第36話 平凡かつ最高

 最初のオフェンスで陽菜の放ったシュートが外れるのと同時に相手は一気に私たちのゴールに向かって駆け上がってきた。

 速攻⁉さっきまではゆったりとしたペースだったのに――。

 いきなりの展開に反応が遅れた。足が動かない。

 結局、誰も追いつけずに無人のゴールに悠々とレイアップが決まった。

 しまった……。あまりに簡単に決められてしまった。


 「落ち着いて――私たちのペースで取り返そう!」


 陽菜が声を張り上げる。

 ボールを預かり、パスの出しどころを探す。

 しかし、一層激しくなったディフェンスがパスを簡単に出させてくれない――。

 ダムダムとその場でボールをつくだけで、なにもできない。

 やばい……さっき私がしたことを逆にされている!

 最悪なのは私は辰巳さんと違ってシュートが打てない。

 つまり、絶対に誰かにパスを出さなければいけないことだ。

 はやく、はやく、誰かにパスを――。


 「もらった!」


 辰巳さんがそう言ったのと同時に私の手からボールが消えた。

 スティール⁉

 ボールを奪った辰巳さんはそのままゴールに向かって走る。はやい!

 ――追いつけない。ドリブルをしているにも関わらず、ボールを持たない私よりも早いなんて。

 私はレイアップを決める辰巳さんの背中を見ることしか出来なかった。

 シュートがリングに入るのと同時に、ドワッ、と完璧な個人プレーに会場が沸いた。

 大丈夫、まだリードは保っている。

 落ち着いて取り返せば良いだけ――この時はそう思っていた。

 しかし、そこからの数ポゼッション、黒山高校は私たちがシュートを打ち終わるや否や、ゴールをめがけて一直線に襲いかかってきた。

 バスケットというスポーツは常に走り回らなければならない。

 攻撃でも守備でも。

 誰かが手を抜いた瞬間、それはチームが手を抜いたのと同義になる。

 しかし、疲れに襲われた体は思うように動かなくなっていた。

 攻撃から守備への切り替え、相手のシュートへの対応、どれも一歩相手よりも遅くなっていた。

 そんな私たちとは対照的に黒山高校は体力が無くなってきたら、ベンチから続々と新しい選手が出てくる。

 辻裏もこの時間になって出てきた。

 実力よりも速攻が出来る体力の残っている選手を起用する方針のようだ。

 足が止まる私たちをあざ笑うように黒山高校はフリーでシュートを決めていく。

 どんどん点差が縮まっていった。

 十点差あったのが五点差に、五点差から同点に――。

 あっという間にスコアは七十五対七十五の同点になってしまった。

 試合はもう最終局面に入ってきている。この悪い流れをなんとかしなければ……。

 この短時間に十五点も決められたのも問題だが、オフェンスでも僅か五点しか取ることが出来なかった。

 私が攻撃のリズムを作らなきゃきけないのに、上手くいかない。

 いったいどうして――?

