奥滝川キャンプ場 後編
タカナシが持つ懐中電灯がリナの歩く少し先の地面を照らしている。
モガワの言っていたとおり、藪のような場所を通ることになった。
少しずつ懐中電灯の光の輪が遠くなっていく。ふと気が付くと見失ってしまった。
「タカナシさん?」
少し前を歩いていたはずのタカナシも懐中電灯の光も見当たらない。
周囲は藪と太い木々でどちらから来たのかもわからない闇に包まれている。
「タカナシさんっ」
--どうしよう。あ、スマホのライト。
リナはポケットから取り出したスマホを操作してライトを点けた。
「リナさん?」
かなり前の方から懐中電灯の光でリナは照らされた。
スマホのライトにタカナシの心配そうな顔が浮かび上がる。
「すいません、つい自分の足元に集中してしまって。心細かったでしょう?」
タカナシが手をつなぎましょう、と言わんばかりに手を差し伸べてくる。
リナがそっと手をとるとタカナシの細く長い指がひんやりとリナの手を包み込む。
「これで迷子になりませんね」
タカナシの声に嬉しそうな響きがあるような気がしたのは気のせいだろうか? リナは久しぶりに自分の心拍音が耳のすぐそばで聞こえているような気がした。
長くあるいたような、あっという間だったような時間が過ぎて不意に開けた場所に出た。キャンプ場の
星明りの下、一つだけ人影が立っている。
「あ、思ったより早かったね」
嬉しそうな声でモガワが言った。リナの視界の上下が逆さまになる。そのまま後頭部と背中を強打していた。空中に投げ出された足首を誰かが掴み、ためらわずに可動域以上に捻られた。右足、左足、と激痛が走る。
「ぎゃあっい、痛いっ!」
「やかましい」
リナの首が締め上げられる。気道が閉まり、リナの目尻に涙がたまっていく。
--なんで? どうしてこんな目に遭うわけ? 意味わかんないんだけど?
視界が暗くなっていく。気絶する寸前に首が自由になり、酸素を求めて烈しく咳き込む。
「我ら真理を求めるなり、我らの呼びかけに応えよ」
地面にうつ伏せになったリナは両肘で上半身を起こして声の主を見た。タカナシが立っている。
--と、いうことは、後ろにいるのは
リナが振り返ろうとすると背中に誰かに馬乗りになられ、地面に倒れこむ。首には腕が回されてがっちりとホールドされている。大声をだそうとしても顎を動かすことすらできない。
「生母との契約の元、我ら贄を捧げん」
モガワの声がリナの頭上からタカナシの声に続けて響く。
何かを切り裂く音と押し殺された悲鳴がタカナシの足元から発せられる。
薄明りに慣れてきたリナの目にはタカナシが地面から何か柔らかいものを掴み上げるのを見た。反対側の地上付近からも同様に切り裂く音と悲鳴のような音がした。
--何、なんなの? っていうか、ケントとトビトは何処よ?
液体の染み渡った物を掴み上げるような音がした。
タカナシの背の高い影が何かを口へ運ぶ。一口、二口。
「呼び起されし者よ、贄を我らと分け合いたまえ」
タカナシがリナの方へ歩み寄ってくる。目の前で立ち止まる。
--何、今度は何されるの? っていうか足痛いんですけど
タカナシが
リナの頭上で咀嚼音がした。一度、二度。
「呼び出されし者よ、生母との契約を結びたまえ」
不意にリナの顎が無理矢理こじ開けられた。タカナシが口内に柔らかいものを詰め込む。血の味しかしないが舌触りからして何かの生肉だ。
顎が無理に閉じられる。口の中に詰め込まれた柔らかい血まみれの肉で息が詰まりそうになりながらリナは抗議しようとして声を上げた。
「んーっんーっ」
「契約の者よ、贄の首を捧げる我らに真理を示したまえ」
先ほどの位置に戻ったタカナシが呪文のように唱える。すぐ横にある地面からアンデスメロン程度の大きさの球体を取り上げた。少し先の青い台の上に置き、もう一つを取り上げる。
そう、口の部分に分厚いガムテープが貼られている。怖かったであろう、痛かったであろう、その両目は見開かれ涙の跡が光を反射していた。
もう一つ、よく似た球体が傍らに置かれる。ガムテープが貼られているところも、頭の形も目元もおでこの形もそっくりな双子たちのなれの果て。
では、この口の中にある生肉は何の肉だ?
