弁当箱家族
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
第1話
「初詣、親父と行こうと思ってるんだけどさ」
誰も観ていないテレビから、愉快な声が響いている。年末だからとどんちゃん騒ぎをしているみたいだ。
ケタケタと耳障りな笑い声は、危うくお父さんの呟きをかき消すところだった。
「あ、そう」
お母さんの返事も然り。
私が部活だバイトだと忙しくなった頃から、家族で初詣に行くことはなくなった。みんなバラバラ。それぞれが共に行きたい人と、行きたいところに行く。それはこれからも続いていく、味気ない現実だと思っていた。
それなのに。
白米オンリーだったはずの未来に、突如現れた梅干し。
お父さんにちょんと添えられたおじいちゃん。
「ねぇ、おじいちゃんって、出かけられるの?」
「んー? 俺が車出すから」
「迎えに行って、初詣行って、送り帰すってこと?」
「そう」
何かのゲームで決着がついたらしい。センブリ茶を飲まされる芸人が、すごく嫌そうに叫び出した。
お父さんがリモコンに手を伸ばす。ひと押しでテレビが黙った。
「親父がさ、久しぶりに蕎麦食いたいって言って」
「……は?」
「昔、親父が連れて行ってくれてた神社の近くに蕎麦屋があるんだよ。年始って言ったら、手を合わせておみくじ引いて蕎麦食うのが定番だったんだ。なんて、言ったことなかったか?」
わからない。ここ数年、お父さんの話は長期記憶に入れてない。短期的に覚えて、お役御免でさようなら。
そんな真実は、胸の中にしまっておく。
「どうだろう。ふーん。そうなんだね」
冷蔵庫の中は、年始の準備のせいでギュウギュウ。おせちをかき分け、ジュースを手に取り、一口飲む。
「エリも来るか?」
「……え」
「あはは。嘘だよ、嘘。友だちと約束とか、してんだろ?」
「ああ、まぁ」
カウントダウンを共に過ごして、そのまま初詣に行くという約束なら、確かにしている。
「っていうか、お蕎麦何杯食べるつもり?」
ギュウギュウの冷蔵庫に筑前煮を強引に詰め込みながら、お母さんが問いかけた。
「そりゃあ、一杯でいいだろう」
「一杯って一どんぶりのこと? それともたくさんどんぶり?」
「はぁ、めんどくせ。一杯っていったら一杯だよ。イントネーションでわかるだろ」
心の中で、首をブンブン縦に振った。
いつもだったらお母さんの言うことの方が正しいことが多いけれど、今回ばかりはお父さんの側に立つ。
「あなた、忘れたわけじゃないでしょ?」
「なんの話だよ」
「お義父さん、もうそこそこボケてるでしょって話」
「あ、あぁ……」
私は最近、おじいちゃんに会ってない。だから、本当の話かどうか、よくわからない。でも、二人の雰囲気を見ればわかる。ボケているのは事実らしい。
「あのさ? おじいちゃんって、どんな感じでボケてるの?」
興味と恐怖に、私は負けた。
真実を知らなくては、オヤツが喉を通りそうになかった。
「んー? ご飯食べたあとすぐに、『メシはまだか?』って言ったり」
「あー、よく聞くやつだ」
「そう。ど定番のやつ」
「はぁ……。そっか。蕎麦食べた後で『蕎麦まだか?』って言う可能性があるのか……」
お父さんが頭を抱えた。それからチラチラとお母さんの方を見た。これは、お父さんの悪い癖だ。お母さんに助けて欲しい時、お母さんが察して助けてあげるのを待つ。
私がもし『父親の嫌いなところベスト3を教えてください』と聞かれることがあったら、必ずランクインするだろう、大嫌いな癖。
「ねぇ」
「んー?」
「初詣、いつ行くの?」
「エリは友だちと行くんだろ?」
「まぁ、行くけど。カウントダウンして、その足で。だから、その……」
「んー?」
「たとえば2日とかだったら、一緒に行ってもいいかな? なんて」
私は、このことにお母さんを引きずり出すのは絶対にナシだと思った。
いつもみんなに頼られて、言い方を変えれば都合良く扱われて、それでも健気にこなしてくれるのがお母さんのいいところ。
そんなお母さんを、年始くらいは休ませてあげたい。
こたつでぬくぬくしながらみかんをむいて、指先をオレンジ色に染めて欲しい。その染まった指先を、食器洗いやら掃除やらで綺麗に洗い流さないで欲しい。
私は作ろうとすれば時間なんていくらでも作れる。
おじいちゃんとの初詣は、私がついていけばそれでいいはずだ。
「2日か3日に行こうって話してたんだけど……。じゃあ、行く?」
「うん。行く。しばらく会えてないから、久しぶりに会いたいし」
「年金暮らしだし、お年玉はないよ?」
「お年玉よこせって言うほどガキじゃありませーん」
ガキくさいやり取りをしている最中、年始の準備がひと段落したらしいお母さんがエプロンで濡れた手を拭きながら、カレンダーの方へと歩き出した。
ペンを掴むと、真新しいカレンダーに最初の文字を刻み始める。
――お父さんとエリ、お義父さんと初詣
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