幕間5 子爵令嬢の罪

「奥様、ローザリア様が心配なのはわかりますが、お食事を減らされては、お身体に障ります」


 食べる手を止めてしまったエッタを心配して、夫人付きの侍女サーラが声をかけた。

 普段は食事中に侍女から声を掛けることなどない。だからこれは私が帰省中に何度もあったことなんだろう。


「母上、ロゼは放っておいても病気などしないような頑丈な妹です。護衛が付いて特別な報告がないのであれば、問題などないのでしょう」

「そうです。姉様はきっとお母様よりもずっと元気に過ごしていると思いますわ。体力だけ……頭もありますから、今頃は護衛と一緒に商売でもしているんじゃないかしら?」

「お母様……ロゼ姉様はいつ帰って来るの……?」


 今日の夕食は四人。当主様は王都から呼び出しがあって、暫く戻ってこられません。今はエッタが館の主ですが、子供達に心配を掛けるのは良くありませんね。今日のお世話は頑張ります!

 エッタは子供達に微笑みかけ、「ありがとう」と優しく言って、スプーンに残ったスープを飲み干した。


 私が屋敷に戻ったのは昨日、エッタの様子はどこか心配そうにしてる使用人達に聞けば簡単に教えてくれた。

 この五日ほど、エッタは食を摂る手を止めてしまっているそう。それは英雄様の情報が止まったのと同じ頃ね。

 予定通りであれば、本日か明日には町に戻るはずなので情報が更新されることになっているのだけど――どうして近くにいた私よりも先に知ってるのかしら?

 私も英雄様のおかげで、カトリーナから手紙が来るようになった。その四日前に届いた手紙を読み返して、エッタの心配はきっとこれだろうと推測した。

 そして、今夜は久々の報告会。いろいろ話したいことがあるんですよね。うふふふ。



「レナータ・モンパルナス子爵令嬢! 言い訳があるなら今ここで全て吐き出しなさい」

「えっ!? ちょ、ちょっと、エッタ! なんで夫人モードなの?」

「あなたには情報漏洩の疑いがかかっています。よりにもよって、あの方と……食事だなんて……うぅ……」


 あ……やっば……本当に涙浮かべてるじゃない。

 ウッキウキで報告するつもりだったけど、良く考えたら、これって枯れ草で火遊びしてるのと同じことよね……

 まずったわ……昨日到着して、すぐに会いに行けば良かったー


「報告が遅くなってごめんなさい。英雄様に会ったのは本当に偶然なの。私から会いに行ったわけじゃないわ。でも会ったのは事実。お嬢様のことをとっても賢いって褒めてたわよ」

「……レナータ、あの方と会って、どう思ったかしら?」


 なるほど、気になってたのはそっちね。素直じゃないんだから。ローザリアお嬢様も預かってもらっているんだし、なにより自分で会いたがっていたものね。


「とっても良い方だと思ったわ。からかうとちょっと照れたりむくれたり、歳上の英雄様だと思えないぐらい可愛かったわね。英雄様って呼ばれるのがくすぐったいんですって。そうそう、それにとっても親切なの。カトリーナにどう話そうか悩んでいたら、間に入ってくれて、おかげで気軽に話せたわ。でもね、私がバートランド坊っちゃんと遊んでいて花瓶を割ったこと、言わなくても良かったんじゃないかしら。もうリヴェル様の前で赤面してしまったわ。そんな話が出たのもリヴェル様がカトリーナの事を聞きたいって言ったからなのよ。付き合ってるって言ってもまだ全然自分の事を話せてないのね。でもそんなあの子のこと、リヴェル様は無理に聞き出そうとしないの。もう焦れったい。それにあの子の告白がすごく……羨ましくってちょっと嫉妬しちゃった。それからリヴェル様からプレゼントされたイヤリングを見せてきて、ドレスもリヴェル様の色を使ってたのよ。気にするなって方が無理じゃない。そのドレスをリヴェル様ったら、色が濃すぎるんじゃないかって言ったらしいの。そうしたら……あれ? エッタ、どうしたの?」


 涙はなくなって落ち着いたと思ったら、だんだん表情がなくなっていくのよ。心配になるじゃない。

 それになんだか背中が冷える……?


