2.肉まん
「バイト、辞めようかと思ったけどやめた」
午後21時に大学を出ると、ミコトが冬の曇り空を見上げながらそう言った。
隣を歩くルジェドの髪は件の事件当時よりも深紅色だ。ミコトの言葉にサングラスを少し下げ、その髪と同じほどに紅い瞳を瞬かせた。
「どうして?オーナーが僕だって知ってから、あんなに辞める気マンマンだったのに」
「別に。メリットデメリットを考えただけだよ。ヤナセさんももう店には来れないから懸念もないし、あんたがオーナーだとしても、店では存在も知らなかったくらい遠い存在だしな」
あの後、ミコトこと『ミミちゃん』を贔屓にしていたヤナセは店を出禁になった。傷害沙汰を起こしたのだから当然だと思うところだが、それ以外にも大きな要因があった。ルジェドの『勤め先』から大層な額の借金をしていたらしい。その借金を抱えたまま、海外に高飛びしようとしていたというのだから、『出禁』で済んだだけマシだろう。
「店に留まってくれるっていうのは嬉しいよ。『トモダチ』が勤め先にいるって、なんだか同じバイトをしているみたいでワクワクするね」
『オーナー』と『バイト』では同じ立場ではないだろう、という反論がミコトの脳裏によぎる。けれどここでツッコミを入れてもルジェドのことだからのらりくらりとかわすのだろう。大きなため息を吐いてから、眉間に皺を寄せてルジェドを睨んだ。
「オレとあんたは大学じゃただの同級生。店ではオーナーとキャストだ。間違っても『トモダチ気分』でいんじゃねーぞ」
ルジェドのことだから『余計な気』を利かせて友達待遇なんてことをしてきそうな気がしていた。その言葉の含みを読み取ったルジェドは、サングラスを正してさらりと答える。
「そこはもちろん。でも、『ミミちゃん』は人気だからね。働きに見合った評価はさせてもらうさ」
「……ん」
ミコトは浅く頷く。厚手のモッズコートには毛玉がちらほらついており、首元のファーの向こうに白い首筋が見える。ルジェドはミコトから感じる『壁』を、どうすれば崩していけるか、常日頃から考えていた。今こうして肩を並べて歩いている間にも、その『糸口』を探っている。
「話は変わるケド。この前話した僕の提案は考えてくれたかな」
「……オレがあんたにメシを食わすって話?」
「そう!『運命の人である君』からもらったものであれば、僕は食せるはずなんだ」
「そういう設定、ね。あんた変わってるなとは思ってたけど、通り越して変人レベルだよ」
「一体いつになったら信じてくれるんだい~?」
軽い口調でそう答えたルジェドが噓泣きをする。電車の遮断機の前で2人の歩く脚が止まり、ルジェドはミコトを覗き込んだ。
「だってあんた吸血鬼っぽくないし。どこの世界に水商売の経営しながら夜間大学通ってる吸血鬼がいるってんだよ」
「こ・こ・に・いま~すっ」
「夜なのに元気だなー」
「夜だから元気なんだよ。僕は吸血鬼だからね」
「ああ、そう」
甲高い遮断機の音があたりに響く。ミコトの対応が普段よりもどこか冷たいのは、心理的に追い詰められた状態であるからだ。
先日無事に家賃の更新料を支払ったばかりで、手元からごっそりと貯金がなくなった。そんなミコトに対してあれやこれやと甘い言葉をかけてくるルジェドに内心頼りそうになるが、『金銭的なやりとり』をしたくなかった。親しげに話しかけてくるこの男との間に金が挟まれば、今までつかず離れずだった距離が、一気に遠くなる気がした。
「にしても今日のミコト、なんか塩っぽいね。おにぎりも塩味だったし、何かあった?」
「……上手いこと言ったつもりか?」
大きく溜息を吐いて、ミコトは真っ直ぐルジェドを見た。
「あんたさ、メリットないだろ。オレの貧乏飯食いたいって、一体何が嬉しいんだ? それで金を渡そうとしてくるとか、見下すのもいい加減にしてくれよ」
ルジェドはミコトからおにぎりを貰う際、かならず金銭で返そうとする。受け取ってもらえないと分かっていても、それは『礼儀』だと思っているからだ。それにミコトの言うとおり、『生活は決して楽ではないだろう』という同情があったのは事実だ。
「見下してないよ。でも、ミコトが本当に食べたいものを普段食べられてないんじゃないかなとは思ってた」
嘘偽りのない言葉に、ミコトは小さく下唇を噛む。
「余計な世話だ。いいか。オレは金に困ってない。だからあんたから金をもらうのは店を通してキャストとしてもらう給与で充分だ。握り飯程度ならこれからも食わせてやってもいいから、もうこれ以上――」
「どうすれば信じてもらえる?」
目前を轟音と共に電車が駆け抜けていく。気付いた時には、ルジェドとミコトの距離がほぼなくなっていた。
「どうすれば、って……」
「本当に、ミコトから貰ったものしか食べられないんだ。僕は吸血鬼で、ミコトは唯一の『運命の人』だから」
