つみ

根耒芽我

つみ

そういえば、

あの女がウチの部署に来て間もなく

世間話でこんなことを言っていた。


「将棋って、世の中のゲームの中で一番、

日本人らしさがよく出ているって話を聞いたことがあるんです」


年も私とそう変わらない。

学歴だってなんなら私より下だ。

職歴に至っては畑違いの金融関係の事務をしていたとかいう、専業主婦上がりの時短パートの女だ。


契約社員とはいえ、システムエンジニアとして長年勤めあげた私と一緒にしないでほしい。

そうは言っても、私だってその契約が切れ、次の仕事になかなかつながらずに仕方なく、派遣会社の勧誘と即着任という勧誘に負けて応じた仕事なのだけれど。


私自身はいずれ、こんな低賃金の小間使い程度の雑務しか与えられない職場ではなく、またエンジニアとして働くことを目指しているのだから、本来こんな誰にでもできるような仕事をあれこれ言いつけられるような立場ではないはず。


「えぇ?将棋興味あるのぉ?いいよねぇ。将棋」

「あ。でも、あんまりよくはわからないんですよ。詰み、とか。将棋って解説とかもされてますけど、何を言っているのかわからなかったりして…だから、雰囲気しか知らないんですけれどね。頭のいい人がやるゲーム。ってイメージです」

「日本人らしさってどういうことなんですか?」


なのに、

上司や若手社員含めて、彼女の周りに人が集まって雑談に花が咲いている。


決して美人なわけでもない。

決して頭がいいわけでもない。

決して仕事ができるわけでもない。


そう。

彼女は決して、仕事ができるわけでもないのに。だ。


「将棋って、どうなったらゲームが終わるんでしたっけ?」

彼女は将棋に興味があるのか?と聞いてきた上司に問いかける。

「あぁ。…王手刺された相手が、もう逃げ道がない。と観念したところで『投了とうりょう』するんだよ。それでおしまいになるよ。」

「えぇ。ぎょくを取らないんですよね?」

「そうだねぇ。…あー。…うん。」

上司はにやりと笑う。

「え?どういうことですか?」

取り巻きがわくわく。といった表情で答えを促す。


「つまり、自分が負けた空気を読んで『まいりました』って宣言することがゲームの終了になるんです。サッカーのような得点による明確な判断や、王様を文字通り取ったほうが勝ち。とか、明確な『基準』を取らない。というのが、日本人らしい。と」

「まぁ、将棋に限らないけどねぇ、そういう終わり方のゲーム」

上司は苦笑いを浮かべながら知識を滑り込ませてくる。


「確かにそうですね。」

彼女はそう言って笑った。



上司の無茶ぶりのようなろくでもない雑談にも、いっちょかみしてくる彼女は、無駄な話の多い上司に気に入られている。


上司に限らない。

いろんな人が何気なく発した言葉にいち早く反応して、自分の持つ知識を披露して見せる。「浅い知識ですが」といいながら。

でも周囲の人間はそれに乗っかる。

それは彼女がまだ新参者だからだ。気を使ってのことだ。

それを知ってか知らずか、彼女はいつもニコニコとして対応している。


彼女に対して周囲が気遣ってやっていることなのに、彼女自身はそれが当然のことと思っているのだ、どうせ。


思いあがっている、としか思えない。


分をわきまえろ、と言いたい。

どうせろくな仕事も言いつけられていないくせに。

ただの小間使い程度の働きしかできないくせに。

「皆さんのお役に立ちたいです」とかいいながら、

あんたのやってる仕事なんか、いつでも誰にでも替えの効く仕事ばかりじゃないか。


それで大きな顔をされたところで、正社員の人間だって気持ちがいいわけがない。


郵便物の配布だって、本当はあの女の仕事になるはずだったのに、

未だに私が対応しなければならない。


どうしていつまでも私が、

あんな身にもならない雑務に時間を費やさなければならないのか。


私は、そんな仕事をしに来たんじゃない。

そんな雑用は、主婦の片手間に小遣い稼ぎに来ているあの女みたいなやつが引き受ければいいんだ。私のやることじゃない。


なのにあの女はたまにしかその仕事をやらない。

そもそも在宅勤務ばかりで出社してこないのだ。

私は出社しなければできない仕事が多いから仕方なく出てきているのに。


「郵便物の配布は、出社したときだけでいいですよ。と言われているので、私が出社した日は配布作業いたしますね」

と、にこやかに言ったが、誰に言われたのかと聞いたら上司からだという。


そもそも、出社しなければならないのだって、クソ会社がいつまでたっても紙ベースの仕事から抜け出さないでいるから、その紙の情報をデータとして吸い上げるための作業を手でやらなければならないからだ。