「……リヴェル様?」

「あぁ、それね。最初は英雄様って呼んでいたのだけど、どうにも落ち着かないらしくて、名前で呼んで欲しいと言われたの。男性に請われて名前を呼ぶのってドキドキするのね。知らなかったわ。それに私の事もレナータって呼んでくれるの。あの声で呼ばれると、なんでも聞いてあげたくなっちゃう。思い出したら、またドキドキしてきたわ。ねぇエッタも……あれ……?」


 え? 何この気持ち……うそでしょ? 本当に?

 だめ! だめよ! この先は……焼ける荒野しかない……


 恐る恐る見上げたエッタは、さっきまで無表情にも見えた顔が今や慈母のよう。浮かぶ感情は歓喜。


「ふふ、ようこそ。レナータ嬢」


 その燻り続ける荒野を歩き続けている女性が目の前にいるのよ。


「うそ……わ、私は違うわ……絶対に違うもの……ただ、楽しくお話しただけよ……」

「あなたのお別れの言葉、あれは本当に社交辞令だったのかしら?」

「ちょ、ちょっと待って! あの場には御者ぐらいしか居なかったはずよ!? いえ、護衛もいたわ。え、本当に? 違うわ、だったらいつからから……」


 もしかして、個室で話した内容も筒抜けってこと!?


「以前に……」


 まるで初めて言葉を教えるかのようにゆっくりと口を開いていくエッタを、これほど恐ろしいと思ったことはない。

 まだ大丈夫、やり直しはできるはず。エッタの機嫌を取っていればこの屋敷にも居られるはずよ。実家に居てもすることがないって、今回の帰省でわかったし。なんとか取り繕わないと……


「あなたに結婚相手を紹介するって話をしたの、憶えているかしら?」


 ……良かった。リ……英雄様の話じゃない。

 どうしてくれるの、こんなことでエッタが「あの方」なんて呼んでる理由がわかるなんて!

 傷は浅いから、まだ大丈夫よ、レナータ。

 それにこれはいい話のはず。でもね、


「忘れるはずがないじゃない。でも、このタイミングで言うなんて意地が悪いわよ」

「そうかしら? 私はこのタイミングが一番だと思ったの。だって、私が紹介しようとしたの……リヴェル様ですもの」

「はぁ!? エッタが――っだった人じゃない。どうして!?」


 危うく口にしてはいけない言葉を言うところだった。驚かせないでよ。


 エッタは薄く笑みを浮かべて、ローザリアお嬢様の家出が一つの始まりだったと言った。


 エッタの計画は、私という子爵令嬢を手元に置き、いずれ英雄様と結婚させることだった。実家は弟が継いでいるため、私に継承権はないが、貴族の血を引いていることで将来的に有利になる。何か理由をつけて子爵位を与え、私と英雄様の子供とエッタの子供を結ばせる。血縁は適度に離れているから問題ない。爵位の高さで障害が出たら伯爵家に養子に出せばいい。エッタは英雄様と義理の家族となり、侯爵領に別宅を構えさせて頻繁に訪れることもできる。四人、いや五人目の子供を産めば、貴族婦人としての役目は十分に果たしているのだから。


 最初はこんな回りくどいことを考えていたわけじゃなかった。自分の娘と英雄様を結婚させるつもりだった。しかし、英雄とはいえ冒険者パーティの一員でしかない平民に、侯爵家の令嬢を嫁がせる方法が見つからなかった。それができるなら、ローザリアお嬢様を相手に選んだはず。貴族の結婚に年齢は関係ないのだから。それも今となっては、必要のない検討だった。


 今回のローザリアお嬢様の家出では、英雄様がお嬢様を侯爵家に連れ戻すことになっている。その時に私が見初めたと言って紹介するつもりだったそうだ。なんという場面を用意しようとしてくれるのよ。まるで私が恋する乙女じゃないの……


 問題になったのがカトリーナ。実直さゆえに英雄様に靡かないと思っていたが、どうやらローザリアお嬢様を諭す姿に心を動かされたらしい――あの時、そんなこと言ってたかしら?――それが彼女と付き合い始めた理由。カトリーナは侯爵家に勤める騎士の娘で、ローザリアお嬢様に付けた専属護衛だが、爵位もなく、継ぐ家もない。この二人が結婚してもエッタにメリットはないが、邪魔する理由もない。だったら――


「英雄様にハーレムを作らせるですって!?」

「そうよ。昔から英雄色を好むって言うじゃない? あの方も若い頃はいろいろあったみたい。今は一人だけど、元のパーティにいた魔法使い、彼女も悪くないと思うわ。ふふ、他にも何人も集まりそうよ。レナはどうしたいのかしら?」

