第10話 エピローグ 🍋


 

 茨木のり子さんの詩への拙感想の変遷は、プロローグに記させていただきました。今回、あらためて主作品を通読してみて、現在の筆者にもっとも響くのは「清談」であり、この一編においては、僭越ながら限りなく同朋である事実を再認識しました。この清廉な詩作品に深甚なる敬意を捧げながらのエピローグとさせていただきます。


 清談をしたくおもいます

 物価 税金のはなし おことわり

 人の悪口 噂もいや

 我が子の報告 逐一もごかんべん

 芸術づいた気障なのも やだし

 受け売りの政談は ふるふるお助け


 日常の暮しからは すっぱり切れて

 ふわり漂うはなし

 生きてることのおもしろさ おかしさ

 哀しさ くだらなさ ひょいと料理して

 たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか


 私もうまくできないので憧れるのです

 求む 清談の相手

 女に限り 年齢を問わず 報酬なし

 当方四十歳 (とし やや サバをよんでいる)          (「 清談」)



      *



 清らかな詩人夫妻を初めとする多数のカップルに代わって付記させていただけば、ひとりで迎えるさいごに孤独という凡庸な表現を使わないで欲しいと切に思います。むしろ、ここまで生き抜いた一所懸命さを天晴れ、格好よかったよと讃えて欲しい。心の奥の大切な部屋に住んでいた魂魄と今度こそ寄り添い本懐を遂げたんだよねと。


 ひとりで迎えるさいごが切ないものであるならば、それは近代思想そのままに骨肉とか身内とかの狭い世間にとらわれた旧弊意識がもたらす残滓の弊害であって、断じて誤っていると筆者は考えます。個人の尊厳を尊重するなら、社会とその原資である国家が責任をもって満ち足りたさいごを確保すべきであると、高らかに宣言します。

                                   [完]


 


 ※参考文献

 後藤正治『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論新社 二〇一四年)

 別冊太陽『茨木のり子 自分の感受性くらい』(平凡社 二〇一九年)

 梯久美子 『この父ありて 娘たちの歳月』(文藝春秋 二〇二二年)

 ほかに多数のネット記事を参考にさせていただきました。




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岸辺の芹/小説・茨木のり子 🌿 上月くるを @kurutan

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