さいしょからグー
草森ゆき
さいしょからグー
大陸未開地調査団を投げ出し帰ってきたおれを待っていた故郷の農村は完璧な跡地になっていた。
地方にある農村の最期なんてこんなもんだと思いつつ、巨大な蜘蛛のテリトリーである山を越えて双頭の狼が住んでいる森を抜けて景色の変わらない退屈な平野部を更に進まなくては辿り着けないこの村まで苦労してやってくるやつなんて本当にいるのかと呆然とした。それに、ここまで苦労してやってきたって返り討ちに遭う。
だってここにはアスピダがいた。おれが不意打ちで殴ったところで傷一つつかない頑丈な幼馴染がこの村を守っていたはずだった。
調査団に入らないかという誘いはおれとアスピダの両名に来た。村としては、若い男はそのうち村の警備職に就くのだから出て行かれると困るらしかった。はじめはおれもまったく団に興味がなくて、断る方針で話をまとめていた。
アスピダだけが異を唱えた。
「シモス、お前は調査団に行ってきな」
突然言い出したから意味がわからなかった。
「なんで? 行く必要ないだろ」
「だってこの村、俺だけいれば警護には十分だし」
「それならアスピダが調査団に行けばいいだろうが、なんでおれに」
「シモスのほうが向いてるだろうから」
アスピダは意味不明なくらい穏やかに笑っていた。伸ばしっぱなしの髪は掴みやすそうで、実際に掴んで引き寄せて殴ったことがあった。昔の喧嘩だ。でもアスピダには無意味な攻撃で、だから周囲を舐め切って伸ばしっぱなしなんだと、おれだけは本人から聞いた覚えがあった。
この世で最も硬い盾か、この世で最も鋭利な刃物か。
どちらが優れているかという答えのない問いがおれたちの間にも存在していた。
防御に特化したアスピダと攻撃に特化したおれの喧嘩に決着がついた日はなく、どうも一生の命題に成り果ててしまったようだった。
故郷の有り様を詳しく知る相手に会えた。というか、引き返して森に入り、双頭の狼を探し出して話し掛けた。敵意がなければ何もして来ないと、何度も会ったから知っていた。
曰く、何者かが森を通り向かった形跡はない。しかし村の住人が何名か森を通り逃げて行った。怪我をして森から出られなくなった老婆に話を聞いたところ、村の壊滅はまったくの予想外だったそうだ。
その老婆は狼が森の出口まで送ってやった。近隣の治安に関わるため、翼のある魔物に村の様子を見に行ってもらった。なるほど再起不能なほどには壊滅していた。住居は崩れ落ち、煙が上がっていた。往来に遺体がいくつも転がっていた。四方に撒き散らされた臓物に潰れた頭部という死体が多く、有翼の魔物は数人の顔見知りを探すが損傷のせいでわからなかったらしい。村の畑も無事で、殊更意味不明だった。帝都に輸出する魔力草を主に育てていたのだが、手付かずのまま住人の世話を待ちながら風に揺れていたという。
「シモス」
双頭の狼がゆったりと話す。
「アスピダは、見当たらなかった」
おれは頷いた。狼に礼を言って、壊滅した村の方へまた向かった。森の中はいつも静かだ。子供の頃、アスピダとよくここまで遊びに来た。魔物が多いから行くなと親には言われていたがおれたちには関係なかった。
木漏れ日も届かない鬱蒼とした森の中でしかおれとアスピダは遊べなかった。村の中だと周りの人間を巻き込んで殺してしまうからだった。
おれの親父を殺したのはアスピダだった。
でも、アスピダの母親を殺したのはおれだ。
親父の葬式があった日の夜、おれはアスピダと森の中にいた。正直、少しだけ殺してやるつもりだった。握った拳を解けないまま森の奥で落ち合って、おれよりも沈んだ顔をするアスピダをそのまま殴り付けようとした。今ならこいつも防護壁を張らないとわかっていた。
十二歳だった。おれもアスピダも、子供だった。おれの拳はぼろぼろ泣くアスピダを見ているうちに力が抜けた。
おれたちは生え伸びた雑草の合間に座り込んでじっとしていた。
そのうちに泣き止んだアスピダが話し始めた。昨日、アスピダは、家の屋根に来た鳥を捕まえようとした。でも失敗した。アスピダは足を滑らせて、屋根の上を転がり落ちた。