「どうって……」


 わかるわけないじゃない。今も頭の中で整理がついてないんだから。

 子爵令嬢である私の立場は高くない。この歳まで嫁ぎ先がなかった私は、カトリーナとほとんど変わらない。だからこそ、英雄様の相手として勝手が良いんだろうけど。

 エッタからは正妻はどちらでも構わないと言われて、


「既に私の手は離れているの。今は状況がそうさせようとしているわ。あとはあの方次第。私の目的はあなた次第」



 知らない保留

 エッタに辛うじて伝えられたのはそれだけ。すぐに逃げるように部屋を出てしまった。

 しかし、言ってしまったあとで悶々とした日々を過ごしてしまう。

 あんな話をされた後じゃ、意識するなって言うほうが無理よ。

 子供達にもぼぅっとしてると心配される始末。まったく……


 それなのに、大事な話があるからと、いつものように呼びつけられてしまった。


「連絡が来たのよ」


 今日のエッタは気遣う言葉が全く無い。それどころか、最近のエッタにしては珍しく困っている様子。

 だけど、私も困らされてるんだから、いい気味だわ。


「英雄様が戻られたのでしょう? 良かったじゃない」

「ええ、そうね。襲ってきた賊と争ったけど、無事だったそうよ。本当に良かったわ」

「私にもカトリーナから手紙が来たわ。役に立てず、迷惑をかけてしまったって綴っていたわね」


 揺さぶりをかけてきたのかしら? お生憎様。それぐらいは心構えができていたわ。

 でもカトリーナったら、手紙がまるで報告書みたいで、感情が伝わらないのが問題ね。もう少し家族に宛てるみたいに赤裸々に書いてくれないかしら。そうしたら、英雄様のことだって……


「だったら話は早いわね。何かがあったようで、カトリーナはあの方と距離を置くようになった。代わりに別の冒険者が恋人のように振る舞うようになった、ということも知っているかしら?」


 ……知らない。どういうこと?

 前に会った二人はあんなに寄り添った様子だったのに、何がどうなったら別の冒険者が入ってくるのよ。

 英雄様ってそんな方なの……?


「安心して、レナ。冒険者が家族のように仲が良かったパーティが壊滅して、それを慰めていただけよ。あの方にその気はないみたい。本人は泣いて縋ったそうだけど」

「……そうなんだ」


 聞きたいけど、聞けない。

 会いたいけど、会いに行けない。

 よくこんな気持ちをずっと隠してこられたわね。

 私なんか子供っぽい言葉を探し出すので精一杯よ。

 あの日、一緒に食事なんて……いえ、そんなことはない。楽しかったもの。

 私の考えなんてお見通しって顔が少しムカつくわね。


「そう、レナったら我慢強いのね」

「別に、エッタほどじゃないわ」

「ふふふ、今のレナは前よりもずっと好きよ」

「長い付き合いだもの。刺激があるようでなによりだわ」


 今日は珍しくお湯が用意されていたので、侍女らしく紅茶を淹れて部屋の主人に差し出す。

 用意されていた小さなお菓子を口に入れ、子供達に聞かせられないような話でお茶を楽しんでいると、ふと呼び出された理由が気になった。


「大事な話ってなんだったの? 英雄様が浮気してるってことじゃないんでしょう?」

「そうね、忘れるところだったわ」


 優雅な所作で音も立てずソーサーにカップを戻すと、なんでもないことのように口を開く。


「ローザリアったら、私が町に関与したことに気付いたらしくて、移動ルートを変えたの」


 もしかして、私が英雄様に会ったから……だからあのとき、情報漏洩なんて言っていたの? 私がお嬢様を貴族の令嬢だと教えてしまったから――


「あの子の性格だと、向かう先は侯爵領から最も遠い、モルガンスタン辺境伯領ね。情報屋を使って、半年で戻って来させるつもりだったのに、一年以上かかるかもしれないわ」


————

 これにて第1章完結です。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 第2章については、現在執筆中です。書き終えていませんので、少しばかりお待ち頂ければと思います。


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★新作を投降開始しました。

 

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ゲームキャラになったけど、トゥルーエンドを回避しようとする女の子達の物語。

今作は週一更新予定です。

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パーティーを追放された俺の元に家出少年達が集まってくるんだが 西哲@tie2 @tie2

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