画面の向こう側の事

リュウ

第1話 画面の向こう側の事

 みんな、気付いていない。

 気付いていない事は、数えきれないほどあるのに……。


「俺は、あっちで生きるよ」

 それが、彼の最後の言葉だった。


<あっち?>

 私は別に気にしなかった。

 ただの言葉の綾だと思っていた。


 久しぶりに出張から帰ってきた彼を昼食に誘った。

 彼は途中入社だが、気が合っていたからだ。

 なぜか、彼には懐かしさを感じていた。

 そう、なぜか気が合う人が居るでしょ。

 親子みたいな、兄弟みたいな、幼馴染みたいな、そんな人。

 彼は、そんな人だった。

「うまくいったのかい?」

 食事を終え、コーヒーを口に運んでいた時に訊いた。

 彼は、私に眼を向けゆっくりとカップを下した。

「なんとかな……うまく切り抜けた。

 お前の方はどうだ。

 サチ……いや早苗さんは残念だった。落ち着いたか?」

 彼の気遣いだった。

 私は、妻を亡くしていた。

 早苗は妻の名前。

 事故だった。

 交通事故。

 ただ、いつもの様に生活していたのに。

 誰にも迷惑もかけていなかったのに。

 ゴミを拾ったり、足の悪い人や眼の不住な人のサポートもすすんでやっていたのに。

 私を元気づける笑顔が素敵な人だったのに。

 私には、そう見えていた。

 そんな彼女は、自分勝手な馬鹿なヤツの車に轢かれた。

 人を殺したのに、反省の色は、爪の先程も見せることが無かった。

 そんなヤツの刑期は、バカみたいに軽かった。

 なんだ、この世界は。

 やったもん勝ちみたいな世界は……。

 

「俺は、あっちで生きるよ。お前も来ないか?……幸枝もいる」

「……何を言っている」

 僕は、手にしていたコーヒーカップから、眼を放し、真っ直ぐに彼の眼を見た。

 彼は、私の言葉に驚き目を丸くした。

「……すまない。そんなに怒るとは思わなかった」と首を軽く振り下を向いた。

「気付いていると思ったんだ」

 そう言って、目を外に向けた。

 いつもと変わらぬ風景、行き交う人たちや車、風になびく街路樹。

「じゃぁ、私は仕事に戻るよ」

 私は席を立った。

 彼は、そのまま外を見続けていた。


 その夜、彼は亡くなった。

 自殺らしい。

 会社からは、彼のことは口止めされていた。

 どのように亡くなったかを知らされなかった。

 なので、私の頭から彼のことは亡くなる前で止まっていて、長期出張していて、帰ってくると思っていた。

 あれから、もう半年もたっていた。

 私の大切な人が居なくなってしまって、やる気が生きる気が気薄になっていた。


 仕事を終え、帰宅すると先ず熱いシャワーを浴びた。

 ストレスをシャワーで洗い流し、バスタオルで髪を拭きながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、居間のソファに腰を下ろす。

 薬を飲み忘れていたので、ビールですきっ腹に流し込んだ。

 ソファに身体が沈んでいく。

 テレビのスイッチを入れ、今日の出来事、ニュースを眺める。

 妻は、いつも隣りで一緒にテレビを観ていたのに、今はいない。

 たまに妻が私にもたれ掛る感触の錯覚を感じる。

 私の頭の間かに妻はいるのだ。

 テレビでは、何かの事故の映像が流れていた。

 今日も世間では、何か起こっているらしい。

 でも、全て四角い画面の中のことだ。

 スマホもそうだ。全て、画面の向こう側のことだ。

 現実かは、分かる訳がない。

 そんな映画みたいな映像を眺めていた。

 