嫌な予感がする。
タカナシの左右の地面に横たわるであろう『何か』を確かめなくてはいけない。
--チャンスは一度しかないかもしれない。
リナは握ったままだったスマホを強く握った。背後のモガワはまだリナの顎を開けないように押さえつけている。両足首はジンジン痛い。絶対に腫れ上がっている。
「見ろ、モガワ! 僕たちは『契約者』を呼び出したぞ!」
「タカナジッ」
リナは背後のモガワが「な」の音を発する時に合わせて思い切り後頭部をモガワの顎へぶつけた。モガワの両手が緩む。
口の中から生肉を吐き出す。
リナは両腕と両脚で這うようにしてモガワの下から抜け出した。むき出しの腕に茂った熊笹が切り付けてくる。
タカナシの両側にあるものを確認しなくてはいけない。
駆け寄ろうとして両足首の痛みに悲鳴を上げて倒れこんだ。
それでも地面に横たわった首のない人形のような身体が二つ見えた。腹部を切り開かれたケントとトビトだ。
--あの子たちの首をくっつけなくちゃ
タカナシの笑い声が聞こえる。
「もう母は用済みだ、モガワ、好きにしていい」
--用済みって誰? アタシ? だから意味わかンないんだけど
モガワが立ち上がった気配があった。
リナが振り向くより早くモガワの組んだ両手がリナの頭に振り下ろされる。一瞬意識が飛びそうになったが次の打撃が来る前に両足を振り回した。偶然モガワの側頭部に足が当たり、モガワが沈む。
足首がひどく痛んだ。
涙が滲むがタカナシの足音で我に返る。逃げるか、戦うか。ハリウッドのヒロインじゃあるまいし、リナに格闘技の心得はない。リナは這ったまま藪の中へ逃げようとした。
スマホを握った手が思い切り踏みつけられる。スマホが割れたような音がした。そのまま足に力が込められ、踏みにじられる。
吠えるような悲鳴を上げたその顔をタカナシの靴が真横へ蹴り抜く。
足を追いかけるようにして仰け反りながらリナの口に血の味が広がり、硬い石のようなものが口の中から飛び出していく。
リナは意識が遠くなっていくのを感じた。倒れこんでいく地面が遠い。
--あ、スマホ持ってないアタシ
蹴られた時にスマホを手放してしまったようだ。
目を開けると身体中が痛かった。
空はもう明るくなっている。
視界は熊笹でかなりさえぎられている。どこからか川の流れる音も聞こえてくる。可愛らしい声でさえずる鳥もいるようだ。
--アタシ、生きてる。助かったんだ。
「ああ」
思わず声が出て涙が溢れてくる。
リナはここがどの辺りかわかるかもしれないと手をついて上体を起こそうとした。腕は動くが、左手は赤く腫れあがり、動かそうとしただけで痛む。腕には多数の切り傷が見られた。
自分は斜面の途中に引っかかっていたらしい。上を見ると少し崖になっていた。
--アタシあそこから落ちたのかな。
両足も痛む。
そっと足を見ると足首が赤く腫れあがり、サンダルの紐が足の甲に食い込んでいた。
なんとか動かせる右手で顔に触ると蹴られた側の頬と顎が腫れ上がり、乾いた血が顎を覆っていた。
--帰らないと。ケントとトビトが待ってるし。
星明りで見たガムテープを貼られた二つの頭と腹部を裂かれた小さな身体がフラッシュバックしてくる。
「ケントぉ……トビトぉ……」
リナはうめくようにして愛しい子供たちの名を呼んだ。少し動かしただけなのに頬が痛み、腫れ上がった顎は大きく開けることができない。
--アタシ、ここで飢えて死ぬのかな。マサト、探しに来てくれるかな?
この藪の中では誰にも見つけてもらえない、とリナは斜面を降り始めた。両足首から先は痛くて力が入れられない。両腕と両膝を使って休み休み進んでいく。
藪を根元から掻き分けて進んでいた。
崖の上からは藪の一部が揺れ動いているのが見えている。
空気を裂く音がした。
リナには藪をかき分ける音で聞こえなかった。
ボウガンの矢がリナの背中から肺を通って胸から突き出す。更にもう一本、心臓を貫いて矢が刺さる。
「動かなきゃ良かったのにね? タカナシ」
「助かったと思ったんだろ」
崖の上、つまり少し高い位置から見ていたタカナシとモガワは軽蔑したように笑うと引き揚げて行った。
【奥滝川キャンプ場神隠し事件】
平成の終わり頃、K県にある奥滝川キャンプ場で幼い子供2人を含む4人家族が一晩で消え去った事件。
友人・親族に1泊のキャンプに行くと言って出かけていたが、次の日の夕方、キャンプ場の管理人男性により衣類・椅子などを残したまま居なくなっていることが発見された。駐車場にはこの家族の父親Aさん名義の乗用車が停められたままになっていた。
警察は事件・事故の両面から調べを進めたが未だに詳細は不明である。
【令和☓年 追記】
後日、家族の所有していたテントとキャンプ用品の大部分は「新品同様だったため」同キャンプ場管理人Bにより中古品買取店に売却されていたことが判明。Bは解雇されたがその後、管理会社はキャンプ場を売却した。現在キャンプ場は別管理会社の運営となっている。
【FileNo. 0001】奥滝川キャンプ場神隠し事件 @HoldTabDownTurn
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