第2話
お父さんが白米で、おじいちゃんが梅干し。となると同じ弁当箱の中にいる私はさしずめ焼き鮭といったところか。
白米がハンドルを握り、梅干しは幾度も同じ話を繰り返す。鮭は弁当箱の後部座席を独り占めして、ひたすら窓の外を眺めている。
「今も甘酒、売ってるかねぇ」
「甘酒さ、お前は飲めねぇだろうに」
「ああ、そうだな。甘酒は嫌だっつって、いつもラムネ飲んでたな」
「今日も買ってやるよ」
「いいや、今日は甘酒がいいな」
「甘酒さ、お前は飲めねぇだろうに」
「もう大人だからなぁ」
「お前は大人じゃねえだろう」
「そりゃあ、親父からすれば永遠の子どもなんだろうが、世間からしたらオッサンなんだわ。ラムネ飲んでたらおかしな目で見られちまいそうだよ」
鮭からすれば突然、会話が途切れた。何事かと前を見る。梅干しがコクコクと頭を揺らしていた。
……寝てる。
白米は「ふぁ」と気の抜けた息を吐くと、ハンドルをギュッと握り直した。梅干しが寝たからようやく運転に集中できると、背中が言っている。
神社の近くまでスムーズに走ったが、三が日ともなれば参拝客でごった煮になるのは当たり前のこと。駐車する場所がなく、空き待ちの行列ができていた。梅干しが一緒であることを考えれば、少し離れたコインパーキングに停めるという案は即刻却下だ。この行列に並ぶ以外の選択肢はない。だいたい、当の梅干しは寝ているのだ。焦る必要などない。じっくりじっくり、時を待つ。
白米がようやく弁当箱を白線におさめたとき、実は起きていたのではないかと思うほどタイミングよく、梅干しが喋り出した。
「お前、ラムネ飲むだろ?」
「いいや、今日は甘酒だ」
「甘酒さ、お前は飲めねぇだろうに」
「もう大人なんだってば。ほら、娘もいるっての。孫! いるでしょうが」
白米と梅干しが鮭を見た。
梅干しは「あらどうも」とでも言うかのように、ペコペコと頭を下げた。
参拝し、お守りやお札を買い、おみくじを引いた。
白米は小吉。暴飲暴食はするなとのことだった。
梅干しは吉。健診は早めに行くといいらしい。
鮭は大吉! 会いたい人には会える時に会えと書いてあった。
弁当箱のところまで戻る途中、参道に並ぶ屋台の中に甘酒屋を見つけた白米の顔が輝いた。それは、長年同じ屋根の下で暮らしてきた鮭も見たことがない顔だった。瞬間、若返ったような気がした。同級生とか、年下くらいまで、急に。
「お前、ラムネ飲むだろ?」
「だーかーらー」
このくだり、何度繰り返すのだろう。
いい加減面倒くさそうにする白米に、鮭は言った。
「ねぇ、ラムネは私が飲むからさ。だからとりあえず、買ってもらったら?」
梅干しは、白米にラムネを買ってやりたかったようだった。ラムネを買い与えた後の梅干しの顔は、さっきの白米のように若返って見えた。
鮭は演技力ほぼゼロの棒読みで、
「ねぇ、私、やっぱりラムネがいい」
すると、白米もまた演技力ほぼゼロの棒読みで、
「ああ、そう? じゃあ、交換しようか」
その様を梅干しは甘酒を飲みながら、ニコニコ笑って見ていた。
「お前、いい奴だな。そのうちお天道さまから褒美があるぞ」
「さっき神さまに頼んだことが叶ってくれると嬉しいんだけどな。褒美をくれるのはお天道さまか。そうか、そうか」
白米と梅干しが甘酒をちびりちびりと飲む横で、鮭はラムネの瓶を傾ける。
キンキンに冷えたそれは、年末年始に好き好んで飲もうと思うものではなかった。胃が冷える。はやく温かいものを口にしたい。
「そういえば、蕎麦はまだか?」
「ああ、そろそろ行こうか」
このくだりも延々繰り返すのかもしれない。
白米と梅干しが紙コップを空にして、ゴミ箱に放った。鮭は置いていかれぬよう、急ぎ瓶の中の液体を全て胃におさめる。もうすぐ温かいものを送るから許してと、胃に頭を下げながら。
弁当箱は、白米と梅干しの思い出の蕎麦屋へ向かって走り出した。
白米は運転しながら梅干しに最近のことをいくつか問いかけていた。どれもはっきりとした回答はない。掴みどころのない言葉がぽん、と放たれて、それを白米がゆっくりトコトコ拾いに行く。その繰り返し、繰り返し。
時折、鮭にも言葉が飛んできた。鮭は「うーん」「まぁ」といったふわふわした言葉をぽん、と放った。
白米はそれはゆっくりトコトコ拾いに行くし、梅干しは明後日の方向へとヨタヨタ進む。テンポよく進行するのは弁当箱だけだ。
「着いたぞー」
まだお昼には少し早い時間だったからだろうか。すでになかなか混み合ってはいるが、待つことなく席へ案内された。
椅子に腰掛け、お冷を一口。
いいや、だから鮭は、温かいものを欲しているんだってば。
「親父、いつものでいいか?」
「ああ」
「エリはどうする?」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ、コレ」
「オッケー。すみませーん! 注文いいっすか?」
注文した蕎麦は、ふわふわとした中身のない会話に飽き飽きする前にやってきた。
トレーの上、3つのどんぶりを皆が見る。
白米がそれを割り振ると、梅干しは言った。
「こりゃあ、食いきれんなぁ」
「え……」
「じゃあ、交換しようか? 私、大盛りでもヘーキだよ」
「ごめんな、エリ」
「いいの、いいの!」
白米の記憶の中にいる梅干しがペロリと食べていただろうそれは、今の梅干しには多かったようだ。
梅干しはムグムグと口を動かしながら、ゆっくりとミニ盛りの蕎麦を食べる。鮭は心の隅では想像していたものの、現実となるとなかなかの強敵である大盛り蕎麦に食らいついた。
減らない。なかなか減らない。まるで無限蕎麦だ。これを食べ切ったら、しばらくは「おなかすいた」などと言わずにいられそうだ。満腹を超えた満腹へ向かって、ひたすらすする。
なんとか麺をたいらげたが、つゆまではキツい。腹八分目で飲めたなら、「おいしい」と思えるだろうつゆを、泣く泣く残して店を出た。
皆で弁当箱に詰まると、白米がそれを運転し、梅干しを壺へ帰すために走り出した。梅干しは助手席で太陽というあたたかい布団をかぶりながら、フゴフゴと寝息をたてていた。
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