第35話 エース登場

 「やっと出てきたか」


 リリーのつぶやきに私たち全員の視線が一人の人物に注がれる。

 ゆっくりとコートに入ってくる姿はまさに威風堂々。

 自分がエースであると言う自負と自信がその姿勢に表れているように見える。

 後半に入ると同時に相手のエース、辰巳さんを引っ張りだせた。

 前半少し出ただけでベンチに下がった時は流石にイラッとしたが、これで少しは溜飲が下がった。


 「ここからが勝負だね!」


 静香が拳を握りしめてみんなを鼓舞した。

 辰巳さんのマークは身長が近しい私がすることになる。

 静香の言うとおり、私にとってはここからが正念場だ。

 しかし、辰巳さんの攻撃を私が止めることができるのだろうか?

 数週間前から、なんども頭の中でシミュレーションしているが辰巳さんの攻撃を防げる未来が想像できない。

 単純な能力で負けているのだから、運動量でそこはカバーするしかない!と、作戦なのか、根性論なのかよく分からない結論に達している。

 それでも明確な差があるのなら……最悪、奥の手を考えてきてはいる。

 一種の賭けになってしまうのであまり使いたくない作戦だが……。

 それにしても、今日は以前と比べてチーム全体の動きが格段に良くなっている。

 合宿でやったことや日々の練習の成果が実を結んだのが前半だった。

 勿論、相手がベストメンバーではなかったこともあるだろうけど……。

 それでも、リードを奪って折り返せたのは良かった。

 僅か三点の差だが、リードしているという事実が与えてくれる安心感もある。

 なにより、前半は私たちが上回っていたという事実が力になる。

 前は辰巳さんに歯がたたなかったが、今日は一矢報いる!

 全ての神経を目の前に立つ辰巳さんに集中させる。

 ボールを持つ辰巳さんの目は一瞬の隙も逃さぬよう絶え間なくコート全体を見渡している。

 パスか、ドリブルか、それともシュートなのか。

 一瞬でも判断を間違えたら得点に繋がるだろう。


 「フッ」


 辰巳さんは微かに息を吐くのと同時に私を抜きさろうと一歩前に踏みこんだ。

 ドリブルだ!そう判断して私が一歩後ろに下がったのと辰巳さんがスリーを打ったのはほぼ同時だった。

 しまった!――。

 一切の迷いもなく放たれたボールは綺麗なアーチ状の弧を描いてゴールを貫いた。フェイント……。前半にあったリードが一瞬で消えた。

 やはり力の差は明白。

 私には――。


 「ドンマイ、ドンマイ。すぐ取り返そう」


 何事も無かったような落ちついた声でリリーが言った。

 そうだ、今自信を失っても仕方ない。

 まだ試合は続いている。それに私一人の勝負じゃないんだ。

 白雪高校の攻撃は常にポイントガードの私から始まるようにセットされている。

 つまり私の判断に攻撃の成功が掛かっている。

 私が弱気になってどうする。

 さて誰に、どうやってパスをしようか……後半に入ってからの黒山高校のディフェンスは隙がなく、フリーの味方をつくりだすことは難しそうだ。

 特に前半に得点を取りまくったリリーにはディフェンスが張り付いて、パスの出しどころがない。

 とてもパスを通せないはず――と誰もが考えるだろう。

 だから――敢えてそこを狙う!


 「宮子!」


 私が敢えてリリーではなく右端に立つ宮子に声をかけた。

 私が宮子にパスを出すと思ったのだろう。

 辰巳さんがボールから宮子に視線を移した。

 今だ!辰巳さんの股下から無理矢理リリーにパスを出す。

 バウンドしながらもボールはゴールに向かって走り込むリリーの元へ。

 そのままリリーがお手本のようなレイアップをゴールに放り込んだ。

 よし!私たちだって攻撃面では負けてない!

 だとしたらディフェンスがこの試合の勝敗を分けることになる。

 みんなもそこは理解しているのだろう。

 いつも以上にディフェンスに気合いが入っていた。

 陽菜が相手にへばりつくようなディフェンスをみせれば、静香が相手のシュートをブロックしたりと前半のリードを溶かすどころかむしろ点差を広げはじめた。

 そして、第三クオーターが終わった時点で気づけば七十対六十と、十点もの差をつくることに成功したのだった。


 「今日の私たち絶好調じゃん!」


 第三クオーターが終わってベンチに戻るや否や陽菜が口をひらいた。


 「うん!このままいけば勝て――ん、ん~」


 「そういうのは今言うな!」


 慌てて宮子が静香の口をふさぐ。

 フラグが立つのは間一髪で阻止された。

 危ない、危ない……。

 陽菜は驚きと喜びが入り交じったような口調で言った。


 「まさか点差を広げられるとはね……勿論願ったり叶ったりの状況なんだけどね!みんな最高のパフォーマンスだよ!」


 リリーも陽菜に同意するように口をひらいた。


 「ああ、良い出来だった。それにしても涼音が相手のエースをしっかり押さえてくれて助かったよ」


 正面から褒められて、こそばゆいような気持ちだ。


 「そんな……私、全然押さえられなかった。たくさん点決められたし……」


 けど、リリーの言葉を額面通りに受け取ることはできない。

 別に謙遜しているわけじゃない。

 実際にさっきのクオーターに取られた点の半分は辰巳さんに取られたのだから。

 このクオーターに点差が開いたのはみんなのおかげだ。

 けど、リリーは強い口調で否定した。


 「辰巳さんに点は決められたけど、涼音がパスコースを切ってくれたおかげで、相手の攻撃はチームとして機能してなかったじゃない」


 「そうなの⁉」


 気づいてたのか……。

 まあ静香は気づいてなかったようだけど。


 「ああ、辰巳さんがボールを持ちすぎてリズムが悪くなってた。気づかなかったの?」


 「確かに、相手のセンター全然ボールに触れてなかったかも……」


 辰巳さんのシュートを完璧に止められないことは分かっていた。

 だから私は辰巳さんを止めることよりも、パスを出させないことを重視してディフェンスをすることにした。

 パスが出てこないとチームメイトは士気が下がり、フラストレーションを溜め始める。

 それを狙ったのだ。

 結果だけ見れば上手くいったが、課程はヒヤヒヤの連続だった。

 パスを意識しすぎてシュートへのチェックが遅れたり、ドリブルで抜かれたりなど、失点に繋がるようなミスも多かった。

 結果が出たのは辰巳さん以外の選手がイライラを隠せず、安易なミスを連発したからだろう。

 けど、これは別の結果、つまり最悪のシナリオになり得る可能性を秘めていた。

 相手がもう少し大人の思考だったら、こんな点差は開かなかっただろう。

 いや、相手にリードを奪われていた可能性の方が高かった。

 分の悪い賭けだったから、あんな作戦は使いたくなかったんだが……辰巳さんを止められない以上仕方がなかった。結果、上手くいって良かった。


 「すごい、そんなことしてたなんて……。涼音ちゃん、ありがとね!」


 静香に褒められて体がむずがゆい。

 私個人としては、あの作戦をとった時点で辰巳さんに負けていたようなものだったんだけどな。

 けど、私が負けてもチームが勝てればそれでいい。

 最後のクオーターが始まる前に、ベンチの前で輪をつくる。

 勝っているからだろう。みんなの顔には笑顔がみえた。


 「最後の一踏ん張りだね!気合いいれてこー!」


 「おー!」


 と叫んだみんなの声は気力に満ちていた。

 ……しかし、後半に入った瞬間にそれは襲ってきた。

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