月光哀歌
あおきひび
月光哀歌
籠の鳥は毒杯を呷った。
臓腑を駆け巡る甘やかな死を、涙を零して受け容れる。
野良犬は刃を喉に突き立てた。
泥と血にまみれた凄惨な死を、それでも是として独り笑む。
互いに互いを想いつつ、ふたりは孤独に息絶えた。
それを視たのは月夜のみ。世にもかなしき
寝屋に現れたその男を見て、白髪の青年は息を呑んだ。
「久方ぶりだな。随分と、見違えた」
精悍な顔立ちに、黒曜石の瞳。濡羽色の髪を肩まで伸ばしたその男は、まぎれもなく彼の生き別れた幼馴染であった。
青年は煙管を取り落とした。深いスリットの入った白地に金刺繍の衣をまとい、瀟洒な化粧を施されている。しかしその表情は、日頃の大人びたそれとはかけ離れていた。その白磁のかんばせは紅潮して、灰色の瞳は潤んでいる。まるであどけない少年のように、その男娼は泣き笑った。ふたりは幾年越しの再会を遂げたのだ。
柔らかな寝台に腰かけて、二人は格子越しの夜空を見上げていた。浅黒い右手と白魚の左手が、絹の敷布の上で確りと重ねられている。
「ずっと、こうしていられたらいいのにね」
白髪の青年がそう囁いた。黒髪の彼が手に掴んだ泥まみれの札束は、高級男娼である青年を買うにはぎりぎりの額しかなく。刻限は間近に迫っていた。
「ねえ」
「ん、何だ」
青年は枕元から小瓶を取り出して見せる。
「ここに毒があるんだ。共に飲んではくれないか。僕はもう覚悟は出来ている」
男の黒曜石の眼が悲し気に細められ、その大きな手が青年の白い髪を優しく撫でた。
「それは出来ない。お前だって、分かっているだろう」
彼はそう言った。俺の命は、お前からもらったものだ。今日まで守り続けた、ただ一つの宝物。だからこれだけは捨てられない。それがお前自身の頼みだとしても――。
彼らが幼い頃のこと。故郷の村を賊に焼き払われて、ふたりは命からがら逃げ出した。しかし追手は間近に迫っている。手をつないで走っていたはずが、気づけば離れ離れになってしまった。
そして黒の少年は、白の少年が人買いの一団に槍を突きつけられて、地に伏せるのを見た。隠れていた藪の奥から飛び出そうとした瞬間、彼は見た。乱れた白銀の髪の間から、口の動きだけで合図する姿を。
きみだけでも逃げて。早く。
だから、黒髪の彼は逃げ出した。そうしてこの一夜のために、あらゆる辛苦を越えてきたのだった。
この命だけは、捨てられない。男はそう呟いて、口端をゆがめてうつむいた。
「そうか。それならば、仕方がないね」
青年は痛切な心の内を見せぬように、穏やかに微笑んでみせた。
どちらからともなく、二人はひしと抱き合った。互いの体温と鼓動を確かめながら、最後まで泣かないように。黒の男は悟られぬよう歯を食いしばり、白の青年は自らの肌へと爪を立てて堪えていた。
そうして終わりの時は来て、彼らは名残を惜しみつつ、今生の別れを告げたのだった。
空っぽになった寝屋の中、青年は静かにすすり泣いた。
街路の暗闇を歩みながら、男は月を見上げ涙を零した。
その涙が涸れ落ちた頃、二人はそれぞれに、自ら果てることを心に誓った。この一夜に殉じ、分かたれし絆を永遠につなぐために。もはや後悔も恐れも無かった。そうして片方は毒杯を、もう片方は短刀を手に取った。
哀しき決意の瞬間を、見守るものは月夜のみ。
月光哀歌 あおきひび @nobelu_hibikito
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