ある霊能者の話

アイアンたらばがに

 ずっと雨が続いていて、肺にカビが生えてしまいそうだと思っていた日のことだった。

 ただ街ですれ違っただけの、視界の端にちらりと映った傘を差して歩くその男が妙に気になって仕方が無かった。


「そこの人、少し止まってもらってもいいか」


 思わず私が声を掛けると、男はこちらをひどく警戒するような目で睨み付け、すぐに人当たりの良さそうな笑顔を作って首を傾げる。


「えっと……お姉さん、僕がどうかしましたか?」


 今にも頭が転げ落ちてしまいそうな細い首、黒い髪は手入れもせずに伸びるままに任せていたようだ。

 墨で描いたのかと思うほどに深いクマが目の下を染めていて、声の様子からしても疲れ果てていると判断できる。

 けれど違う、私が気になったのはそこじゃない。


「あの、何も用事が無いんだったらもう行っても……」


「君こそ急ぐ用事もないだろう、一杯奢るからそこの喫茶店で話を聞かせてもらいたい」


 すぐそこの全国チェーンの喫茶店を指して誘うと、男は露骨に嫌そうな態度を見せる。

 彼は必死に隠そうとしているが、病的なまでの他人への嫌悪感が滲み出ている。


「君、親しい者に関する悩みがあるな、それも他人には相談できないタイプの物だ」


 この言葉に、彼はまた分かりやすく動揺してくれた。

 結局彼は喫茶店に入る私の後ろを雛鳥のように着いて来た。

 席に着いて、彼にメニューを渡す。

 まだ肌寒く感じるこの時期にも関わらず、彼が頼んだのはアイスココアだった。


「……さて、亡くなった人は君とどの位親しかったんだ?」


 単刀直入に私がそう伝えれば、彼はテーブルの裏を膝で叩くほど驚いたようだ。

 目を見開いた姿がフクロウに似ていて少し滑稽に見える。

 彼の手の震えが収まるまでまた少し会話が止まる。


「あ、あなた……一体何者なんですか?」


「通りすがりの霊能力者」


 そういえばまだ自己紹介をしていなかったなと自分の中で反省する。

 私が答えたことで彼の中で色々と話が繋がったようで、警戒が少しだけ収まったように感じられる。

 彼の隣に見えるこちらを睨みつけてくる血まみれの男が少しだけ目力を緩めたことがその証拠だろう。


「……そんなの、信じられると思うんですか?」


 次から次へと質問ばかりで面倒くさいなこの男、だなんて声を掛けたのはこちらなのだから思ってはいけない。

 言葉にしたらそれこそ視線だけで殺されてしまいそうだ。


「死因は刺殺かな、喉と胸を刺されたようだ……背丈は君より少し高いぐらいで髪は短い……」


 血まみれの男の特徴をあげつらうと、彼は慌てて私の口を止めようとする。

 店員さんがやってくるのが見えたから私も話を中断した。

 彼の前にソフトクリームの乗ったアイスココア、私の前にバカでかいジョッキのコーヒーが置かれる。

 ちょっと予想外の物が出てきたと思っていると彼が口を開いた。


「親友、だったんです」


 高校時代から今までずっと交友関係のあった親友だったらしい。

 ちらりと血まみれの男に目を向けると何も言わずにこちらを睨み返してくる。


「暗くて引っ込み思案だった僕に声を掛けてくれたのが彼でした、すごく明るくていつも僕を気にかけてくれて……格好いい人だったんです」


 話す彼の目に涙が滲む。


「この間、前から付き合っている人と結婚することになったって嬉しそうに話してたんです……僕を友人として招待したいって……なのに、こんなことになるなんて……」


 そこまで話したところで彼は静かに泣き出してしまう。

 特に何も感想の湧かないつまらない話だった。

 話を聞き終えるまでにガムシロップを十六個も入れてしまった。


「君は幽霊を信じるか?」


 コーヒーをストローでかき混ぜながら、そんなことを彼に問いかける。

 私の思った通り、彼はすぐに食いついてくれた。

 思わず笑ってしまいそうになる。


「幽霊になる者は皆未練を持っている、つまり未練があれば誰だって幽霊になれるわけだ」


 そんな簡単なことを話せば、彼の目に希望の灯が宿るのが見えた。

 それと同時に血まみれの男が苦々し気に顔を歪める。


「もちろん君の親友だって例外じゃないだろうね、大きな未練を残しているだろ……」


「あ、あの!お話、ありがとうございました!」


 私が話し終える前に彼は店を出て行ってしまった。

 ココアの上のソフトクリームはすっかり溶けてテーブルを汚している。

 彼は結局口すら付けなかった。


「声を掛けるんじゃなかったなぁ」


 表を見れば雨は上がっていて、分厚い雲の隙間から日光が漏れ出ている。

 コーヒーを一気に飲み干して咽込みそうになってしまった。


「……屋上から転落したとみられる男性の遺書が……」


 テレビを眺めていた時に流れたニュースを見て、そんなこともあったなと思い出す。

 公開された顔写真はあの日声を掛けた彼だった。

 どうやらあの日私と話したすぐ後に飛び降りたらしい。


「馬鹿だねぇ」


 テレビ越しに見た現場には確かに、頭のひしゃげた彼が霊になって映っている。

 何かを探すように右往左往している姿は滑稽に見えた。

 あの日見た血まみれの男はもう成仏したようで、どこにも姿が見えない。


「多分、血まみれの彼の未練は犯人を自分と同じように苦しませることだったんだろうな、見事未練解消して成仏できたってわけだ」


 少し楽しくなって、誰に聞かせるまでも無く独り言ちる。


「落ちた彼は親友に会いたいってのが未練だろうよ、もう叶わないから成仏できやしない、死んでまで別れることになるなんてね」


 話した時から薄々感じていたが、血まみれの男を殺した犯人は彼だったのだろう。

 でなきゃ、まだ見つかってない遺体の刺された場所を知っているのがおかしいもの。


「私をお姉さんなんて呼びやがったのが運の尽きだ、こちとら真っ当な成人男性だってのに……」


 感じていたイライラを吐き捨てて、嘲る様に笑って、そんな自分に嫌気が差してソファに倒れ込む。

 顔を上げれば仏壇が目に入った。

 私によく似た顔、双子の兄の笑顔が写真の中からこちらを見つめてくる。

 視線を感じて、胃袋が鉛を流し込まれたように重たくなった。

 兄は私と似ているのに、全然私とは違う人だった。

 快活な性格でよく笑い、友人に囲まれて、何より私と違って霊なぞ一ミリも見なかった。

 そんな兄を羨んで、それ以上に尊敬していた。


「遺書には先日の行方不明事件への関与を仄めかす内容が……」


 テレビの音が五月蠅く感じられて電源を切る。

 静かで何も聞こえない。

 兄が事故で死んでから何度も目を凝らして、耳を澄ました。

 煩わしいほどに視界に映る幽霊の中にも、雑音の中にも、兄の物は無かった。

 兄は霊にならなかった。


「……会いたいなぁ」


 今の私は未練まみれで、きっと霊になってしまう。

 先ほど見た滑稽な姿に自分を重ねて、気分が落ち込んだ。

 嫌な思考がぐるぐると頭を駆け回る。


「死ねないなぁ……」


 肺の中の空気を全部吐き出して、全身の力を抜いて目を閉じて、思考から逃げるように私は眠りに落ちた。

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