第38話:ノエールの初仕事2

 

 心優しき農家トムのおかげで、不安を払拭したノエール。

 しばらくすると次々と来客があり、カウンターには短いながらも列ができ始めていた。


 勿論、ノエールの前に、だ。

 俺のところには列どころか、客さえいない。


 「わたくし頑張れそうですわ」という自信とは裏腹に、ノエールは早くも泣き出しそうな顔をしている。

 俺も泣き出しそうだった。


 今はちょうど、ふくよかな婦人が商品をカウンターに乗せた所だ。


「ご、ごきげんよう。ええと、お預かりします商品は、高保温性フライパンとポーション3瓶ですわね……銀貨1枚と銅貨9枚に対して……はい……銀貨が2枚」


 ノエールは舌を噛みつつも丁寧なお辞儀をしてから、商品を一瞥、片手で指計算を始めた。


 もう片方の手には婦人が払った銀貨2枚が乗っている。

 それぞれ模様が違った。


「あら、新人さん? ふふっ、お人形さんみたいね」

「へ? あ、その……ありがとうございます……! それで……ランドウェード銀貨とデ・ソーラ銀貨ですから……ええと」


 褒め言葉に頬を赤く染めるのもほどほどに、カウンターの死角に隠したメモ用紙を盗み見ながら、再び指を動かし始めた。

 そして、引き出しに入った小銭をガサゴソと漁る。


 古来に始まった物々交換の完成形、金属硬貨による取引。

 その金属硬貨は各鉱山、製造元によって価値に差があり、ランドウェード硬貨は、純度の高さと為替相場の安定性から最も価値が高いとされている。

 

 婦人が支払ったのは、ランドウェード銀貨と、それより少し価値の低いデ・ソーラ銀貨。

 

 価格設定をランドウェード硬貨基準にすると、適切な釣り銭はラインレイン銅貨0.7枚もとい、ラインレイン鉄貨7枚になる。


 だが、その計算はあまりにも面倒くさい。


 そもそも正確な為替相場を把握している人間は殆どいないし、国によっては一部硬貨を発行していないところもある。


 硬貨の価値を見定めて、「デ・ソーラ銅貨なら3枚、ランドウェード銅貨なら2枚でいい」などと細かく指定してくる店もあるようだが、ウチはそうじゃない。


 暇をしていた俺はノエールの方に身体を傾けた。

 デ・ソーラ銅貨1枚を彼女の手元に滑らして「これでいい」伝える。


 ホッとしたような驚いたような表情のノエール。

 デ・ソーラ銅貨を婦人に渡して接客を終わらせた。


「会計は単純な引き算でいい。銅貨3枚の商品に銀貨1枚が支払われたら、10から3を引くんだ」

「そ、それではどちらかが損をしてしまうのではありませんか? 今回の場合はわたくしたちが……」

「些細な差だ。もし気になるのなら次はこちらが得するように釣りを渡せばいい」

「よ、よろしいのでしょうか……それは、何かズルいような」

「取引というのは結局、お互いが満足すればいいんだ。不満があれば交渉する。なければそれで終わりだ」


 そうして俺は肩をすくめると「意外に皆、気にしてない」と付け加えた。

 むしろ「計算が楽で助かる」と言われることもあるし、毎日つけている帳簿からも、さほど損失が出ていないことが分かっている。


 ノエールが微妙な表情で頷くと、次のお客さんがやってきた。


「お、お嬢ちゃん新しい子かい?」

「え、ええ! ごきげんよう」


 細身の老人がノエールを舐め回すように見る。

 そして、目を鋭く細めた。


「ほうら、ポーションひとつ! お嬢ちゃんは、きちんと接客できるかな?」

「あ……ええと、商品をお預かり致しますわ。それで……こちら、お釣りのランド……いえ、銅貨1枚になります」

「はい、よく出来ました」


 そう言って、老人はお釣りを受け取る際、わざわざノエールの手を握りしめる。

 皺だらけの顔を更にしわくちゃにした。


「きゃっ」

「ハハ、初々しい反応だなあ! そんなに可愛いのに、カレシとかいたこと無いのかい?」

「……か、彼氏!? ……あ……あう、あうあう」


 目をぐるぐると回して混乱してしまったノエール。

 男性が苦手だ、と言っていたことを思い出し、助け舟を出そうとするが、老人に睨まれた。


 ここはノエールに乗り越えてもらおう、と俺は前を向く。

 老人が常連客になることを見越しての判断だ。


「ハハハ、それじゃあな、お嬢ちゃん。また来るよ」

「……は、はい」


 と老人が帰った途端、ノエールが俺の方を向く。

 声を落として捲し立ててきた。


「セノンさん! ああいう時は助けてほしいのですが!」

「……接客に忙しかった」

「何をおっしゃいますの! 先程からセノンさんの所には誰も並んでいないではありませんか!」


 何も言い返せなかった。

 俺は目を瞑ってやり過ごす。

 ノエールは「まったくもう」とため息を吐いてから俺の靴をやわらかく踏んだ。


 何をするのだ、と睨むと「ごめんあそばせ?」と一言。


(この女……)