「シモスのお父さんは……俺を、助けようとしてくれたのに……」
おれはちょうどアスピダのところへ行こうとしていた。だから、見ていた。落ちたアスピダを受け止めようとした親父は、アスピダが咄嗟に貼った盾に潰された。
ごめんとしか言えないアスピダにおれは何も返さなかった。
二年後に、おれはアスピダの母親を殺した。魔力草を不法に売ろうと画策していたからで、目をつけた畑はおれの親父が生前大切にしていた畑だった。管理の甘くなった畑に目をつけているみたいだっておれに報告してきたのは、他でもないアスピダだった。
あの時のない混ぜになった目を強く覚えている。これで貸し借りはなしだという合理的な色と母親を殺さないでくれという無意味な色、おれとアスピダの関係は何なんだと苦しむ色があいつの中にはあった。行き場もなく、ぐるぐると渦巻いているようだった。
村は何度見ても全滅している。遺体はもう魔物か獣か、野生の生き物が貪り食ってしまったようだ。あまり名残はなかった。地面が所々黒ずんでいるが、焼け跡の煤なのかぶちまけられた内臓の成れの果てなのかは判断できない。焦げたような臭いが鼻をつく。気のせいかもしれないが、過去にはあった終わりの臭いだ。
畑はやはり無傷だった。風にそよぐ魔力草を横目にしながら、おれは農道を真っ直ぐに歩いた。少し行けば農作業の道具が置かれている一角がある。おそらくそこだろうと予想していた。そしてそれは当たっていた。
農具庫の入り口前に座り込んでいる人影は、アスピダで間違いなかった。
「何があったんだ、アスピダ」
と聞きはしたがおれは拳を作っていた。アスピダは俯いたままふっと息をついて笑った。見た通りだよ。懐かしいが掠れている声が答える。見た通り、聞いた通り、この村は滅んだ。逃げた住人もいるけどどこかに辿り着けるやつはいない。狼は何もしないが山の蜘蛛には食われるさ。そうじゃなくてもいずれ死ぬ。それでいい、俺が全部やったんだ。
振り上げた拳をアスピダは避けなかった。当然予想通りだった、こいつの防御力は高いからわざわざ避ける必要なんてなかった。ずっとそうだった。おれが調査団に行く前日も、こいつだけがおれのことを避けなかったんだ。
村を出て調査団に入る。村には認められたがほとんど追放状態の認可だった。魔力草の栽培は他の地域ではあまりうまくいかないらしい。土の種類と魔物の種類が関係しているようだった。だからここで生まれたのであればここで死ぬべきなのだと、生まれた時点で全員が感じ取ってその通りに生きていた。
「俺とシモスは、多分めちゃくちゃ、才能があるんだ」
前日の夜にアスピダがそう言った。夜のうちに森を抜けようと村を出たおれが、森の入り口で待ち伏せされた形での会話だった。
「俺の防御力も、お前の攻撃力も、帝都に知られるくらいには才能があって……でも俺たちは村を出るわけにはいかない」
「……そんなこと、今更だろ……そもそもお前がおれに、調査団に行けって」
「二人で行くって言ったら絶対ダメだって言われるけど、一人だけなら通るかなと思ったんだよね」
アスピダはぱっと笑った。空には大きな月が浮かんでいて、それと同じくらい眩しく、白々しい笑い方だった。
「シモス。俺多分、お前にここにいてほしくないんだよ」
森の奥から魔物の鳴き声が聞こえた。
「なんていうかもっと……それこそ帝都とか、周辺の都市とか、大きなところに行って欲しい。それで、魔力草の本当の使われ方を調べて、俺に教えてくれないかな。……こうやってべらべら話す俺だと勘繰られるから、無口で真面目に見えるお前に、行って欲しいんだ」
おれたちはしばらく黙っていた。葉擦れの音や湿った土の匂いが間を通り抜けていった。いつの間にか雲が出て、白い月がふと隠れた。アスピダは少し俯いた。本心とかないのかって、おれは聞いた。
行って欲しくないよ。虫の羽音よりも小さい声でアスピダは言った。だって俺たちはどっちも人殺しで力が手に負えなくて、何をするにもいちいち怯えられる生活じゃんか。俺を殴ろうと思うのはお前しかいないし、お前に殴られようとするのは俺しかいないだろ、そんなわかりきったこと今更聞くなよ、行きたくないのか?
