第37話 消し去る過去

 「さあ、引き締めてプレーしよう。喜ぶのは勝ってから」


 陽菜が浮かれる私たちにキャプテンらしく声をかけた。

 言ってることは正しいんだけど……そんなに表情で言われてもなあ。

 頬がゆるみきっていて説得力が半減している。

 しかし、実際に勝負はまだついていない。

 それどころか、体力的に私たちの方が分が悪い。

 こっからが踏ん張りどころだ。

 急いで、守備の位置に戻る。

 辰巳さんはボールを左右に揺さぶりながら、私の隙を見つけようとしてくる。

 足を止めたら負ける――それが分かっているから、痛む足を引きずるように動かす。

 辰巳さんの左足が一歩前に出る。

 その動きに連動するかのように私は体を右に傾ける。

 しかし、そんな私の動きの逆をいくように、辰巳さんはボールを持つ手を切り替えるのと同時にドリブルで抜きにきた。

 頭では分かっている。今すぐに体の向きをかえなきゃって。

 しかし、足が動かない――まるで脳からの電波が足にまで届いていないようだ。

 また負けるのか……?


 「頑張れ!」


 観客席から一際大きな声が会場に響く雑音を切り裂いて私の元まで届いた。

 コート上には十人もの選手がいる。

 もしかしたら白雪高校の応援ですらないのかもしれない。

 けど、その声が私に向けられたものだって直感で分かった。

 誰かが応援してくれている。

 あの頃みたいな独りよがりな私じゃないんだ。

 そう思えるだけで、動かないと思っていた足が動き出す。

 人って単純なんだなって自分でも笑ってしまうくらい、元気が出た。

 辰巳さんの後ろを追う。

 私を抜いた辰巳さんは今にもミドルシュートを打とうと、足を地面から離しはじめていた。

 絶対に決めさせない!

 今日、勝って新しい一歩を踏み出すんだ!

 私は辰巳さんの背後から、より高く、跳んだ。

 狙うは辰巳さんの手から離れる寸前のボールだけ。

 手には触れないように慎重に、けど大胆に、強く弾き飛ばす!

 ボールが空中に弧を描き始めた瞬間、手を振り下ろす。

 バン、とボールはバックボードに当たって跳ね返った。

 ブロック成功だ!

 リバウンドの回収は――よかった、ボールはリリーの正面に飛んでいったようだ。

 しっかりとリリーがボールを抱えていて、ホッと息をつく。

 残り時間はもう二十秒を切っている。

 おそらく、この攻撃が最後になるだろう。

 スコアは七十七対七十七。

 一点でも決めれば私たちの勝利だ。

 延長戦を戦える体力はもう残っていない。

 ここで決めるしか無い!

 相手コートへと慎重にボールを持ち運ぶ。

 パスか、ドリブルか、それとも……。

 時間が刻々と過ぎていく。

 辰巳さんは私が中へ切り込んでくる可能性を考慮してか、先ほどよりも一歩後ろに下がって、距離をとっている。

 こうなると辰巳さんを抜き去るのは困難だ。

 そもそも、さっきは意表をついただけであって私のドリブルでは辰巳さんのディフェンスを掻い潜れないだろう。

 となると、パス一択になる。

 パスだったら、あの時みたいなことにならないはず……。

 みんなに文句を言われることもないだろうし、きっと、チームもそれを望んでいるはずだ。

 でも、どうしてだろうか。

 どこか胸のつっかえが取れない。

 私個人の感情がその決断を否定している。

 個人よりも、集団を大事にするべき、そうあの経験が教えてくれたはずなのに。

 「日本一のプレーヤーのつもりでプレーして」陽菜の声が頭に響いた。

 ずっと後悔していた。あの時の決断を。

 ずっと非難していた。あの時の自分を。

 独りよがりのわがまま野郎だって。

 でも、あの時の私は勇気だけはあった。

 今はどうだ?

 勇気もなく、後悔してるだけ。こんな自分になりたかったのか?

 違うだろ?

 だったら、私の選択は……。

 さっきまで聞こえていたはずの周囲の音が聞こえない。全ての神経を集中させる。足の指先から頭のてっぺんまで。

 両足に力を込めて地面をける。

 まっすぐ、垂直に、体勢を崩さないように。

 狙うはリング、スリーポイントシュートだ!

 同点の場面でわざわざスリーポイントシュートを狙うと思わなかったのだろう。

 辰巳さんは私から距離をとっていて、ブロックされる心配はない。

 後は己との戦いだ。

 小学校の頃の私を思い出せ!

 あの全ての力を、想いをボールに込める感覚を――きっと決められるという自信を。

 指先からボールが離れる。

 私の目にはまるで時間が止まったようにスローモーションで弧を描くボールが見える。

 入れ、入ってくれ!

 しかし、そんな願いとは裏腹にボールはリングの中央を通り抜けることなく、リングの縁に当たり、上に跳ねた。

 ブーッ、とブザーが会場に響いた。

 守り切ったことを確信したのか、目の前の辰巳さんが拳を握りしめた。

 いや、まだだ!勝利を確信するのはまだ早い。


 「決まっれえええー」


 肺の空気を全て吐き出すように絶叫した。

 頼む、神様。

 今まで正月ぐらいにしか手を合わせてなかったけど、これからは時々手を合わすから。お供え物もしっかりするから。

 だから、私たちに勝利を。ボールをリングの中へ!

 ただ真上に跳ねたボールはリングの真ん中へと吸い込まれていった。

 神様が私の願いを聞いてくれたかは分からない。

 しかし、勝利の女神が微笑んだのは私たちだった。

 劇的な展開に「うおー!」と会場全体が沸いた。

 もちろん、私たちも。

 目の前には満面の笑みを浮かべ、両腕を広げる陽菜がいた。迷うこと無く、腕に飛び込む。


 「ねえ、今見てる眺めは前と変らない?」


 耳元で陽菜が聞いてきた。

 どうだろう?


 「違う気もするし、何も変わってないような気もする」


 「そっか……」


 「でも、これがきっかけになるんじゃないかって、そんな予感がするんだ。途中で逃げ出しちゃうような私だけど……これからもよろしくね」


 「うん!こちらこそだよ!」


 いつも見ている陽菜の顔なのになんだかドキッ、てしてしまった。それくらい、今の陽菜の笑顔は魅力的だった。


 「私たちも混ぜろー!」


 おちゃらけるようにリリーが言って、背後から抱きついてきた。

 さらに、静香も宮子も後ろから抱きついてきた。

 いつの間にか輪が出来ていた。

 まるで優勝したかのように喜んでいる私たちを観客は不思議に思うかもしれない。

 たかが一回戦。たったの一勝だ。

 数多ある試合の内の一試合。

 この試合のことを記憶に刻む人はほとんどいないかもしれない。

 けれど、私はこの試合を生涯忘れないだろう。

 最後のシュートが描いた放物線を何回も、何百回も思い出すだろう。

 あの放物線が過去の忌々しい記憶を塗り替えてくれる。そんな気がした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

第三十七話まで読んでいただき本当に有難うございます。

時々、番外編を更新するかもしれませんが本編はここで終わりになります。

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雨と陽だまり あかぎ @akagi12

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