ミコトの両肩にルジェドの大きな手が添えられている。サングラスを外し見つめる視線は誠実で、いつもの『嘘を言わない』ルジェドのものだ。
「なんなら吸血鬼であることを証明するために、昼間に会う約束をしようか。正直みっともない姿になるから、できれば避けたいけど。……もしくはこの前みたいに、怪我をしてすぐに治す様を見せれば信じる?」
そう言い、ルジェドはちらりと走り去っていく電車を見やる。こいつならやりかねんと直感したミコトは、肩にある手を力強く掴んだ。
「アホ抜かすな! てめー傷つけてまで証明するって……反社かよ」
「僕は反社じゃないって言ってるじゃん~」
電車が通り過ぎ、踏切が上がる。自分たち以外に通行人はいない。人気がなかったことも後押しとなり、ミコトは腹をくくった。
「正直言う。オレからすればあんたが吸血鬼かタダの厨二病なのかは、どうでもいいことなんだ。だから、そこは問題じゃなくて……ただ」
「ただ?」
「……もっと、気楽なもので返してくんねえかな」
そう言い、ミコトは踏切の向こうにあるコンビニを指さした。
「これが巷で噂のホットスナック……!!」
線路を渡りすぐのところにあるコンビニに2人は入った。暖かな店内でルジェドは目を輝かせながらレジ横のホットスナックコーナーにいる。
「普段用事があって入ることはあるが。何も買わないのにずっと眺めてるのも迷惑だろう? だからこんなにじっくりと見ることができて嬉しいよ!」
底抜けに無邪気なルジェドの笑顔に、ミコトは肩の力が抜ける。これは本当に普段から憧れていたものを見た時の表情だ、とどこか腑に落ちた。
「で、ミコトは何が食したいのだい?」
「え、オレ? ええと……」
レジ横のホットスナックコーナーをちらりと見る。ルジェドが興奮しているのはフライ系の棚だったが、ミコトの目に留まったのは中華まんコーナーだった。
「肉まん、かな」
「それは素晴らしい!! 大賛成だ、そうしよう!」
食い気味のルジェドに推されるがまま、蒸気に満ちたガラスケースの向こうで仲良く並ぶ特製肉まんをふたつ注文した。会計時、ルジェドがコインケースから500円玉を取り出す。それは先ほどミコトが塩おにぎりを振舞った際差し出されたもので。ミコトはその『金』が『物』に変わる瞬間に、後ろめたさを感じながらもどこかほっとしていた。
「……で、だ。これをどうすればいい?」
ミコトは店員から受け取ったコンビニ袋を掲げる。ルジェドが頑なに受け取ろうとしないから、空気を読んで受け取ったのはミコトだった。
「試しに、僕に渡してみてくれないか」
「本当に意味あんのかね。はいよ」
袋から肉まんを取り出し、ルジェドに渡す。包みを受け取ったルジェドは、普段よりも幼い声を挙げた。
「あつっ、思ってたより重たいんだね。見た目がフカフカしてるから、雲みたいに軽いんだと思っていたよ」
「中身は『肉』だから当たり前だろ。……いや、軽い肉まんもあるけど」
今手元にあるのはハイクオリティタイプの肉まんだ。一緒に並んでいた中華まんの中でも最も高い値段のものだ。ミコトもその重量感に小さく唾をのむ。このしっかりとした肉まんを食べるのは、ずいぶんと久しくなる。
「ああ、そうだ。奢ってくれてサンキュ」
「お安い御用さ。さて、では温かいうちに早速……いただきます」
包みを開き、湯気の上がる中華まんを見つめるルジェド。その目は未知の体験に対して不安を感じているようにも、期待を抱いているようにも見えた。
「っん……」
覚悟を決め、白い肉まんにかぶりつく。薄皮にぷつりと牙が突き刺さる感触は人の肌に触れる時と同じ感覚だと、ルジェドの記憶が呼び起こされる。けれど次にやってきた、白米に似ている甘い風味と、今までに覚えたことのない柔らかな舌触り。そして重厚な『肉』の風味は、ルジェドに新たな扉を開いた。
「食べ、られる……味が分かるぞ!!」
口の端に餡をつけたルジェドが、高揚した様子でミコトに言い放つ。きらきらした紅い瞳に、ミコトは昔母が着けていたガーネットの首飾りを思い出した。
「あ、ああ……。うん、良かったな」
「肉まんっておにぎりと全然違う味がするんだね! 驚いたよ!」
「あんた、それは……っはは。全然違う食いもんだろーが」
寒空の下、ふたりは約束を交わした。
ミコトは手料理をルジェドに振る舞い、そのお返しとしてルジェドはミコトに夕食を奢る。そして頻度は必ず『交互』になるように。
下校時に双方の腹を満たし、それぞれの『矜持と欲求』にフィットしたその約束は、確かにふたりが一歩ずつ歩み寄れたものだった。
放課後21時、吸血鬼とメシを食う 鍵束 明 @KAGITSUKA_mei
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