行きたくないと言えなかった。魔力草について調べるとだけ、口にした。雲が月の上から退いた。顔を上げたアスピダは眉を寄せながらも笑みを浮かべて、握った拳で俺の肩口を軽く叩いた。
「もし何かあったら、俺から手紙でも送るよ」
アスピダと別れて歩き始めた。森を抜けて山を越えて、帝都に向かって進んでいった。お前にここにいてほしくないんだよ。その言葉を何回も思い出した。行って欲しくないよ、怯えられる生活じゃんか。これも思い出した。全部同意で苛立った。調査団に入って魔物や人を殺す時に必ずアスピダが脳裏に浮かんだ。
あいつなら死なない。はじめからそうだった。
おれに殴られて死なないのはアスピダだけのはずだった。
突き出した拳が下腹部を貫通する。おれが驚くよりも早く、腕の上に血が降り注いだ。アスピダはやっぱりというか、なんというか、笑っていた。おれの顔を見上げて懐かしそうに目を細めた。
「シモス、手紙、読んでくれたんだ」
読んだ。でも頷くかどうか迷った。
アスピダからの手紙を見ておれは帰ってくることに決めた。魔力草の使用法に非人道的なものを見つけたからでもあったが、決定打は手紙だった。村はもう駄目だと思う。簡単にいうと、そういう内容だった。
下腹部から腕を引き抜いた。頽れた体を抱き留めて、アスピダの背中側、おれが空けた穴を撫でた。
「住人の頭を潰したのは、なぜだ?」
アスピダは耳元で咳き込んで、
「脳に寄生してるから」
静かな声でおれに教えた。
村で栽培していた魔力草が病に侵された。しかしそれは、人間に巣食うことが前提の病だった。極小の魔物と呼んだ方が適切かもしれない。魔力草を途中の宿主にして、村の住人に次々乗り移っていった。
アスピダがはじめに気付いた。もう手遅れで、村ごと潰すしか方法が見当たらなかった。最初に死んだ住人の全身が弾け飛んでその時に村全体に蔓延したのだろうとアスピダは予想を立てていて、その通りに村は終わりに向かって落ちていった。
事切れた人間の頭をアスピダは潰していった。遺体が四散しないようにとった処置だった。各々が家に保管している魔力草に病がないか見聞する時間はとれず、一気に焼き払うことで食い止めた。数人、怖がって逃げた。でもいずれは死ぬ。獣や魔物は耐性があるから、人里に辿り着く前に弾けるならば問題ない。
この手紙を読んだおれは無断で故郷へ戻った。調査団に嫌気がさしていたこともあった。
でも顔を見て失われていく体温を抱いて実感した。
おれはアスピダに会うためだけに、ここへ帰ってきたんだと。
いつの間にか夜になっていた。アスピダは少しずつ死んでいって、完全に息を引き取った後に頭を潰してくれと頼んできた。いやだと答えられる状況ではなかったが、断った。ええー、と苦笑気味に言った顔を覗き込む。穏やかな目の中に白い月が浮かんでいた。生気はもう、ほとんどなかった。
「シモス、あのさ、友達の最期の頼みなんだよ……」
「でも、嫌なもんは嫌だ」
「お前そんな……そんなんだっけ、なあ」
「知るか、こんなことなら出て行かなかった」
「出て行ってなきゃ、俺を恋しくなんて思わないよ、お前は」
そうかもしれねえけど。絶対そうだよ。なあアスピダ。どうしたの。おれはお前のこと友達とは思ってない。うん、そっか、俺もだよ。
おれたちはなんだったのかわからない。晴れ渡った夜空には無数の星が満ちている。畑にある魔力草の処理をしなくてはいけない。遠くの方から魔物の遠吠えが聞こえてくる。ちゃんと殺してくれて良かった。アスピダはいやに嬉しそうな声で呟いた後に最期の息を吐き出した。背中に回っていた腕が地面に落ちる音は重く響いた。
村にいた頃、おれとアスピダは引き分けるたびに馬鹿馬鹿しくなって笑っていた。拮抗するというのは楽しかったのだと調査団に入りあいつと離れてから身に染みた。
おれの拳にはあいつの盾が必要だったし、だからおれは冷たく横たわるアスピダの頭を潰せない。
ここでこのまま死ぬだろう。
さいしょからグー 草森ゆき @kusakuitai
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