 私は彼の言葉を思い出していた。

「俺は、あっちで生きるよ」彼は、笑って言った。

 何でもないように。

 あれは、どういう意味だったのだろう。

 何処で生きるつもりだったのだろう。

 彼は死んだのだから。


 彼のことで気になったことは、いくつかあった。

 単語が出てこないようだった。私の名前もよく間違えていた。

 歳を取ると良くあることだと思っていた。

 名前を思い出せないことくらい珍しくもないことだと思っていた。


 後は、”夢”の話が多かった。

 事の発端は、私の病気だった。

 大腿部の違和感があった。しびれみたいな症状が気になり病院に行った。

 腰部脊柱管狭窄症と診断され、血行の良くなる薬を処方された。

 それからだった。

 夢を見るようになった。

 夢での感覚を覚えているようになった。

 血行が良くなったのでその影響を思っていた。

 色々な夢を見ていた。

 起きている時の欲求不満や不安を夢が補ってくれているのではと思った。

 夢は、現実には存在しない私の頭の中だけの世界と思っていた。

 彼は、私の夢にも表れていたが、名前が異なっていたようだ。

 それに……”幸枝”だ。

 ”幸枝”は、私の夢の中に居た。

 この名前をいつの間にか、記憶してしまったのだろうか。

 SNSや雑誌や新聞やテレビで、記憶してしまったのだろうか。


 私の夢の中では、私は画家で大好きな人に囲まれていた。

 私は結婚していて、交通事故で亡くなった妻にそっくりな人を見つけていた。

 姿は似ているが名前が違う別人。

 それが、幸枝だった。


 なぜ、彼がその名前を口に出したのだろう。

 なぜ、彼は知っていたのだろうか?

 なぜ、なぜ、なぜだろう……。


 答えを探して、ネットサーフィンし続け、いつの間にか寝てしまった。


 そして、彼に会った。

「やぁ、こっちに来ないか、お前と話がしたいんだ」と私に手招きした。

 私は彼の元に向かう。

 彼は、ソファに座っていた。その横には女性が居た。

「私も貴方に会いたかったわ」

 早苗……?

 早苗は亡くなっているはずだ。

 彼女は、幸枝だ。

 こっちへ来て、座ってと彼女は、僕を見上げた。

 私は、彼女から目を放さずにソファに腰かけた。

「もう、気付いてるだろ」彼は、言葉を掛ける。私は彼に顔を向けた。

「そっちの世界は、君の合わないのは分かっているだろ。

 皆、パラレルワールドで生きている。

 起きている時は、気付いていない。

 それが、現実と思っているからだ。

 何となく、生きにくいと感じていく。

 少しずつ、ある時は膨大な挫折感に襲われたりするものだ。

 そして、ある時、耐えられなくなる。

 そうだな、それは花粉所でも発症するように。

 リミットを超えた時に現れるように。

 

 自分に合った世界で生きていけばいいんだよ。

 パラレルワールドなんだから。

 君は、どっちで生きる?

 方法は、簡単。

 やめたい世界での存在を消すことさ。大げさに考えちゃいけない。

 こっちへ来いよ」

「歓迎するわ。あなたと生きたいの」幸枝も私を見つめた。

 私は、二人を見つめた。

 二人の優し笑顔が私を誘う。

「そうだな……それも悪くはないかな……」私は呟いた。




 目覚ましのアラームを止める。

 熱いシャワーを浴びる。

 コーヒーを入れて、トーストとベーコンエッグ。

 いい香りだ。

 私は、遮光カーテンを開ける。

 いい天気みたいだ。朝日が目に痛い。

 窓を開け、ベランダに出る。

 いい風だ。

 マンションの下を見る。

 いつもの様に駅に向かう人を眺めた。


 部屋のテレビからニュースが流れる。

「今朝、○○のマンションで男が倒れているのが発見されました。

 二十階のベランダから間違って転落したようです」

 レポーターの姿が、マイクを片手に伝えている。


 それは、画面の向こう側の事なのか。

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画面の向こう側の事 リュウ @ryu_labo

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