そんな単純作業を延々とやらなければならない状況こそ、本当に腹立たしい。

私の能力が生かされていない。


私の能力を生かせる仕事をもっと任せてくれたらいいのに。

あの女がやっているであろう仕事の中に、そういう仕事がある。

なのになぜか、あの女が入ってきて私はこっちの仕事に専念させられることになった。どうして?と思ったが、派遣されてここで働いている以上、文句を言ったらクビになるリスクも同時に背負わなければならない。


まだこれからお金のかかる子どもがいるのに、微々たるものとは言え収入が途絶えるのは困る。


そう、

だからこんなところに甘んじているのだ。


私の意志じゃない。



そんな中、

朝礼でそれは起こった。



この職場は、週に一度朝礼を行う。

その日が職場全体の出社日となっており、部署のほぼ全員が一堂にそろう。

そこでどうでもいい内容のスピーチを立ったまま聞く。という、無駄な時間が費やされるのだ。


社員はそれを甘んじて受け入れた後に、自身の仕事を始める。


今日もそうなるはずだった。


「おはようございます」

彼女は大きくはないながらも、よく通る声ではっきりとあいさつの言葉を告げた。

今日のスピーチはあの女だった。

正社員ならいざ知らず、なぜ派遣社員までそんなことをしなければいけないのか…というか、嬉々としてそんなスピーチに応じる女の気が知れない。


「実は、本日で私がこちらにお世話になり始めてから3カ月が経ちました。皆様には非常によくしていただき、また業務につきましても様々にサポートを頂きまして、本当にありがたく思っております。」

そこそこ人数がいる所内に広く目を配りながら女は話を続ける。


「3か月間は試用期間ということでしたが、先日、派遣会社のほうから契約の更新のお知らせを頂きまして、引き続きこちらの皆様と一緒にお仕事ができます事、本当にうれしいです。この場をお借りしまして御礼申し上げます。また、引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

深く頭を下げ、それで話は終わりかと思った。


「で。この機に一点、私の方から、ご連絡を申し上げたいと思っております」

少し、空気が変わった。


「私は前職が金融機関だったこともありまして、各種経費の扱いですとか、金融処理といった分野については知見がございます。その旨は派遣元の方にもお伝えし、こちらにはその経験を買っていただいて就業できていると理解しております。


ところが、私がこちらに就業して最初の日から

私が多言語に堪能である。という話があったそうで。困惑しておりました」


海外企業のとの取引が多いこの会社は、英語をはじめとした多言語を習得している人間が重宝される。


「私は、言語能力を求める求人に応募した覚えはなく、初日からそれを問われていたので困惑しながら事情をお話いたしました。…どうやら、派遣元とこちらとの間に私の就業内容に齟齬があったそうです。

ですが、上司の方とその旨お話をいたしまして、上司の方も『そう頻繁に言語能力を必要とする仕事は発生しないし、そう言った仕事があったとしても翻訳ソフト使ってもらって構わないから』ということで、合意をさせていただきました。」


嘘をつけ。

と思う。


この会社から派遣に求められる能力は英語をはじめとした日本語以外の言語が堪能であることだ。私はそれを種に散々、「あなたは英語もできないからねぇ」となじられながら働いてきた。…派遣元が交渉して「言語が不得手ということでもいいから、とにかく事務作業に長けている人材なら」ということで紹介されたはずなのに、それでもそうやってなじられる。


なのにこの女は「そんなこと聞かれもしなかった」とうそぶく。

最初からそうだった。そんなはずはない。


「とはいえ。なぜか私が入社する前から、こちらの部署の方々には『中国語が堪能な方が来る』という触れ込みがあったようですし、何かのタイミングでそう言った経緯はご説明しないと、皆さま納得がいかないだろうと思いまして、本日ご報告させていただきました次第です。」