 俺は唇を固く結び、無視を決め込んだ。


 それからもノエールの元にはお客さんが並び続けた。

 褒められる度に顔を赤くして狼狽えている為、客捌きは早くないが、それもまた魅力なのだろう。


 初代看板娘ローゼリアは、たとえ異性に褒められたとしても軽く受け流すだけだった為、常連客も新鮮さを感じているようだ。


 「かわいい」という声には「そうでしょ?」と何食わぬ顔で返し、「結婚してくれ」など言われても「来世で会えたらね」と平然としていたローゼリアはある種の才能があったと言える。


 そうやって批評家然とした顔で感想を抱いていると、ノエールが時折、助けて、と表情で訴えかけてくる。

 それを俺は見て見ぬふりをした。


 ノエールの良さを活かす目的もあったが、嫉妬心が全く無いと言えば嘘になるだろう。


 続けて立ち尽くして今度は、俺とイラックがカウンターに並んだ時の道具屋はちょっとマズいんじゃないか、と不安になっていると、ようやく目の前に人影が現れた。


 張り切って胸を膨らませるが、お客さんの顔を確認すると虚しく息を吐き出した。


「いやあ、相変わらずセノンさんは人気がありませんね。まあ、あんなに可愛らしい子がいれば当然かもしれませんが」


 と声をかけてきたのはバーヤンだった。

 髪はボサボサで、小太りなのは相変わらずだが出会った頃よりは萎んでいるような印象を受ける。


 窪んだ目の奥が爛々と光っていて、おもむろに取り出したどす黒いポーションを飲むとその輝きは更に増した。


「新従業員のノエールだ。あとで紹介しに行く」

「いえいえ、お構いなく。それよりも、セノンさんはスカウトの達人ですね。よくもまあ簡単に発見できるものですよ。皆さん、容姿がとても優れています」

「時々思うんだ。俺が売上を落としているんじゃないかって」


 俺の自嘲にバーヤンは苦笑するだけだった。

 少しくらいは否定するか慰めてくれよ、と思う。


「それに、ノエールさんはどこかで見たことがありますね」

「そうなのか?」


 エレクタム家らしいぞ、知ってるか、と喉まで出かかる。

 ギリギリのところで「逃亡中」だと言っていたことを思い出して、言葉を飲み込んだ。


「……まあ、いいです。それよりもお願いがあるんです」

「ああ、そういえば呼び出されていたな。行こうとは思っていたんだが、野暮用があったんだ」

 

 そこでノエールの方をチラリと見る。

 相変わらず、表情豊かに接客をしていた。


「いえいえ、構いませんよ。至急ではありませんので。今日だって息抜きがてら寄っただけですから」

「それで、何をすればいい」

「セノンさんには巣蜜をとってきて頂きたいのです」

「巣蜜?」

「ええ、ハチの巣ですね。ちょうど旧街道の方にソルジャービーが巣を作っているらしいですよ。まあ、小耳に挟んだだけですが」


 ソルジャービー、聞いたことのない魔物だ。

 だが、情報がないからと言って魔物程度どうということもなく、俺は快諾した。


「注文が多くて申し訳ありませんが、今は研究が忙しいので明後日に届けてほしいです」


 バーヤンはそう言ってから「それと、今日の納品分です」と、くすんだ色の巾着袋から大きな木箱を取り出した。


 中には100を超えるポーションが入っていることだろう。

 俺は礼を言いながら、木箱を両手で受け取った。


「それで、今から取りに行くのは駄目なのか?」

「なるべく新鮮なものがほしいのです。まあ、ハチミツですから数日では腐ったりしないとは思いますが」


 俺は頷き、余裕の出てきたスケジュールに予定を組み込んだ。

 久し振りの依頼に、俺はどこか心を踊らせていた。

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(元)殺し屋が経営する道具屋さん〜ポーションを売ったり、人助けをしたり、そんな感じのスローライフを送りたいが、どんどん話がややこしくなる 鹿魔 @shiika09

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