 一旦、落ち着いて考えたいが、そんな隙を見せられる余裕はない。

 今も辰巳さんがスティールしようと隙をうかがっている。

 くっ、辰巳さんにボールを奪われないようにするだけで精一杯だ。

 けど、はやくパスを出さないと――。

 視界の端に陽菜が見えた。急いで陽菜に向けてパスを出す。

 しかし、陽菜に向けて一直線に投げられたボールは陽菜の元にたどり着く前に何者かに奪い取られた。

 あっ、とミスに気づいた時にはもう遅い。

 視界の端に辻裏のニヤけ面が見えた。

 追いかけるがとても間に合わない。

 目の前で辻裏がステップを踏んでレイアップシュートを無人のゴールに放る。

 またしても簡単なレイアップでの失点……最悪のミスだ。


 「ナイスパスだったぜ」


 通りすがりに耳元でささやく声に全身がカッと熱くなる。

 一泡吹かせてやりたい。でも、現状を変える方法が分からない。

 歯車がどうして狂っているのかが分からない。

 このままだと、また負けてしまう。分かっているのはそれだけ。

 一体どうしたら……。

 ドンッ、という衝撃が背中に走るのと同時に宮子から声がかけられた。


 「下を向くな!」


 どうやら背中を叩かれたようだ。

 活を入れるつもりだったんだろうが、ちょっと力が強すぎる……。

 しかし、言われたとおり目線をあげてみれば、同じ場所に立っているはずなのに、目に映るのはまるで別の景色のようだった。

 スタンドでは赤城先生が祈るように手を合わせていて、静香の目はまだ闘志がみなぎっている。

 いや、静香だけじゃない。

 リリーも宮子も陽菜も、下を向いてなんかない。

 前だけを――勝利だけを追い求めている。

 私だけだ。私だけが、敗北を考えては縮こまっているのは。

 「日本一のプレーヤーだと思ってプレーして」と昨日陽菜が言っていた言葉を思い出す。

 そうだ、勝利を手に入れるには自信と願望がないといけないんだ。

 負けることを恐れてプレーしても、勝利には繋がらない。

 そんな当たり前のことをこの3年間のうちに忘れてしまっていたらしい。

 卑屈になって縮こまっているうちにだ。

 勝つ!相手が自分より上手かろうと、テンポ良くプレーしていたとしても。

 私には関係ない。

 パッとタイマーを見る。残り時間は一分ほど。

 よし、この一分に全てを出し切る!

 私の全てをこのコートに置いていくんだ!

 私と対峙する辰巳さんには一見すると隙がない。

 パスをしようとしても上手くコースを消されてしまう。

 でも、たった一つだけ、辰巳さんがノーマークになっている選手がいる。

 それは今この場にいる人、会場にいる誰もが想像していないことだろう。

 だからこそ、本来一番の悪手のはずが、今の私にとって最善の手になっている。

 私はその存在に気づいていても、見ない振りをしていた。

 なぜなら、過去を繰り返すのが怖いから……。

 でも、ここで変わらなくっちゃいつ変わるんだ?

 いつ違う景色を見られるんだ。

 覚悟を決めろ!腹をくくれ!

 ダンッ、ダンッとドリブルを刻みながら機会をうかがう。

 まだ、まだ……。


 「涼音ちゃん!」


 私がパスを出せないと思ったのだろう。

 陽菜がパスをもらおうと近づいて来た。

 それに連動して、辰巳さんは陽菜へのパスが出せないよう、体をズラした。

 そう……目の前の私から陽菜へと意識が移った。

 今だ!パスではなく、ゴールに向かってドリブルで突っ込む。

 「しまっ……」後ろから微かに辰巳さんの声がしたような気がした。

 私の意識は全て目の前のリングと手に吸い付くボールに集まっていた。

 まさか私がパスを選択するのではなく、ゴールに突っ込んでくるとは予想外だったのだろう。

 私の進路に障害は何一つなかった。

 リングとの距離が狭まる。

 ステップを踏むと、リングが目と鼻の先に吊されているのが見える。

 入るだろうか……?

 私が打ってもいいのかな……。

 また外してしまうんじゃ――。

 そしたら、またいじめられたり……。

 いつものように誰かが、耳元でささやく。

 その声が聞こえるたびに震えていた。

 いつしか、何もせずに、声が聞こえないようにして生きていた。

 けど……それじゃあダメなんだ。

 過去と向き合えなくてもいい。

 過去から逃げ出してもいい。

 でも、一歩も動かなくなってしまったら永遠に過去にとらわれてしまう。

 過去にとらわれた人生なんて御免だね!

 今日やっと一歩を踏み出すんだ!

 震えそうな手を必死に持ち上げる。

 手から離れたボールは、ふわりと空中を漂いコートに落ちた。

 ――リングをくぐって。


 「おおー!」


 決まった瞬間、静香たちが歓声をあげながら駆け寄ってくる。

 まるで試合に勝利したかのように。

 会場にいる人には陽菜たちがどうしてこんなに叫んでいるのか分からないだろう。

 派手なダンクでもなければ、華麗なアシストでもない。

 平凡なレイアップに過ぎない。

 でも、どんな私の人生のベストゴールは今、間違いなく更新された。

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