なぜか。

ちらりと女がこちらを見たような気がした。


「つきましては、皆さまには言語の面でご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、私にできることは全力でお手伝いさせていただきたいと思いますので、引き続きよろしくおねがいいたします。なお」

そして女は一枚の紙を取り出した。


「こちらに、私が就業前の面接の際に派遣元から手渡された就業条件に関する書類をご用意しておりますので、私の経歴詐称をご心配される方はぜひ、こちらをご覧いただければと思います。派遣元に問い合わせいただいても大丈夫ですので、よろしくお願いいたします。」


「いやいや。そんな経歴詐称なんて疑わないよ~。それに、僕はあなたの将来性を見込んで採用したので、言語能力だけで判断するつもりもなかったよ~。…フライングと思い込みでみんなに『中国語できる人来てくれた~』って宣伝しちゃったのは悪かったけどさぁ」

紙を掲げた女に歩み寄りながら、上司がフォローする。


そこでクスクスと笑いが起こり、結局朝礼はそれで終わってしまった。





茶番だ。

あの上司は、なんであんなにあの女をひいきするんだろう。


だって、あの女の就業条件にそう書いてあったじゃないか。

多言語による海外送付書類の作成って。

上司が無造作に机の上に置き去りにしていた就業条件明示書。アレには私の時給より高い金額が記載されていた。


それができるから、あの女は私より時給が高いんじゃなかったのか?

私は英語すらできない人間だから、低賃金で雇われているんじゃなかったのか?

結局あの女だって私と変わらないじゃないか。

じゃあ、あの女だって私と同じ時給じゃなければおかしいじゃないか。


なんなんだ。

この不公平さは。



イライラとした気分が全く晴れず、取り掛かった仕事を一度中断してお手洗いに行く。



それから、休憩室に行って自販機でコーヒーを買う。

それを片手に部署に続く廊下に出た時だった。


「で?誰に経歴詐称疑われたの?」

男の声がする。

内容が内容だけに、廊下の陰で一度歩みを止めて聞き耳を立てる。

「いえ。明確に経歴詐称と言われたわけではないですよ?」

あの女の声だ。…誰と話しているんだろう?

「じゃあ、なんで朝礼でわざわざ採用時の就業条件の書類なんて披露したんだい?」

男は詰問という雰囲気ではなく。

むしろ何か楽しい話を聞かせてもらいたいというような感じで話を続けている。


「人間って、興味もなく、利害関係もなく、自分にとって影響はない。と思えることには、驚くほど無関心なんですよね」

女は答えになっていない返答をする。

「…」

「派遣元と齟齬があっても、依頼内容全体にとって大きな損失ではない。言語能力の欠如ぐらいなら、無視できる。問題にならない。ということのようですよね。こちらの部署は。私にとってはありがたいことですが」

「あなたはあの気難しい上司さんとうまくやってくださってますからねぇ。機嫌がいいんですよ。あなたが来てくれてから。それに、この部署の方々からの評判がすこぶるいいんですよ。どんな作業をお願いしても、ニコニコとして請け負ってくれて気持ちがいいとか、報告も相談もきちんとしてくれて信頼性があるってね。中国語ができない以上の…いや、補って余りある価値がある。という評価ですよ。」

