁当箱は走り出す。白米がハンドルを握り、アクセルを踏み込む。助手席には筑前煮。広い後部座席を、鮭が独り占めする。

「ねぇ、今度はおばあちゃんと行かない?」

「えぇ、やだ」

「お母さん、なんでそんなにおばあちゃんのこと嫌いなの?」

 弁当箱に、沈黙が降りた。

「ばあちゃんはなかなか強烈だからなぁ」

 白米が申し訳なさそうに笑う。

「まぁ、でも」

「んー?」

「おじいちゃんがバラバラになりかけてた私たちを繋いでくれたと思わないでもないし? うん。次の初詣は、一緒でも……いいかな?」

「え、本当に?」

「でも、あれよ? 助手席はおばあさんって言う条件付きね」


 弁当箱の、中身が変わった。

 だけど、行き先も食べるものも変わらない。

 こんな時間が大切で、幸せだってわかってる。

 こんな時間がいつか、どれだけ欲しても手に入れられなくなることもわかってる。

 だから、一分一秒でも長く、楽しいと思いたいし、笑っていたい。

 筑前煮は、紅生姜嫌いを隠さない。

 甘酒を飲んでいるって言うのに、雰囲気はなんだかピリリと辛い。

「ねぇ、おなかすいた。お蕎麦食べに行こうよ」

 鮭が言うと、みんなして甘酒を一気に飲み干した。

 弁当箱が走り出す。

 紅生姜がうたた寝を始めると、筑前煮の機嫌が少し戻った。

 みんなで思い出の蕎麦をすすりだすと、

「あら。こんな味だったっけ? ミカさんの方がお料理上手なんじゃない?」

 紅生姜の言葉を耳にし、筑前煮がむせた。

 私たちは、もっといい関係になれるような、そんな気がした。

 

 あそこの神さまは、とても優しい。

 私のお願いを毎年毎年聞いてくれる。

 これからは、神様だけじゃない。

 梅干しも、私たちを見守っていてくれるはずだ。

 家族となんてって思ってた、数年前の自分に言おう。

 こんな時間も、悪くないよって。

 毎日じゃないんだし、初詣くらいみんなで行って、美味しいお蕎麦を食べてきなって。






<了>





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弁当箱家族 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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