「そう言っていただけて何よりです。私もこちらで就業させていただいてて、とてもいい方々に恵まれていると感じてます」

「じゃあ、あんなことをわざわざする必要はなかったんじゃない?」


「うふふ。」

女はそれに答えなかったようだ。

気味が悪かった。




そして、昼時。


出社のときにはあの女がランチを誘いに来る。

今日もそうだ。

表面は笑顔でそれに受け答えながら、腹の中でクソ女とランチなんか食べても何も美味しくないと思う。


とりあえず、世間話で取り繕う。


お互いが軽めの食事を食べ終わったころに、女が言った。


「今日の朝礼で、皆さんの前で私の就業の経緯をきちんと説明できてよかったです」

「あぁ。…あれね」

「私、ネズミ算で考えるんですよ」

テーブルに片肘をつき、頬をその上に載せただらしない姿勢で彼女がつぶやく。

「え?…なぁに?」

「ネズミ算。…一匹いたら十匹いると思えって」

意味が分からない。


「自分の居心地をよくするためにも、身の潔白ははっきり訴えておこうと思いまして」

どこが潔白だ。書類なんて、うまく取り繕おうと思えばいくらでも…


「派遣元にも今回の件は報告してありまして、私の身分はきちんと派遣元が保証してくれるとの回答をもらってありますし」

そんなことまでする?…迷惑派遣社員じゃない。それ。


「でもまぁ。こちらの正社員さんは自分の職務に直接関係ないことには無関心な方が大半だったようなので、むしろ逆に『なんで改めて説明したんだろう?』なんて思う方もいたようですけれど」

そして、女はにっこりと私に笑いかけてきた。


「そうじゃない人は、違うんですよねぇ」

「…え?」

「時給って、誰が決めてると思います?」

「急に何?」

女の笑顔が怖い。


「あれ、就業先は関係ないんですよ。就業内容に見合った時給を派遣元が決めて、私たちに支払いをしているんです。そして、私の就業条件の時給は応募時から一円も変わっていない」

「何が言いたいの?」

「あなたと私の時給を決めているのは派遣元であって、それを私に訴えたところで何も変わらないということですよ。あなたと私の時給に差がついていたとしてもです」

「…あんたが中国語もできるとでも何とでも言って、自分をいいように見せて時給を上げさせたんでしょう?」

「言いがかりですねぇ。あ。スマホで録音してるんで気を付けてください。」

「はぁ?」

「いいましたでしょう?求人に応募したときから時給は一円も変わっていないって。入社してから今日まで、時折いろいろとチクチク言ってくれてましたけれど。最初は言語能力がないのにそれを求められている私を心配してくれてるのかとも思っていたんです。でも、そろそろ気がつきますよ。老婆心のアドバイスにしては棘があるなぁって…まだ疑うんでしたら、派遣元にお問い合わせください。朝礼の時にも申し上げましたけど」

「じゃあなんで私よりあんたの方が時給高いのよ?」

「どうしてそんなことを知っているんですか?」

…。

「派遣元は、派遣社員同士のトラブルを防ぐために、お互いの就業条件の、とくに時給の部分に関しては情報をなるべく伏せるように行動します。特に、私たちの派遣元は最大手ですから、そういった情報管理に関しては徹底しています。…だからね」

女は少し姿勢を崩して、私を下から見上げるような目線を投げてきた。


「おかしいんですよ。私の時給をあなたが知っていること自体が」


何も答えない私にかまわず、女は続ける。


「私がこちらで優遇されているとでも思っているようですが、私が何か仕向けた結果。というわけではございません。私はただ、仕事がしたいだけなので。でもまぁ、やっぱり恵まれてますかねぇ?皆さんに良くしていただけていると本当に思っておりますので」

「そうよ。あなたはずるい。私より後から入ってきて、私より優遇されて」

「あはは、すごい。ずるい。って単語を言う大人、本当にいるんですね」


そして女は立ち上がる。


「言いたいことがあるなら、派遣元に訴えればいいことです。あなたの訴えは正当に受け止められるべき事象でしょう?でも、それでも私にいらんこと言い続けるのだとしたら…私も派遣元に訴えますよ?正当に受け止められるべき事象が発生しているので」

そして女はスマホを取り出した。


「ピッ」

ほんとうに、音声を録っていたらしい。


「でも私は別に、あなたと一緒に仕事がしたくないわけじゃないんです。あなたの能力の高さは私が知っています。引き継いだ資料はどれもわかりやすく、高度な技術を使って構成された集計ファイルとなっておりましたので、私ごときでもあなたが仕事ができる方だということはよくわかります。…だから、もったいないんですよね。」


座っていた椅子を元に戻しながら、女は続ける。


「まぁ。今後も仲良くしましょうよ。少なくとも私はそのつもりです。」


そしてまだ座り続けている私の肩越しに言葉を投げてから、女は去って行った。




「つみ」




え?


なに?


どういうこ…








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